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【インタビュー】超記憶力×ほとばしるエネルギー SHIMPEI

 いつもほぼ同じ配置で数字や形が並ぶ絵(字)を描く。自分の気の済むタイミングまで、アトリエを出られず、夜の9時10時まで作業を続けてしまう。その様子は強迫的にも見えるが、本人は鼻歌を歌っていたりする。
 複雑な図形を裏、表、交互にほぼ同じ色、配置で描いていく姿はある種、神がかり的で、母の話によると瞬間的に記憶した物を描いているようだ。

 力いっぱい、ノートや本の表紙を破る。早朝深夜を問わず、近所に大量のチラシ収集に出かける。数字に対する関心が強いため掛け時計も気になり、通りがかりに目についた時計に飛びついたこともある。紙類だけでなく特定の食品も限りなく収集し身近にキープする。そして、その対象は時折変化する。
 まさに創ることに取りつかれた様に生きる、ほとばしるエネルギーのSHIMPEIが、家族の支援と地域の“お互い様”の中で暮らしている。彼の作品を紹介する時、その背景についても知ってもらいたいと、お母さまにお話を伺った。
(聞き手 嬉々!! CREATIVE 代表 北澤桃子)

❖❖❖

― 作品について聞かせてください。
 
 数字、文字をコミュニケーションツールとしては使えないんです。小さい頃は送迎などですれ違った車なのか?目に入った車のナンバーを、帰宅後、家の壁に描き連ねていました。特に数字が先に印象に残るようで、時計など、家の壁に描くことを習性としてやっていました。そのうちに数や文字を描きはじめました。
 部屋に時計があるのは気になるようで、どこに行っても時計は外してしまいます。ですので、我が家では時計を置けません。
 自分で描いた絵を壁に貼るようになって、なんでも切り貼りしてしまうようになりました。糊が見つからないとご飯粒でもなんでも使って貼ってしまうんです(苦笑)。


― 描くことについて、楽しんでいるように伺えますが、お母さまはどう思われますか
 
 ルーティンになっているところもあります。目の前の大量な画材すべてに描かないと終われなくなっている時は、本人も疲労感を抱きつつ、「描かなくてはいけない」と長時間格闘(?)しています。その様なときは楽しくないかもしれません。でも、そうでない時は鼻歌混じりになったり、満足気な顔をして描いています。最近何描いているのと聞くと、「リトルマーメイド」などと教えてくれることも増えました。

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 書店やコンビニは大好きで、色々な本を手にしていましたが、なかでもオーソドックスなディズニーシリーズは昔からよく買っていました。でも読み終えると基本全部破って処分します。私達はページごとにじっくり読みますが、本人はパッと一瞬見て(中身を)覚えちゃうから不要になるのでしょう。また少年ジャンプなどを買いますが、中身より紙・材質を気に入っているようです。
 その他にも最近は、タウンワークください、クリエイトの広告ください、カレンダーください、絵本ください、というのがパターン化しています。

 
― SHIMPEIさんの作品は彼の爪痕になる、というお話を伺ったことがありますが、作品を発表することの意義をどのように思われますか?
 
 本人は、私達が感じるほど作品発表に意味を抱いていないと思います。もちろん「みんなで楽しむイベント」の様な活動に気分が上がることも多々ありますが、それは単に自身が楽しいと感じることを味わっているだけで、自己顕示欲的な意味あいとはほど遠いものです。本人は誰かに何かを伝えたいと思って描いている訳ではありません。なので「爪痕」という言い方は本人が望む所でもなく、適当な表現ではなかったと思います。
 でも、文字や単語を書くことが出来てもそれらを用いて意思表示や意思伝達を行うことをしない本人にとって、やはり絵を描くことは本人の中にある何かを現わしていること、それは間違いないと思います。
 彼の目に写るものは私達が認識する映像とはかなり違いがある様です。ですので私には理解しがたい絵も沢山あります。それでもそれらを肯定して応援して下さる方々がいらっしゃるということは彼にとっても心地良いことであり、気持ち良く描ける要因のひとつでもあるのではないでしょうか。
 視点の違う息子でも、肯定されることがあります。誰でも、自己肯定感が持てれば元気も出てきます。そんな印象で受け止めて頂ければ嬉しく思います。


― 普段はどのように生活されていますか?
 
 例えば、毎回同じ行動をしないと気が済まないとか、お弁当の中身はいつも同じもの、などと云うルーティン的なものから、その場その場で感じて起こす現象など色々とあります。いずれにしても私達よりかなり感度が高過ぎるのかも知れません。私達ならそもそも気が付かなかったり、融通を利かせられることでも、本人にとっては不安材料になってしまいます。ですので「拘り」行動は、本人にとって自身を安定させるための自己防衛策の1つなのかも??とも思えてなりません。
 
―強いこだわりを持ちながら地域で生活することは大変ですよね。
 
 残念ながら自宅での生活も本人にとって完全にストレスフリーになっている場とは言えません。もしかしたら誰にとっても完璧な場などそれほど多く存在していないのかも知れません。
 それでも本人の心身の安定を考えると少しでも望ましい環境に…と望むのは必然のこと、そして永年の課題でもあります。
 介護分野が「地域で暮らす」をスローガンに大きな介護施設のみならず、少人数のデイサービス事業所やグループホームがあちこちで運営されるようになってから久しくなりました。それに準じるかの様に障がい分野も日中活動の場やグループホームなども地域に増えてきています。
 とはいえ、誰もがいずれ行き着く可能性の大きい老人分野は地域の人々にとっても想像しやすいし、身近な存在を見聞きするケースも少なくないことでしょう。それに対して、障がい分野は周囲にすぐには理解されにくい部分も多いのではないでしょうか。地域で生活するということはその視点や感覚の違いから生じる摩擦との葛藤でもあります。その摩擦を少しでも減らし、周囲も本人も過ごしやすくすることが大事なこと…でも一朝一夕では解決できないなかなか難しい問題です。

 ―生活の中でも拘りが沢山あるんですよね。

 リビングテーブルには醤油とかふりかけなど、本人が必要とするものを何十個も並べています。本人の中では定数なり規定量などのイメージがあるようで、それらが少しでも減ってしまうとすぐに新たな補充を要求します。ですのでストックは常にいくつか用意をしていないと間に合いません。

 ―拘りのあるSIMPEIさんとの暮らしの中で、お母さんがSIMPEIさんの話をするとき、大変な中にも楽しそうに見えることがありますが…どうでしょう? 

 子どもの頃からずっと続いている悩ましい行動もあれば、次から次へと変化する拘り行動も数知れず。さらに予想もつかない出来事が加わるなど、デンジャラスな日々です。なので感情的に怒っても効果のないタイプの人とわかっていても、つい声を荒げてしますこともたびたび…。
 時折、絵を描きながら本人が「アンタ、何やってるの!」と母の口癖を真似していることがあります。そんな本人とは常に知恵比べのような状態です。もちろん、そのたびに生じる心身の消耗は尽きませんが、笑うしかありません。生きているからこそ、それなりに元気でいるからこそ、のことですから。 

―お母さんから見るとそんな大変な拘りもかわいいなと思っている?

 「甘え」と言ってしまえばそれまでですが、本人なりに意味があってやっている行動も少なくありません。発語として意向を伝えられないので相手は実力行使で主張してきます。その主旨や意味を掴めないままつい目先の行動の是非で反応してしまって制するのに必死になってしまいがち…。知能が低いからわかってないのでは?などと思うと、記憶力や洞察力は尋常でなく研ぎ澄まされていることも多々あります。また、単語あるいは名詞的な捉え方の言葉はかなり持ち合わせているようですし、歌も色々なジャンルの曲をよく知っていて口ずさんでいます。
 さらに物の見え方もかなり独特で、私と同じ風景には見えていないようです。そんな本人の頭の中、考えていることを知りたいと思うことが時々あります。 


―以前は一度に1万円と聞いていたので、大変だなと思っていました。

 何かのスイッチで5~6千円買ってしまうことが時々あります。以前は数多くあったのですが、最近はワンコインで済む日も珍しくありません。これも拘りのひとつかもしれません。その時々でマイブームが変わります。運動とかの他の術を持っていれば良いのかもしれませんが。
 正解はわからないですけどねー…。
 どうしたら少しでもストレスを回避し、穏やかに過ごせるかと苦慮することのくり返しです。でもいくら頑張っても気圧などの不可抗力には勝てないので、まさに「終わりなき戦い」のようです。20年後、30年後には今よりずっと過ごしやすくなっていることを願って止みません。

 ― これからのことをお聞かせください。

  まずはお互い元気でいること。そして少しづつでも本人が安定して過ごせる様に、引き続き可能な限り策を考えていかなくては…と思っています。

 ― 赤裸々にありがとうございます。生活環境を整えたくてもできない歯がゆい状況の中で、ご家族の支援は本当に大変だなと思いつつ、SHIMPEIさん自身や彼の作品にとても魅力を感じています。作品と日々のようすも含め、多くの方に知っていただけたら、という気持ちです。

  これ(作品)で何か感じてくれる人がいるといいけど…。
 大それたことは言わないけれど、本人の伝えたいことが何らかの形でここにあるんだろうと思うから、これ(SHIMPEIの作品)もこの人の何かを伝える生きざまかな、と思ってもらえたら。こういうタイプの人は世の中に摩擦を起こしている方が多いでしょうけれど、気持ちがちょっと疲れた時に、これでもいいんだ、と。チラッと絵を見てもらえたら。世の中、形は違えど摩擦がないことって少ないじゃないですか。そんなへこんだ気持ちが一瞬でも忘れられたらいいなと思います。 

― お母さんが久しぶりに東京の作品展へ出かけようとしたとき、SHIMPEIさんが「JR東海道」とぽつっとつぶやいたという、第六感の話も気になりますが…。今回はインタビューをありがとうございました。


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