世界と人間の関係について

 世界は時間と空間からなる。それゆえその世界において起こる出来事(あるいはストーリーライン)は時間の1次元と空間の3次元から構成される4次元的な構造を持つ。時空間上に4次元的に広がった構造をいかに捉えるか?人間の視点は時間と空間において0次元のまさしく点であり、それゆえにある一点における時間において4次元構造全体を捉えることはできない。我々の視点は狭すぎるのだ。そこで、我われは記憶により時間を束ねて、時空間的な広がりに対して直線的な1次元の認識を可能にし、さらに、別の視点からの情報を取り入れることにより、それぞれの視点からの対象の写像を認識してストーリーライン全体の構図の把握を行っている。この能力が、俗にいう真理を見抜く力なのだろう。

 このモデルの問題は、我々の思考が、単に時空間上の粒子の軌跡に関するものではないということだ。それぞれの視点から観測された世界は、それぞれの解釈を含んでおり、同時に体験される五感以外の感情や、あるいは形を持たない抽象的な概念なども世界を構成する重要な要素であり、それどころか、我々にとって重要なのはそういった本来没価値な世界に意味を与える人間の脳の機能の産物なのだ。そこで、これらのことを踏まえた上で、前述のモデルに少し手を加える。出来事は時空間上の4次元的構造を持つとしたが、それと同時に、その4次元構造のあらゆる点において、あるいはその一部の構造そのものに付随する形で、人間の精神空間とでもいうものが織り込まられており、それらの集積がさらに大きな構造を精神空間上に築き、すなわち意味が捉えられる。つまりは、我々の認識の機能というのは、まず物理空間の4次元的構造を捉え、それをもとに、というよりはその把握と同時に、精神空間上にその写像を作り上げることなのではないか。

 実際の情報をもとにどのような像を作り上げるかは人それぞれだろう。人間の脳というのは、無意味な世界から意味に満ちた世界への変換器のようなものだ。そしてその変換器の特性は、自らが作り上げた精神空間全体の構造に従って変化しうる。

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