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Grandmaster Flashインタビュー(1996)

今回はスクラッチのパイオニアであるGrandmaster Flashのインタビューを翻訳しました。

ヒップホップの定義、ビジネスなどについて話しています。

翻訳元の記事↓

それではいきましょう。

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ヒップホップのパイオニアのひとりであるJoseph Saddler a.k.a. Grandmaster Flash。
当時、DJのあるべき姿をまとめ上げ、最も不朽のヒップホップグループ「The Furious Four」、後に「The Furious Five」のメンバーである。
Flashは1976年にスーパースター集団を結成。彼らは最終的にヒップホップヒット曲「White Lines」「The Message」「Scorpio」などをレコーディングした。一方でレコードがリリースされるずっと前、Grandmaster Flashはヒップホップで一番人気だった。Flashのパーティーに行くことは一種のイベントだった。オールドスクールヘッズは最初にFlashを見た記憶を愛しく思っている。彼と彼のグループのショーマンシップは今日のモノと同じではない。

この記事だけでFlashの功績について書ききることはできない。彼はバックスピンからカッティング、スクラッチ、クイックミックスといった今日のヒップホップDJの基礎となる全てのテクニックを発明した。それに彼はミキサーの修理やクロスフェーダーのキューを改良するという功績もある。Flashはビートボックスと呼ばれるドラムマシーンを用いた最初のDJでもある。
このインタビューは1996年の12月、2pac殺害から幾日後に行われたものである。

イ: ヒップホップにおけるGrandmaster Flashのレガシーを話してくれる?あなたはなんでヒップホップ黎明期の人間として名を残せたの?

G: おれはDJやミキサーなどそれぞれの肩書で知られている。それからおれは際立った音楽道を進む男として知られているし音楽を再配列したんだ。おれはそれをクイックミックス理論と呼んでいる。
クイックミックス理論はバックスピン、ダブルバック、カッティング、スクラッチングから構成される。アクロバティックなターンテーブリストの第一人者なんだ。360 turnだったり、肘でカットしたり口も使うしそんなクレイジーなことだってやるぜ。

イ: DJはあなただけじゃなかったけど、最も猛々しいemceeたちとビジネスで手を組んだよね。あなたのクルー、世間からは「Grandmaster Flash and the Furious Five」として知られているグループのオリジナルメンバーについて話してくれる?

G: 最初のメンバーはCowboy。おれは彼のことをThe crowd pleaserと呼んでいたよ。2人目のメンバーはリクルートされたKid Creoleね。3人目はMelle-Mel。彼もリクルートされたメンバーでKid Creoleの兄弟さ。4人目はMr.Ness、後のScorpioだね。最後にグループに加わったのがRaheimさ。おれのアシスタントとしてDisco Bもいたよ。

イ: Disco Bはどういう役割だったの?

G: Disco Bは今でもおれのアシスタントをやってくれてるし、彼自身のこともやってるよ。彼はクラブでも回してるし、おれのクラフトを完璧に手助けしてくれる楽器なんだ。

イ: ヒップホップに関することでここ数年あなたが考えるポジティブな変化は何?

G: ヒップホップが他のジャンルから距離を置けるという事実が分かったな。音楽を再構築して、アレンジしなおして、その上に詩を乗っける、これがヒップホップさ。これこそがポジティブなんだ。
今のヒップホップみたいなのはおれは好きじゃない。おれは本当に慎重にヒップホップを表現しようとしている。

おれとBambaataaとKool Hercはこのカルチャーを種から育て上げたんだ。この種は一本の樹になり、ぶっとい幹がある樹だぜ。その幹から枝葉が伸びるのさ。葉っぱがおれらが話す問題を象徴しているんだ。
ヒップホップの歴史について考えるかどうかに関わらず、おれらは社会的に重要なアイデアからスニーカーみたいにクールなことまで話せるアーティストを聴くんだ。
様々な問題が言及された時期があったけど何が起こってたんだ?おれらはヒップホッパーとしてこの樹について語りが足りていない。

今おれはヒップホップという樹は痩せていっていると感じている。おれらは樹の一方向にだけ重きを置きすぎているんじゃないのか?って思っているって意味だ。この音楽ジャンルがおれらにいろいろなことを話すことを許してくれたんだろ。

イ: なんでそういう考えに至ったの?

G: 音楽ビジネスが大部分を占めていると思うんだ。「Company Left」と「Company Right」の2社のレコード会社については話そうか。
Company Leftはヒットレコードを出してるアーティストを抱えて、Company RightはCompany Leftに張り合うためにアーティストのクリエイティビティを認めるよりもむしろCompany Leftみたいなサウンドのレコードを作るだろうな。
おれの時代から80年代を通して考えてみると、Eric B& Rakim、Chuck D、LL Cool J、KRS-Oneらと一線を画すテーマを持ったやつは誰がいる?おれらは基本的にラジオを沸かせて、レコード会社はおれらがなぜ人気なのか、どうやっているのかを理解していなかった。彼らが聴かないいろいろなテーマのデモでアティチュードを得ていたことが当時起こっていたこと。Company RightはLeftのアーティストがついさっきやったレコードのようなデモを期待していた。ヒップホップはまじで不自然になったんだ。クリエイティブの源泉と流れはずっと減り続けている。

イ: 現在のヒップホップシーンの状況はあなたの時代とは大きく異なるよね。マネーゲームの名前がクリエイティブになって目立ちまくってしまったから。

G: 間違いない。特に音楽について話しているとき、何かをやっているときがね。リリカルなものについて話そうか。音程を外して歌うこともできるぜ。キチンとプロデュースされていたらその曲はヒットするだろ。語られるべき主題があるんだ。
クラシック、R&B、Bluesはレコード会社の音楽ビジネスに強制されている。これらの音楽はブリッジ、コーラスがある。シンガーは決まったキーで歌わなくちゃいけない。ヒップホップはこうじゃない。

イ: ヒップホップじゃないモノが出てきたのはいつ?2 Live Crewみたいなグループを聴く人に会って "これはヒップホップじゃない。" って言ったり、R&Bビートにラップを載せたアーティストを聴く人が "あれはヒップホップじゃない。" と言うだろうね。
ヒップホップの定義は狭くなったよ。多くの人がウエストコーストのヒップホップはヒップホップじゃないとしている。そういう人はE-40やToo Shortをヒップホップとして認めないだろうね。ヒップホップのパイオニアのひとりとしてヒップホップミュージックをどう定義する?

G: 音楽をミックスさせたパイオニアとしてまじでこれはハッキリさせたい。おれはBilly Squire、Michael JacksonからBeethovenをミックスしたぜ。
おれがヒップホップの基礎を据えたとき、そのカギになったのはビートを有する音楽ほとんど取り込めるってことだ。だからライマーはそれにラップを載せることができる。おれが言いたいことは音楽的な側面からFloridaはヒップホップじゃないし、Los Angelsで起こってるのはヒップホップじゃないってこと。このことを言うやつが他にいるか?

Bambaataaがプレイした曲はとてもファンキーだったし、おれはBambaataaたちがやっていたことを知れた時代と場所に居合わせた、特権さ。驚いたよ、ヒップホップの国家とされている「Apache」のような曲を使っていたんだぜ。この曲をやったのはThe Incredible Bongo Band。その多くはホワイトだけどその中にKing Ericksonという一人のブラックがいた。彼はパーカッショニスト。
あれこれヒップホップかどうかを好き勝手に言う奴がいるが、そういう物言いがヒップホップの方程式を作ったんじゃない。ヒップホップは音楽を力強く取り込もうとし続ける人々のためにあるんだ。

イ: メディアはヒップホップに何かもたらした?ヒップホップメディアの僕たちは正しくヒップホップを扱えてる?たくさんのヒップホップマガジンがあってそれぞれ異なるヒップホップの定義を表明している。あなたやBambaataa、Kool Herc抜きでね。
みんな2年前にヒップホップに飛び込んだ男がヒップホップの定義をミスリードするラジオを聴くんだ。でもそれって彼らがラジオに出入りできるからで、彼らが操縦席に出入りできるからだよね。あなたはこのヒップホップを停滞させる活動をどう考える?

G: ヒップホップの定義について言及する人間がいる。これっておれらがキッズに求めていることなんだ。定義は変化し続ける。既に間取りが決まっていてもそれを変え続けるって感じだ。ニューカマーはその間取りの上に設計しなきゃいけない。定義はすでにセッティングされていてるんだ。無限のテーマ、無限の音楽ジャンルさ。70年代初頭に既にそう定義されているぜ。今の人間はそれに沿ってやらなきゃいけない。
もしR&Bトラックを使ってその上にライミングするなら、それもヒップホップさ。その点ではR&Bがヒップホップの手助けを必要とさえしている。ヒップホップの音楽的側面の派生にもの凄いパワーがあるってことを人々は目の当たりにするぜ。定義はすでに定まっている。これはヒップホップじゃない、あれもヒップホップじゃないって主張し続けるのはおれには理解できない。

おれらがスタジオに入ってる頃、おれの視点とHeavy Dの視点は当然ながら違うだろうな。Snoop Doggの視点やLL Cool Jとも違うだろう。でもそれがヒップホップの美しさなんだ。おれらはおれら自身の視点から表現する。
おれらは互いに薬を受け渡ししたりしない。ヒップホップを成長させ続ける責任があるからな。人は自分のキャリアが終わったらそのことを胸に刻まなければいけないよ。おまえがやったことに憧れる子供がいるんだから。なぜ後進に道を譲らない?子供がペンを手に取って紙にライムをしたためてストリートを沸かすために後進に道を譲れ。ヒップホップが嫌いな人からのたくさんの酷評を受ける。ヒップホップ好き同士でけなしあってるべきじゃないんだ。

イ: ヒップホップとバイオレンスをどう考える?

G: ヒップホップは常に活力に満ち溢れている。みんなを可能な限りノせるためにおれらはステージに立つんだ。ずっとそれが目的さ。それこそがヒップホップがオーディエンスに働きかける理由だろ。
今はバイオレンスがこれらに混ざってしまった。個人的にはビジネスの側面がバイオレンスに一役買ってると感じるんだ。みんな契約するアーティストを選べる立場にある音楽ビジネスの人間にアプローチする。それがネガティブの種を育てるんだよ。連中はアーティストになにかをやらせようとする。だってそいつが街中でやってんだからな。アーティストにはそのもう一段階上のレベルを強いるんだ。そして連中はステージをセットするんだ。

不運なことに肝心なことがおれらのモノじゃないときに内輪で議論しすぎている。おれらはレコードレーベルオーナーの子供だ。オーナーの目にはヒップホップ畑の中でおれらがケンカして、議論を引き起こしているように映る。でもレコードを売る限りレーベル側は気にも留めない。おれらは "待て、これは大事な問題なんだ。" と言う責任がある。

これからオールジャンルの音楽にバイオレンスの要素が付きまとうだろうな。ロックンロールや他のジャンルにもね。この点に関して惨劇が音楽シーンを襲うぜ。おれはそれが怖い。だってすべてのレーベルオーナーがバイオレンスという要素を見つけてそこに居座ってコカインをやるんだぜ、恐ろしいだろ?おれらは内輪のケンカを止めなければいけない。おれはステージ上とヒップホップ好き同士でかましあうことにだけ亀裂があると思うんだ。

イ: あなたやあなたのクルーが参加した伝説的なバトルがいくつかあるよね。

G: おれがレコーディングアーティストになる前、おれはバトルとしてそれを見てなかった。例えばおれとBambaataaが同じ部屋でプレイしていたり、おれとKool Hercが同じ部屋でプレイしたりもしていた。DJ Breakoutともそんな感じ。今のオーディエンスはそれらを健全なバトルとして受け止めるだろうぜ。でもおれらの真のバトルはおれらがツアーを始めるまでなかった。

イ: あなたたちはBarkaysとLakesideみたいなバンドとバトルしたって聞いたよ。

G: 例えば、レコードを制作するようになるまでおれはバトルと言う言葉を真剣に使ってなかった。おれらがレコードを作っていた頃、おれらは街に繰り出してサウンドをチェックする準備をするんだ。持ち物はターンテーブルと2本のマイクさ。
他のバンドは "おまえらはここで音楽の交流をしなくちゃいけない。" とか言ってたな。おれらは一流グループの曲を耳にしていた。名前は挙げないけど彼らは有名だった。彼らがこのインタビューを読んだら自分たちのことだってわかるだろうぜ。おれらは顔を引っ叩くようなことをしたんだ。
おれらがステージに立ったときに見つけた出したんだ、パフォーマンスしてたときに、オーディエンスをヘトヘトにさせるためにヒップホップの方程式を使った。おれらはオーディエンスに手を叩かせて、"Ho!" と煽ったよ。おれらがステージを去るとすぐさまドレスルームをノックして次のアクトに "Good Luck" と声をかける。そこからおれらはステージの袖に座って、おれらは演者のプレイを見届けるのさ。バトルが起こったのはこの時期。おれはBreakoutに愛を持ってるぜ。BambbaataaやKool Hercも愛している。

イ: あなたがそれをバトルと呼ばないのはわかった。でも僕を含む多くの人があなたたちのライバルグループはGrand wizard Theodore and The Fantastic Romantic Fiveだと認識している。

G: Ok.おれがフルにグループの活動をする前、L Brothersっていうグループにいたんだ。そのグループにはGene Livingston、Corey Livingstonとまだ小さかった弟のTheodore Livingstonが所属していた。
その後おれはヒップホップの方程式を作り上げた。みんながおれがやろうとすることを理解していなかったけど。おれはまだ小さいTheodore Livingstonがおれの一挙手一投足を観察していることに気づいたんだ。なぜなら機材がGene Livingstonの家にあったから、おれの作業が見れるんだよね。
でもGeneは "おれの弟をターテンブルに近づけないでくれ。" と言っていた。Geneが仕事に言って家を空けている間、おれは部屋にいるTheodoreをこっそり呼んで、いろいろ教えた。彼はずっとおれがやってることを見ていたよ。おれはミルク箱に彼を載せて、ターンテーブルをセットさせた。おれがやっていたことをTheodoreがコピーするんだ。それは長い間おれとTheodoreだけの秘密さ。

ある日、おれはブロックパーティーをやって、Geneにこう言ったんだ "Gene, おれらがお前の弟にターンテーブルをやらせたら、おれらの評判を高まるぜ。" と言った。Geneはおれがやってることを理解できなかったから長い間Geneは意気地になってたんだ。最終的にGeneは認めたよ。

おれはミルク箱とテーブルを持ってきてターンテーブルを持ち出した。おれは群衆にTheodoreをおれの弟子のGrandmaster Wizard Theodoreとして紹介したんだ。彼がプレイするとそこにいた人間は興奮してたよ。まだ小さい子供なのにハードにやれたんだからな。Geneは面食らってたよ。だってGeneはそのトリックを理解できなかったんだから。そこからライバルだったのさ。おれはL Brothersを解散させて、自分の活動を始めた。おれはTheodoreのこと大好きだよ。なぜなあら彼は古くからの付き合いだからね。おれとTheodoreが同じ部屋でバッティングしたことをオーディエンスは見ている。でも彼がやっていることはすべておれがやっていたことなのさ。

イ: ヒップホップはどこに向かうの?

G: 少し危惧していることがあるんだ。神だけが許されている究極の罰を受けるような状況にまでエスカレートしたからな。2pacが死んじゃっただろ?誰も正しいことをやっていない。2pacは人々を辱めたり、決して認容されないことをやった。でも彼の死は絶対に良いことではない。
ヒップホップの行き先だって?おれはこの悲劇がヒップホップ好き同士での内輪揉めをしないことを願うのみさ。おれらが内輪揉めをやめなかったらもっとエスカレートするぞ。今おれにはヒップホップの行き先なんて言えない。Mosque 7で議論されるぜ。おれらは話し合うんだ。暴力をどう止めるのか、解決法を見つけるんだよ。

イ: 最後の質問。あなたたちのようなパイオニアグループはレコード会社と決別したと人々は言うよ。ある意味それは過去のブルースアーティストのように搾取を終わらせたよね。ビジネスの世界に入ってくる若いアーティストに何かアドバイスはある?彼らが間違いを避けることができるように。

G: レコード会社におまえのクリエイティビティを歪めさせるな。おまえはレコード会社のためにやってるんじゃなくて社会に向けてやってるんだ。世の中がお前が何者かを形作る。それからファミリーや弁護士のアシスト無しで契約するな。夢だったことが今じゃ数百万ドルのビジネスだ。だから自分のビジネスが真っ直ぐ進んでいるか確認しろ。

以上です。
2pac殺害の直後ということもあり、シリアスな感じですね。

クスリはやらないみたいなことを言ってるようですけど、G randmaster Flash自身コカインに溺れていた時期があったみたいです。どの期間かは忘れましたが。

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