自信のなさで人に擦り寄っても自滅する
相互に認め合っていない友達関係は、幻覚に過ぎないとすら思う。そしてとてつもなく哀れで無意味だ。
今回はそう実感するに至った思い出話を書いてみる。
昔学生の頃バイトしていた職場に、職場以外に居場所がなさそうなパート主婦がいた。
メンタルのアップダウンが激しくて、良く喋る日もあれば全く喋らない日もあり、仕事の歴で言えばベテランの筈なのに仕事のミスも多く、清潔感もなく、夫婦仲は悪く近隣住民ともうまくやれていないらしく休憩時間はそのようなプライベートの愚痴ばかりで、職場に差し入れがきた時もベテランらしく職員分切り分けたりせず細やかな気も回らず…まあ端的に言うと、職場の皆からイマイチ認められていないような人だった。
本人も空気感でそれを察していたのか、いつもどこか自信なさげで、その反動で承認欲求を満たすためにいつも他人の取るに足らない揚げ足取りをしていた。交通機関の遅れで遅刻した人がいたら職場に入ってきた時の開口一番の挨拶に謝罪がなかったとか、職場に置いてあった期限が切れている割引クーポンを片付けの際に捨てた人に期限切れでも使えるからまさか捨ててないよね?と詰め寄ったりだとか。(しょうもなさすぎる)
自他境界も曖昧な人で、主婦が休憩時間に買い物をしてきたら職員の前でわざわざ開封して購入した商品全部を一つ一つを見せて何を買ったか説明したりしていた。
結論から言うと因果応報で、
その主婦は職場をクビになった。
端的に言うと職務能力不足が原因で、課せられたハードルを越えられなかったため。
クビになったこともドン引きしたし、哀れすぎて言葉も出ないなと思ったけれど、何より私がその主婦に惨めさを感じたのが、主婦が懇意にしていたはずのお局からの冷遇だった。
その主婦は職場のお局様とプライベートでよくサシで飲みに行ったり遊びに行ったりしていて、その話を主婦からよく聞いていたので、2人は懇意にしているのだと私は当時思っていた。
ところが、結論から言うとお局は自分の趣味に主婦を巻き込んでいただけで、主婦に興味があったわけではなく主婦からの一方的な矢印であり、お局のご機嫌取りと自分の居場所ほしさで、主婦が擦り寄っていただけだったらしいことが後でわかった。(日本史嫌いと豪語していた主婦が日本史好きのお局と御朱印巡りをしている時点で違和感はあった。遊ぶ際も2人で何かを楽しむというよりは、お局の趣味に主婦が合わせてお局は主婦を利用する、対等ではない関係性だった)
送別会で、主婦が頼むものをなかなか決められずメニューを手に停止していると、お局が「早くしろ」と苛立ちながら冷たい声色で詰めたり、とても友達とは思えない態度で接しているのに仰天した。最後までお局は主婦に冷たく接していて、心の底から主婦が哀れで惨めに感じた。
自分の自信のなさからくる相手への擦り寄りや依存は、結局自分本位な言動なので相手にも心地悪さが伝わる。お互いに認め合っていない人間関係は友情でも何でもなく、協調性と社会性が醸し出す見せかけの幻想でしかない。
自信のなさで相手に依存しても、結局相手に全面的に合わせて無理をすることになるし、そこまでしても相手から認められない。そんなの無意味な営為だと思う。自分を大事にしているとも到底言えない。
労働にしても人間関係にしても、精神的自立と健康な心身が全ての土台だと思う。それがない状態で無理に世に出て人と深く関わろうとしても自滅するだけだ。職を失い家庭に籠った主婦は、その後何を思い考え生きているのだろう。今でも時々思い返してしまう。
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