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中学生の部屋に見守りカメラの是非

子ども部屋にカメラ設置というこのニュースについては様々な意見がすでについています。

ここでは塾経営者、教育コンサルタントの立場から考えていきたいと思います。

育児や子どもの教育は正解がありません。

正確に言えば、人それぞれ何をもって育児や教育の正解かが異なります。

教育に対する価値観は多様化しており、また正解を決めてしまうことでそれにがんじがらめになる、親の思った通りに行かないことで子どもではなく親が挫折感を味わうといったことも少なくありません。

塾をやっていると非常に様々なご希望をいただきますが、大別すると「お金」と「志望校合格」の2つに絞られます。

いくらでもお金をつぎ込めるから、志望校に合格させてほしい

お金をそれほどかけずに、それなりの成績を確保してそれなりの学校には行ってほしい

受験は課金ゲームというマンガもありましたが、例えばSAPIXに行きながら、算数をSAPIXの個別指導PRIVATOに通わせるなどというのは序の口で、完全1対1のプロ講師のみの担当制個別指導で1ヶ月30万近くつぎ込むなんていう受験準備もあります。

また、お金をそれほどかけずにそれなりの成績をと考えた場合、自立していれば通信教育やタブレット学習でも準備できますが、非常に多くの方が一度は塾を検討します。集団塾は比較的安価なものの入塾テストがあるため、成績によっては個別指導を余儀なくされます。

上記2つは一見すると正反対に近い事例なのですが、実は根本の部分は全く変わりません。

親の思い通りの未来を手に入れるための課題をお金を使って解決したい

親は子どものことが心配です。

心配だからこそずっと管理下に置いておきたいし、親の想定を超える将来や進路はうまくいかないのではと心配なのです。

そのためお金を使ってでもいい学校に入れれば、ある程度予想できる未来になると思っていますし、それなりの学校にさえ行ってくれたらそれなりの生活は送れるだろうと思ってるのです。

子どもの部屋にカメラを設置するというのは、親の想定を子どもが超えていくことへの恐怖だったり不安だったりという気持ちから来るものだと思います。

是か非か。

当事者同士が良ければ第三者がとやかく言うのは野暮ではあるのですが、

それでも私は子どものためにも親のためにもならないと思っています。

ある難関進学校の建学の精神に自調自考というのがあります。自らが問いを作り、多くの材料を調べ、そこから考えることを大事にしています。

現代社会は未来に向けても答えのない問いの連続です。

これまでの成功体験をなぞっていれば幸せになれるという時代ではありません。

意図的に放っておく
必要な時を見極め、手を差し伸べる

誤解を承知で言うと、この考え方の真逆に面倒見のいいだけの個別指導塾があります。手取り足取り、これまでの成功体験をなぞらせるような関わりの先には答えのない問いにチャレンジする姿勢は生まれません。

塾に通わせて子どもが成績が伸びる唯一の要因は、客観的に正しい勉強方法を主体的に行える生徒になることです。

客観的に正しい勉強方法はプロである塾が教えてあげることができますが、これを主体的にやるためには子ども自身が自律して主体的に行えなければ叶いません。

そのためには過干渉であったり、監視下に置かれていたりということはあってはいけないのです。

いい学校に行くということやそれなりの学校にはせめて行ってほしいという親の想いを否定しません。それ自体は魅力ある選択肢の一つです。

ただ、子どもは思った以上に色々なことを考え、多くの可能性を秘めています。

それを忘れず、一人ひとりの可能性や人格を少なくとも信じているという姿勢を貫こうとしてほしいと思います。

その関わりは子どもの成長を促していますか?阻害していますか?




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