ヅカオタがミュージカル刀剣乱舞に足を取られてしまったおハナシ

この世の、概ね正しいと認識されていたあらゆる価値や常識がウイルスの急激な蔓延でひっくり返ったのは、2020年のはじめのこと。

新型コロナウイルスの未曾有の蔓延で、私達個人の生活、社会における人との繋がり、全てがぐらりと足元から揺らぎ、それまでの普通が通用しない世界になってしまった。

普通に生活することが困難となり、特に人が集まること、そういう場に出かけること、長距離の移動、そういったウイルスを蔓延、媒介するリスクが大きいと見なされる行為は禁忌となった。

私個人としては、医療機関の末席に身を置いていることもあり、その禁忌は更に厳重なものとなった。それまで出来ていた観劇遠征が一切出来なくなったことはもちろん、何よりも、それがいつまで続くのか、出口が全くわからないことが、かなり大きな打撃となり、私の心を弱らせた。

辛い思いをしていたのはもちろん私だけではない。私の周りの人たち、家族や、宝塚歌劇を介して知り合った友人たちもそうだった。

私の、だいきほ(宝塚歌劇団雪組の先代トップスター望海風斗さんと相手役のトップ娘役真彩希帆さんのコンビの愛称、ファンはだいきほコンビと呼んでいた。2021年4月退団)を心から愛する友は、退団公演を観劇することがついに叶わず、お二人の卒業を見送ることができなかった。

彼女と私が最後に観ただいきほは、2020年1月、ムラ(宝塚市の宝塚大劇場周辺をファンは愛を込めてこう呼ぶ)のワンス(映画ワンスアポンアタイムインアメリカの初舞台化作品)のお正月公演だ。あの時はまさかこれが最後になるなんて思ってもいなかった。そんな悲しいことになるなんて思ってもいないから、彼女が当選して誘ってくれた貴重な良席で並んで観劇して、幕間にめちゃくちゃおしゃべりし、帰りにサラ(美味しい紅茶のお店)に立ち寄ってスコーンを分け合いながらケラケラ笑い、次は3月に東京で会おうね!と満面の笑顔で手を振り合って別れた。あれから彼女とは一度も会えていない。今となっては、あの時二人で並んで観劇できたことは奇跡のような幸運であったのだと思える。あの後すぐにコロナの蔓延が始まり、2020年3月の東京公演観劇を諦め、諦めた公演は結局中止となり、そこから2021年4月のだいきほ退団までの期間は、心がじわじわと殺されていくような、そういう時間だった。

2020年4月、他のエンタメと同様に、宝塚歌劇も自粛休演の期間に入った。その後、長い自粛期間を経て、ようやく条件付ではあるが少しずつ再開されていった舞台、それを心から喜びながら、同時に「自分は観に行けない」という現実に傷ついてもいた。私も彼女も職場や家族の事情で長い移動を伴った遠征だけでなく、不特定多数の人が大勢集まる場所へ赴くような行為は全て自粛するしかなかった。何故行かないの?舞台は再開しているのに?私は行ってきたよ、素敵だったよ、行けばいいのに、なんで?どうして?etc、観に行けた知人らから問われる度に悲しく辛い気持ちになった。観に行けるなら行っている。行くに決まっている。「行けない」のだ。行くことが許されないのだ。いや、行こうと思えば行けたのかも知れない。しかし、私の中の常識やしがらみやなんと言えばいいのだろう、そう、なけなしの「良心」のようなもの、己の欲望を優先できない何かによって、私は観劇遠征を諦め続けた。

観劇を諦め続けていたのは、もちろん私だけではない。私の大切な友もまた、辛い日々を生きていた。

だいきほオタであった友の心中は察するに余りある。SNSで、共通のフォロワーの皆さんの観劇レポに、彼女はいったいどんな気持ちでいいねをつけていたのだろう。いやきっと、彼女のことだから、それは心から「観劇できてよかったですね、レポありがとう」の気持ちでつけていたと思う。しかし…。それでも私は、辛かった。あの頃の私は、自分と友の境遇を重ねて、辛くて辛くて毎日泣きそうだった。

2021年4月11日、だいきほの退団公演を、ついに一度も観劇できず、配信のみで見送った。当然ながら、他の全ての公演も観劇はできなかった。コロナ禍で、劇団が新たに始めてくれた配信サービスだけが心の拠り所だった。
だいきほが卒業してしまってからも、コロナの猛威は依然収まることなく、そうしていつしか季節は初夏を迎えていた。

ヅカオタ同士の、ツイッターきっかけのやりとりは、共通の、若しくはいずれかの推しの卒業でゆっくりと疎遠になっていくものだと思っていたが、彼女との関係は続いていた。

私は、人との距離のとり方が上手くない。上手くないというよりど下手くそだ。ソーシャルワーカーなんて仕事をわりと長いことやっているので関係構築についてはプロのはずだが、仕事ではできることが、プライベートではできなくなってしまう。自己肯定感が低いため基本的に卑屈なのだが、慣れてくると卑屈なあまり逆に傲慢になってしまうという、自分でもどうしようもない癖があり、人間関係の構築維持が致命的に下手なのだ。私は己のその致命的欠陥を自覚している為、友人関係や人間関係に過度な期待は寄せないように注意しながら生きている。自分を変える努力もしたが、ここまでくるともう無理だなと諦めた。これが私なのだと思うことにした。こんな私なので、彼女とも疎遠になってしまうのかも知れないなあ、とどこかで覚悟はしていた。しかし、彼女はこんな私との関係を、続けてくれたのだ。恋愛もそうだが友情もそうだ、どちらか一方の片思いでは関係を続けることは難しい。

彼女は退団後のだいきほを静かに見守り、私も花組のひとこ(私の推し、花組の永久輝せあさんの愛称)を静かに応援し、時々LINEで互いのなんということもない日常を報告しあったり、あやちゃん(望海風斗さんの愛称)のこの記事見た?見た見た!綺麗だったね!きほちゃん(真彩希帆さん)のインスタ見た?見た見た!めっちゃ可愛い!タカニュー(宝塚歌劇の専門チャンネルタカラヅカスカイステージのタカラヅカニュース)のひとこ見た?見た見た!カッコいいよね!などというやり取りを続けていた。観劇遠征ができないまま、心にはだいきほをこの目で見送れなかったという大きく深い、いつまでもじくじくと痛み続ける、恐らくは一生塞がることのない傷を抱えたままで。

沼というものは、思ってもみないタイミングで、思ってもみないところで私達を待ち受けているものだ。
卒業後のジェンヌさんを追いかけるために契約したWOWOWで、ふと目にした「最遊記歌劇伝」という、アニメ化もされた人気漫画を原作とした2.5次元舞台。たまたま二人でLINEをしているとき、お互いにつけていたWOWOWで放送されていて、お互いに「これってあの最遊記?2.5次元舞台になってたんだね!」「へえー」「アクションすごいね」等とやり取りをしながら一緒に見たのが、今にして思えば一番最初のきっかけであったと思う。

WOWOWで最遊記歌劇伝を見てから、しばらくは時々そのことも話したりしつつ、二~三ヶ月ほども経った頃だったろうか、最近ね、こういうの観てるんだよ、と、彼女からもたらされたのが、「刀剣乱舞」の舞台、そしてミュージカルだった。

もちろん、生の舞台ではない。彼女が教えてくれたのは、サブスクで観られる過去の舞台作品や映画といったものだった。「このミュージカルのほうは二部構成になってて二部はショーなんだよ」「年にいっかい、タカスペ(タカラヅカスペシャル、年末に開催される複数の組が会しての特別編成ショー)みたいなお祭りもあってね」と楽しそうに教えてくれるLINEは、久しぶりにうきうきとした感じが伝わってくるもので、私を嬉しい気持ちにさせてくれた。

刀剣乱舞は、実在(しているか不明のものも含む)の日本刀を擬人化し、刀剣男士と呼ばれる二次元キャラクターにしたゲームと、それを元としたアニメや舞台といったメディアミックスのコンテンツである。男性向けゲームとして実在した戦艦を女の子のキャラに擬人化し大ヒットした艦隊これくしょん(艦これ)というコンテンツがあるが、この刀剣乱舞は、いわば女性向け艦これとして考えられたものなのだろう。(どちらもDMMオンラインのゲームである)そうして、この刀剣乱舞は、オンラインゲームがリリースされるやものすごい勢いで登録者数を増やし、メディアミックス展開され、瞬く間に巨大なコンテンツに成長したのだった。

私は物心ついたときからの年季の入った二次元オタクであるため、こういったオタク向けコンテンツについては例え自分が嗜まずともその存在と名前、大枠については前述した程度の情報なら無意識に息をするように調べて理解していることが多い。オタクではないひとから見るととんでもなく気持ちの悪い習性だが、オタクにはよくあることで、私なんぞはまだその熱は低い方だ。東京リベンジャーズも呪術廻戦もスパイファミリーも、読んだことはなくともアニメも見ていなくとも設定とあらすじくらいは知っていたし、ウマ娘やツイステもゲームはしないが知っている。(息をすると調べるが同じくらいの意味を持つオタクにとって現代のこのインターネットが普及した世界は素晴らしい世界だ。普及してなかった頃に既にオタクだった私はこの素晴らしい発明をしてくださった皆様の優秀な頭脳に日々感謝している)

私はゲームは嗜まないオタクなので、刀剣乱舞についても知ってはいたが詳しくはなかったし、ゲーム自体に興味も薄かったが、彼女がとても楽しそうに男士たちの公式MVや画像を勧めてきてくれたことで、私の大好きな友人を楽しませ、元気付けてくれているコンテンツとはどんなものなんだろうと興味を惹かれた。また、私が契約しているケーブルテレビのチャンネルやサブスクで課金無しで観られるという好条件も重なり、まあ、ちょっとだけ、と、その頃そのサブスクで見ていたアニメを中断して、彼女が勧めてくれた、その「タカスペみたいなお祭り」を見てみることにしたのだ。

2022年1月末の土曜日。コロナのため、依然引きこもりの週末の夜。ケーブルテレビのチャンネルでなんとなく視聴していた海外ドラマが終わり、ちょっと手持ち無沙汰になった私は、そうだ、とサブスクを立ち上げ、いつもなら更新されているはずのアニメを再生するのだが、その夜は、数時間前にLINEで彼女に薦めてもらった「真剣乱舞祭2018」を再生した。テレビ画面に映るその「タカスペみたいなお祭り」は、タカスペとは違い、当たり前だが全員男子で、綺麗な男子たちが、ゲームのキャラクターと同じ美麗な衣装を身に纏い、キャラクターに寄せたメイクをし、カラコンを入れ、キャラクターそのものの鬘をつけて、舞台上を所狭しと歌い踊っていた。おお、2.5次元とはよく言ったものだなあ、と、その華やかさに感嘆しつつ、テレビの画面を適当に写真に撮り、これ見てるよー、と彼女にLINEで送った。

彼女はすぐに返信をくれ、その人は村正だよ、その赤い髪の人は蜻蛉切、と教えてくれた。こういう人がこういうことをしてる、とLINEをすると、その人とその人は源氏の刀なんだよ、とか、その子の持ち主は土方歳三でね、とか、丁寧に解説してくれ、ついには「今どこらへん見てる?」と訊いてくれ、ここらへん、とテレビ画面を写して送ると彼女もサブスクで再生して、同時視聴しながらLINEをしてくれた。こうして、私は初めての真剣乱舞祭2018を、彼女のLINE解説つきで見終えたのだった。

正直に言えば、このときはまだ刀剣乱舞自体にそこまで興味を持っていたわけではなく、ただ、大好きな友人と共通の話題が欲しくて見てみたに過ぎなかった。しかし、その、久しぶりの、LINEでおしゃべりしながらの同時視聴が、ほんっっっっとおに、掛け値なしに、楽しかったのだ。

私達は、Blu-rayやスカステの放送で、よくこのLINEのトークルームでおしゃべりしながらの同時視聴をしていた。しかし、だいきほが卒業してからは、その機会も減り、いつの間にか間遠になり、この頃にはほとんどその機会を作ることもなくなっていた。私自身もコロナで生活がきゅうきゅうに制限され、何の楽しみも無く、仕事も厳しい状況が続いており、更に観劇できない日々が続き、推しである花組のひとこちゃんをこの目で観たのは2019年の10月が最後で、次にこの目で観られる日はいったいいつ来るのだろうかという状況で、精神が心底疲弊している時期だった。

そんな時期に、大事な友からもたらされた新たな、沼。それが刀剣乱舞、わけても、刀剣乱舞ミュージカルの世界だった。刀剣乱舞ミュージカルの真剣乱舞祭2018は、彼女だけではなく私にも、忘れかけていたときめきを、そしてそのときめきを誰かと共有できる楽しさを、思い出させてくれた。

私も彼女もそもそもがヅカオタなので、宝塚でも2.5次元と言っても良いくらいの再現率の高い舞台作品は観てきた。私の宝塚での初恋の君である先々代の雪組トップスターである早霧せいなさんなどは、伯爵令嬢、ルパン三世、るろうに剣心、と漫画作品の舞台化を数々されてきており、他の組でも、天は赤い河のほとり(宙組)、ポーの一族(花組)、花より男子(花組)、メイちゃんの執事(星組)、遡ればベルばらやオルフェウスの窓やエルアルコン鷹、大江山花伝(青池保子先生の作品、木原敏江先生の作品は宝塚で多く舞台化されている)など枚挙に暇が無い。そもそも宝塚少女歌劇の1912年の初演作品は「ももたろう」を舞台化した「オトギ歌劇ドンブラコ」という演目であり、その成り立ちからすでに、宝塚歌劇は2.5次元舞台の元祖であったのだ。そして私は、そういう漫画を原作とした作品たちが大好きだった。つまり、下地はあったということだ。

刀剣乱舞ミュージカルの、「タカスペみたいなお祭り」をその後も彼女の解説付きで視聴した。数作品視聴していくうちに、刀たちの名前や性格、関係性も少しずつわかってきて、この子は可愛い子、この子は勇ましい子、この子とこの子は同じ刀派の刀工作で、この子とこの子は元のあるじ(持ち主)が同じだから仲が良い、と、浅い知識ながら、ある程度の認識もできてきた。

彼女の解説というか、プレゼンというか、それもとても楽しく、人の顔を覚えるのが苦手な私でも覚えやすいように、「この子さ、最初見た時あやちゃんに似てると思ったんだ」とか「この子みりおちゃん(先代花組トップスター明日海りおさん)に似てない?」とか「こっちの関西弁の紅さん(先代星組トップスター紅ゆずるさん)みたいなひと」とか、ヅカオタの興味を惹くようにしてくれて、ありがたかった。

そうしているうち、やはりと言うか、当然の成り行きで、「特別に好きだな」と思う子ができた。そうでなければ観続けることは難しいだろう。世界観はオタクに刺さるものだし、ここに推しが加われば、それは間口の広いオタクを自認している私にとって即沼落ちを意味する。

私が「好きだな」と最初に思った子は、「今剣」いまのつるぎ、という短刀の子だった。源義経の守り刀と伝えられている短刀だ。彼は上背の大きい男士たちの中にあって、短刀らしく小柄だが、スピードとキレのあるダンス、高い跳躍、ちょっとファニーフェイスだけれど愛嬌のある可愛らしいお顔、くるくると変る表情、決して歌が上手いと言うわけでは無いが美しい高音の少年のような声、全てが「今剣」を体現していて、私の目と耳はひきつけられた。更にこれも重要なポイントなのだが、彼には相方がいた。「岩融」いわとおし、という、こちらは武蔵坊弁慶の薙刀だ。義経の短刀と弁慶の薙刀、この二振りは相方同士で、ちょこまかと動き回り素直に泣いたり笑ったり怒ったりする今剣を、豪放磊落な岩融がはっはっは!と笑いながら守っている、という感じがして、その感じにオタクのハートは刺し貫かれたのだ。

「今剣ちゃんが可愛い」と、LINEで伝えていると、この頃には既にある程度のBlu-rayを揃えつつあった彼女は、そのBlu-rayを貸してくれた。そこに付いている「バックステージを収録した円盤」をぜひ見て欲しいというのだ。オマケの円盤なのね、座談会とかお稽古場とかかな?くらいの認識で見始めたその「バックステージを収録した映像」はヅカオタの私には衝撃的なものだった。本当に、舞台裏の様子が、映されている…!出番待ちに車座になっておしゃべりしていたり、ふざけあっていたり、一緒に写真を撮り合っていたり、次の出番の為に全力疾走していたり。まさに公演中のその舞台裏の映像が、惜しげもなく晒されているのだから、分厚いすみれのカーテンに慣れ親しんでいる身には「ええっ!こんなとこまで見せてくださるのですか!!」という衝撃が半端なかった。

その映像の中にいる今剣ちゃんは、なんだか私が知っている今剣ちゃんと同じようで違うようで、ちょっとくすぐったい感じがした。しかしそれは決して嫌な感じではなく、むしろ「可愛い!舞台の上もだけど降りても可愛い!」という感情が力強く沸いてきたのだ。(このくすぐったい感じ、可愛い!という力強い感情、これは、タカラジェンヌを愛するようになる時の気持ちととても似ている、ということには後から気が付いた)

そうか、私は「今剣」として彼を見てきたけれど、当然「中の人」がいるのだよな、と改めて思い、今剣ちゃんの中の人である「大平峻也くん」のツイッターアカウントをフォローした。峻也くんは、明るく、頭も良く、俳優としての仕事に情熱を持っていて、舞台を中心に精力的に仕事をしていて、一生懸命さが溢れ出ていて、私はとても好感を持った。ファンの皆さんを大切にしている様子も窺えて、中の人もいい子だなあとますます彼が演じている「今剣」のことが好きになった。(このあたりの感情、アイドルにきゃー!みたいな感情ではまったくなく、もはや孫を愛でるかのような心の動きで、我ながら年取ったなあと切ない気持ちにもなった)

2.5次元というのは不思議な世界で、元々その俳優さんのファンの人や、キャラから入ってその俳優さんのファンになる、というひとも多いが、それよりも圧倒的に多いのは「キャラを愛す」ということに一途な人たちだ。

中の人には興味は持たない、あくまでも「キャラを愛す」を徹底的に追求しているひとたち。中の人への興味はほぼ無く、むしろ自分の中のその「キャラ」と違うことをその俳優さんが舞台上でしようものなら「○○ちゃんはそんなことしない」と一気に醒めてそっぽを向いてしまうひとたち。「この(△△さんがやってる)○○ちゃんのこと好きな人を否定はしないけど、私とは解釈違い」と言って憚らないひとたち。2.5次元の俳優さん達は、舞台の上で役を演じるが、まずはこの、「原作のキャラを愛しているひとたち」を納得させなければならないのだから、大変な仕事だと思う。自分で解釈して深める前に、既に存在する数多の「○○ちゃんのファン」の皆様の解釈がどういうものなのかを学ぶところから始まり、その最大公約数から1ミリもはみ出さないように役を作らなければならない。そしてなによりもビジュアルだ。二次元のキャラに似せる、ではなく、二次元のキャラそのもの、でなくてはならないという、めちゃくちゃな高さのハードル、ここをクリアしなければならないのだ。2.5次元の舞台は、演劇や舞台の界隈では割と馬鹿にされがちな風潮があるが、私個人としてはとんでもない難易度だと思っている。

普通の演劇舞台を作り上げることですら難しいことなのに、キャラのファンの理想を壊さない役作りとビジュアル造りが必須の条件であるわけで、もう難易度が高すぎて、その高すぎる難易度をなんとか分かりやすく何かに例えたいが、あまりにも高すぎる難易度、アルプス山脈?マッターホルン?チョモランマ?もう何に例えればいいのかわからない。

2.5次元の舞台スタッフの技術の高さは、見始めてすぐにわかった。特に刀剣乱舞ミュージカルのヘアメイクと衣装の技術は抜きん出ていると思う。(宝塚歌劇団の本拠地、兵庫県宝塚市の大劇場と東京日比谷の東京宝塚劇場でかけられる本公演の舞台美術、そして衣装については110年の歴史の中で作られてきたものであり、他のどんな舞台とも比べられないため、ここでは比較対象からは外して考えている。ちなみに鬘とメイク、アクセサリーは役作りの一環であるとして、タカラジェンヌが己で準備し己で施す)

二次元のマンガやアニメといった虚構の世界の「絵」を三次元にする、そこを妥協したら大失敗することがはっきりとしているため、ヘアメイク、衣装についてのプレッシャーもすごいと思う。キャラのファンは容赦が無い。当たり前だ。大好きなあの子を生身の人間の男が演じる、それは一般の人が考えるような心浮き立つものではない。なんなら「やめてくれ」とすら思うものなのだ。ビジュアルが発表されるまでの不安と言ったらない。あの髪型を三次元で再現できるんだろうか、あの瞳の色はどうなるの、あの美しい足首を持つ生身の人間なんているはずないじゃん、などなどなど、もう不安で不安で夜も眠れないことだってある。そんなめんどくさい愛をがっちがちに持っているファンをまずは納得させないことには、2.5次元の舞台の成功は望めない。ヘアメイクと衣装の担当者の皆さんの胃の痛さはきっと想像を絶する。

ビジュアルはもちろんのこと、私がニワカながらにすごいと感じていることがもう一つある。それは、声だ。多くの2.5次元舞台には、原作とアニメ化されたものの二つの「元ネタ」が存在する。アニメ化されている場合(そしてゲームの場合も)、当然そこには「声優」が先に存在している。その「声」もキャラのファンにとっては大切なものだ。なんなら、「声」が素敵だったからその子を好きになった、という入り方のファンも少なくはない。二次元というのはそういう世界なのだ。と、いうことはだ、そう、「声」も寄せなくてはならないということなのだ。…途方もないことだと思う。顔も似せて仕草も似せて声まで寄せた上に演技して歌って踊って…。しかし。それが、その一つ一つが、ばちっと嵌った姿を舞台上に「再現」できた時、それは神の御技とも言える崇高な輝きを放つ存在となるのだ。その、神の御技に、私は心から感嘆し、そして感謝し、美しいものを日々愛でさせてもらっている。

と、長々と書いてきたが、これが一人のヅカオタが刀剣乱舞ミュージカルにハマッたあらましである。

宝塚の観劇遠征を諦め続け死にかけていた頃のこと、そして、刀剣乱舞の2.5次元舞台の存在が、死にかけていたオタクとしての心を救ってくれ、大切な友との縁を繋ぎ直してくれたということを書き残しておきたいと思い、筆を取った。

私のオタク道は、きっとこれからも、様々な曲がり角と、その先に待ち受ける沼とに翻弄されながら、続いていくのだろうと思っている。オタクはジョブではなく種族なのだから。オタクは死ぬまでオタク、なのだ。


追記。今剣ちゃんが刀界隈での私の推しであると書いたが、少し前からここに、鶴丸国永という刀が加わった。鶴丸ちゃんにハマった経緯もまた、別に書き残しておこうと思う。…キーワードは、「低い声」と「美しい首」、である。



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