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違和感のある表現2 AppleのcrushのCM

炎上が話題になっているこちらのCM。

様々な意見があり、情緒的不快感を国内外問わず強く持つCMになっています。

私はこのCMを見て改めて感じたのが、
『新しいデジタルデバイスの提供する価値のズレと枯渇』でした。

今までの全てのカルチャーがこのデジタルデバイスに入っていますというメッセージは、そのデジタルデバイス独自のカルチャーの提供ではないのです。

スマートフォンやタブレット、それに伴うサブスクリプションは、所有ではなく共有、具体物ではなくサービスへと移行させました。

デザインからコンセプトの時代に変化すると言われていましたが、まさに何に価値を見出すかという認識に変化をもたらしたと言えます。

ただ、Appleは全く新しいカルチャーを提供したのかと言われるとそうではありません。

今までのカルチャーとの向き合い方には大きな変化をもたらした一方、単に一つのデバイスで多くのことができるという以上の価値は生み出せていないような気がするのです。

このCMは表現方法に問題があっただけではなく、
既存のカルチャーを超える新しいものは生み出せていないこと。
今までのカルチャーを持ち運びできるサイズにしたという、省スペース化、効率化のツールだと開き直ってしまったこと。

を露呈しただけだと思います。

フィジカルの持つ温度感や感触、触れることで湧き上がる感情や刺激。

懐古主義になるわけではないのですが、失われた物があるのなら、生まれたものを提示するべきなのです。

全てを一つのデバイスに。

それは一つの価値ではありますが、手放しで魅力的な価値でしょうか?

Appleが提供したかった価値がこのCMで語りつくされてるのであれば、もうわくわくした時代は来ないのでしょうか?

世界のリーディングカンパニーが提示したコンセプトや未来としてはいささか物足りないと思いました。

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