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No.2|なぜ学び続けるべきなのか~その本質的な理由 - 前編

子供の時も、大人になってからも、好きでもないことを無理やり学ばされる時がある。出された宿題にうんざりし、この勉強に何の意味があるのかと首を傾げたくなることもある。なぜ私たちは苦労してでも「学ぶべき」なのだろうか?

調べれば、こういった答えが出てくるだろう。

・生きるために
・成長するために
・より良い生活を送るために
・好きな職業に就くために
・幸福になるために
・だまされないために
・危険を回避するために

上に挙げた答えはどれ一つ間違っていないだろう。一つ一つとても大切なことだ。努力の甲斐あって自分のやりたいことができ、それで十分なお金を稼ぐことができたらとても最高な人生だろう。けれど、頭では理解していてもどうにも行動に移せない。正しいにも関わらず、どこか言葉は空虚に響き、心に引っかかり続ける部分がないだろうか?

そう悩んでいた頃に次の記事を読み、ようやく納得することができた。まずこの記事では1枚の風刺画が紹介されている。この画の中で、本を読む人と読まない人の視点の違いが比較されている。


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"本を読むことで違う世界が見える"

何も知らない人(図の一番下の人)からすれば、世界は美しく平和に見えるかも知れない。しかし学びを重ねていくと、時に世の中の醜い部分、非情な現実を見知ってしまう。大抵の人はここで学ぶことが嫌になってしまうことだろう。

けれど、一部のめげない人達はそれを変えたいと願って学び続けていく。問題が非常に根深いことを知り、どうにもならないと絶望に心が折れそうになっても諦めずに、そうして学び続けた先にようやく希望の光——解決の糸口が見え始める。

”学び続ける”ということは、非情な現実を受け入れることだ。学ぶことは苦痛なことかもしれないけれど、"学び続ける"ことでしかその問題の本質にたどり着き、真の意味で解決策を見つけることができない。

例えば気候変動はゆっくりと進行している。この不都合な事実に対して、地球温暖化に懐疑的な人がいたり、今の生活を犠牲にしてまで対策を行うべきではないとする人もいる。たとえ日本だけ頑張っても、世界中の全ての人が協力するなんてことは不可能で、やるだけ無駄だと早々に諦めてしまう人もいる。

残念ながら問題がいかにも大きくて、解決が不可能に見えたとしても、それから逃げ出してはいけないのだ。今を生きる人は、将来の世代のためにまともな環境を遺しておく務めがある。目をつむることは、問題の更なる悪化を招き、解決できる唯一のタイミングをみすみす逃してしまう。

"学ぶ"ということは、理不尽な現実に抗うことだ。その過程が辛いものだとしても、学ぶことで自身が選択・決定できる領域を確実に広げることができる。あらゆる出来事や悲劇を、与えられた運命と片付けるのではなく、それは自身が選択した結果なんだと受け止めるようになる。そうして初めて自分の人生に責任を持つことができ、誇りを持って生きることができる。

「私達は後世に何を遺せるのか」を説いた内村鑑三の言葉を紹介したい(引用元)。

(前略)われわれがふたたび会しますときには、われわれが何か遺しておって、今年は後世のためにこれだけの金を溜めたというのも結構、今年は後世のためにこれだけの事業をなしたというのも結構、また私の思想を雑誌の一論文に書いて遺したというのも結構、しかしそれよりもいっそう良いのは後世のために私は弱いものを助けてやった、後世のために私はこれだけの艱難に打ち勝ってみた、後世のために私はこれだけの品性を修練してみた、後世のために私はこれだけの義侠心を実行してみた、後世のために私はこれだけの情実に勝ってみた、という話を持ってふたたびここに集まりたいと考えます。(中略)われわれに後世に遺すものは何もなくとも、われわれに後世の人にこれぞというて覚えられるべきものはなにもなくとも、アノ人はこの世の中に活きているあいだは真面目なる生涯を送った人であるといわれるだけのことを後世の人に遺したいと思います。

参考:後世への最大遺物・デンマルク国の話 (岩波文庫)

内村氏は、誰でも遺せる最大遺物と呼べるものは、お金でもなく、事業でもなく、文学でもなく、それは"高尚なる生涯"であると説いている。困難にもめげず、闘ってきた生き様こそが、後世の人の心を勇気づける最大の遺物になるのだ。

現在も多くの人が、生きるため、家族を養うため、あるいは従業員を守るために、日夜懸命に仕事をされていることだろう。しかしながら、目先の損得ばかりを考え、大きな問題を先送りし続けたならば、後世に巨大な負の遺産を遺すことになる。最終的にお金持ちになれたかも知れない。事業に成功したかもしれない。しかしながら、果たしてそれは誇れる人生と呼べるのだろうか?

いくらか努力すれば、物質的に豊かな人生を送ることができるかもしれない。けれども精神的な豊かさを感じるためには、将来を思い、学び続け、行動することでしか得られない。

冒頭に並べた学ぶ理由が空虚に感じたのは、世界をほとんど知らずにやりたいことを決めてしまったからなのだ。学生の読者としては、どの大学に入るのか、どの職業に就きたいのか、とても悩んでいることだろう。しかしどれほどの人がこの広い世界と真剣に向かい合う時間がとれただろうか。一体どれほどの人が、将来を憂い、世界の理不尽と戦っている大人達を間近に見てきただろうか?どれほどの人が真剣に人生を語り合える仲間や環境と巡り合うことができただろうか?

たとえどれほど理不尽な状況だとしても、学び続けることが一つの希望になる。

(後編に続く)


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twitter:kiki@kiki_project
note:kiki(持続不可能な社会への警鐘者)



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