ジャマイカ音楽の歴史とアートワーク
翻訳しなおしました↓
Big thanks for Dan Mayer.
元のサイトはこちらです
https://www.smashingmagazine.com/2011/07/design-legacy-a-social-history-of-jamaican-album-covers/
「2000年にはジャマイカの音楽産業は国内GDPのおよそ10%を占めるようになった。
この産業の偉大なる足跡を辿るために1940年代に遡ってみよう、、、
〜スカ〜
「1950年代、スカは観光産業とアメリカのレコード会社の興味を惹くための文化的お土産のような位置づけであった側面がある
ジャマイカ政府は肌の白いオーディエンス獲得のため、中国系ジャマイカ人であるByron Leeを起用した
このジャケットの特徴は角のない親しみやすい文体である。これに当時のジャマイカがやろうとしていたことがパッケージされている。
全ては64年のNY万博を見据えての計画だったが、世界はスカに興味を示さなかった
小難しい社会的な歌詞を一切排除して、エキゾチックなダンスに特化した音楽であるスカ。
これらの試みはAtlanticからリリースされた良作を遺した
〜ロックステディ〜
ロックステディはスカとは違い、少人数のミュージシャンで演奏される
ロックステディのジャケットでよく見受けられる構図がある
だいたい3人ほどの少人数がほぼ横一列に並んでいる構図だ
そこには格差は存在しない。平等主義である
〜ルーツレゲエ〜
これまでジャマイカ音楽を支配していたのはプロデューサーだったが、レゲエの登場によりアーティストに主導権か移った
実験的であり、政治や社会にまつわる歌詞が特徴であるレゲエは、当時最も進んだポップミュージックだった
このジャケは第三世界の田舎の現実を表現している
Lee PerryのBlack Ark studio関連のアートワークは素晴らしい
政治的な弾圧による苦しみを題材にしたこのアルバムのイラストは、
的確且つ鋭敏にアルバムテーマを表現しており、時代のベストと言えるだろう
〜ダブ〜
「ポッカリ開いた巨大な空間、予測不可能な衝突、かすかに聴こえる歌声
Lloyd Bradleyはダブをこう表現した。"まるでアフリカに帰り着いたかのような不安な音楽体験"
ダブにはアフリカ至上主義の側面がある
このジャケの荒々しい色使いや、審美眼は完璧に前述したダブの説明を捉えている
ジャマイカ音楽は欧米のポップカルチャーの影響を受けていた
その理由の1つとしてジャマイカ人はジョークやパロディをこよなく愛することが挙げられる
しかし80年代のダンスホールレゲエの時代になると、その独特の感性はアメリカのヒップホップの物質主義的な価値観に少しずつ飲み込まれていった
80年代のダブは歌詞の訴求力を弱めていく代わりに、イラストのトピックは格段に自由になった
ロンドンを拠点とするデザイナーであるTony McDermottは、常識に囚われないアプローチでScientistやMad Professorといったアーティストのジャケットを手掛けていった
しかし80年代中盤になると、コミックブックスタイルのデザインは質の悪いジャケを量産する言い訳に落ちぶれた
例を挙げるならば、King Tubbyが殺された後に彼の未発表曲は酷いマスタリングを施され、ブートレグとして市場に出回ることになった
80年代はジャマイカ音楽にとって難しい時期だった
Bob Marleyの死、パンクの崩壊によってレゲエはふらふらの状態で80年代に突入したからである
ジャマイカ音楽は新しいアイデンティティ確立に足掻いていた
このジャケはその厳しい時代を反映している。この時代は最悪なジャケットの産出に貢献した
全てのアイデアが出し尽くされ、疲弊しきっていた時代にイギリスのレーベルであるBlood and Fireが設立された
"投げ売りのラックや半額シールからジャマイカ音楽を救い出す"
設立者であるSteve Barrowの文言通り、新しいデザインの引き出しによって刷新されたジャケでダブをリイシューしていった
残念なことに現在Blood & Fireの影響力は消滅しているが、その灯火はPressure Soundsといったレーベルへと受け継がれた
ジャマイカ音楽を新たな形でパッケージする探究は今なお続いている」
リイシュー=再発です
音源に関する権利を買い取って、新たに発売することを再発といいます
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