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雨天決行 Part.3

雨天決行

第1章 雨

────────「雨が上がった日には世界の欠片が落ちているんだよ。」
ある日、君と雨上がりの道を歩いていた時に僕の横でふと呟いた。
「世界の欠片?」
「足元を見てみなよ。」
僕は言われるがまま足元に視線を落としてみると、そこにはたしかに鏡のように晴天の空を映し出す水溜まりがあった。
突き抜ける青と全てを包み込む白がバランス良く描かれているその水溜まりは、まるでこの世界の破片が確かにそこに落ちているように見えた。───────


「えー明日雨かあ。」
君はそう言うけれど、僕は雨が好きだ。
雨は心を落ち着かせてくれる。雨が降った日は家でゆっくり読書をする。雫が滴り落ちる音がなんとも本と相性が良い。

予報通り、次の日は雨が降っていた。身支度をして、傘を持って僕は玄関を出た。
幼馴染なのと、家が近いという理由から毎日一緒に登校している君の家に向かう。
君とは幼稚園からの付き合いで、小中と同じ空間で過ごし、高校も家から近いからという理由で同じ高校を選んだ。
進路を選ぶにあたって本当にそこでいいのかと幾度となく聞かれたが、僕の意見は変わらなかった。しかし本当の理由は君と離れるのが怖かったからだ。読書に没頭し寡黙になった僕にとって、心の許せる人間は君しかいない。それを手放すことが自分の進路のレベルを上げるよりも遥かに大切で怖かった。
そして僕は高校一年生になり、今高校生活初めての夏を迎えようとしている。

僕の家から徒歩30秒で着く君の家は、雨のせいか少し寂しそうに佇んでいた。
君の家の前に着くとインターホンを鳴らした。
「すみませーん」
「はーい!今行くよー!」
インターホンを鳴らすとすぐに君が出てきた。
インターホンを押すとすぐに出てくる君が、まるでボタンを押すと出てくるジュースみたいでなんか自販機みたいで滑稽だった。

玄関から出てきた君は傘では無くレインコートを着ていた。もし君ではなく他の誰かだったらつっこんでいたが君のことだから突っかからずにいた。
昔からこうだった。
差すだけという手間の少なさが売りの傘を選ぶより、手間をかけてでも精一杯動ける体でいたいというのが何とも君らしいと思う。

「なんで雨降るのー。雨なんて降ってもいいことないのにー。」

「そんなこと言うなよ。雨にもいい所あるじゃん。」

「雨のどこが良いの?」

「雨が降ると気分が落ち着くんだ。家で読書するにはぴったりじゃんか。」

「本なんか読まないし私にとっては良い所にはなんないもん。晴れて気持ちが良い方が何倍も楽しいよ。」

雨の良さを知らないなんてもったいない。
かといって、僕も外にいる時に降る雨は困る。誰だって濡れるのは好きじゃない。
傘を差すだけで手の自由が縛られて、太陽が影ることで歩く意欲も無くなる。
水溜まりを踏んだ時はとことん付いてない。

その日は一日中止むことはなく降り続けていた。
授業が終わり、帰りのホームルームを済ませると僕のところに席が三つ前の君が駆け寄ってきた。

「ごめんね!今日補習で残んなきゃ行けないんだ。先帰っててもらっていい?」
手を顔の前に合わせて精一杯の謝罪の意を込められたら許す以外の道が無い。
雨が降っている。一人で帰る道は心做しかどんよりしていて、どこか楽しくなかった。

家に帰るとまず濡れた靴下を脱いで洗濯かごに投げ込む。ここで不快感はおさらばだ。やっと雨から解放される。

床に残る濡れた靴下の後を通り、誰か転ばないか、あらぬ心配をする。

僕にも家族とコミュニケーションを取るくらいの積極性はあるから脱衣所から出て階段を上ってリビングに向かう。
残念なことに今家にいるのは僕だけだそうで、昨日の読みかけだった小説を自分の部屋のベッドから持ってきてリビングのソファに腰掛けた。
昨日は読んでいる途中で眠くなって寝てしまったから、僕の寝相に巻き込まれて本の表紙に少し皺が出来てしまった。
ただ最初は新品で綺麗だった本が、読んでいく内に手に馴染んでいく感覚が僕はたまらなく好きで、本に皺が出来るなんてことも愛おしく思えた。

部屋からタブレットとベッド脇にあるサイドテーブルを持ち寄って、ソファに上手くはまるようセットした。半年前に買ったベッドの脇に置く用のサイドテーブルが実はソファとも相性が良いことに最近気付いた。サイドテーブルの骨組みが上手くソファと床の間にある空間にはまり一体化することで、まるでソファの上にテーブルが浮いてあるような感じになる。
タブレットをサイドテーブルに乗せてお洒落なカフェで流れてそうなBGMを流す。
雨が窓に当たる音と相まって心地良い。せっかくの雨だから、暖かいミルクティでも注いでこよう。最近買った、中に空間があり空気の層がある事により暖かい物を注いでも冷めにくくなっているという機能的なグラス。絶妙な丸みを帯びていて機能面だけでなく見た目もかわいい。お気に入りのグラスだ。
本を片手に暖かいミルクティを飲む。外には大好きな雨音と僕の側で奏でるお洒落なBGM。なんと至福なひとときなんだろう。
僕だけの静かなパーティの始まりだ。



気付いたら時計の針は夜の7時を回っていた。この空間が心地よくてつい長めに読書をしてしまった。
君は今頃家に着いたのだろうか。相変わらず雨は降っている。
無事帰れたのかなんて他人のことはどうだっていいのに。心配性で自己中というまるで正反対な性格を持つ僕は、どうやら君のことを頭の隅で心配をしてしまうらしい。
そんな思いもつゆ知らず君は水溜まりをジャンプして避けて僕なんかより雨を楽しんでいそうだけど。
そんな奴には失敗して転んでしまえばいい。


君にはまるで僕の昔の頃を鏡のように映しているかのように感じる。
ずっと無邪気で、何事にも積極的で、間違えながらも進んでいく。
傘を差す僕に対して、レインコートを着て走り回る君。
家で本を読む僕に対して、補習で先生に間違いを正される君。
誰にでもやんちゃな過去はあるけど、大人になるにつれ、やがて落ち着く。
「丸くなったね。」と言われるのが落ち着いたね、と言われているのかつまらなくなったねと言われているのか、僕には分からない。

子どもの頃の感性をそのまま引き継げたらどれだけいいことだろう。
なぜ君はそんなにはしゃげていられるのだろう。子どもの頃の感覚をそのまま覚えているのだろうか。時々羨ましくなる。
なにかと昨今では問題を美化しようとする。多様性を謳い、「大人」であろうとする。
面白くないものに対して面白くないと言うと、「これを作った人がいるんだからそんな事を言うな」だとか「面白いと思う人を馬鹿にしている」だとか、周りを伺って自分の意見を出さずにいる人がちらほらいる。
 そんな中で、君は雨が好きな僕の前で「雨は嫌いだ」と言う。
僕はそんな君が羨ましい。自分のことを第一優先にして、周りを考えない子どものように君はまず自分の意見を言う。
だが、それでいいと思う。わがままで良いと思う。人に迷惑をかけた分、人からかけられた迷惑を許してやればいい。
 そんな当たり前のことを出来てない人間がどれだけいるか。全ての世界が君みたいな人でできていたらどれだけ過ごしやすいか。

「雨が上がった日には世界の欠片が落ちているんだよ。」
ある日、君と雨上がりの道を歩いていた時に僕の横でふと呟いた。
「世界の欠片?」
「足元を見てみなよ。」
僕は言われるがまま足元に視線を落としてみると、そこにはたしかに鏡のように晴天の空を映し出す水溜まりがあった。
突き抜ける青と全てを包み込む白がバランス良く描かれているその水溜まりは、まるでこの世界の破片が確かにそこに落ちているように見えた。
まじまじと覗き込もうとした僕はいきなり背中を押されてバランスを崩した。
危うく落ちそうになったが最低限の運動により蓄えられた体幹と何としても落ちまいとする心意気によりなんとか耐えることが出来た。
僕を水溜まりに落とそうとした犯人は悪びれる様子もなく笑った。
「ね?言ったでしょ?世界の欠片が落ちてるって。」
君のその感性は一体どこから繰り出されるのだろうか。神様が上から告げたようにしか思えないその素っ頓狂な発想は何にも縛られない子供のようだった。
君には押した罪を謝って欲しかったが、それを見れた事に感謝してひとまず僕はここを許した。




『花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせし間に』
古典の先生が黒板に指を差して言った。
「この文の意味分かる人ー?」
誰も手を挙げなかった。単純に分からないという理由とこの静寂を破る勇気が出ないという集団心理に襲われて、僕達は手を挙げることは無かった。


── 桜の花の色は、むなしく衰え色あせてしまった、春の長雨が降っている間に。ちょうど私の美貌が衰えたように、恋や世間のもろもろのことに思いふけっているうちに。 ──
先生が黒板に書いた字を見て僕もノートにそれを書き写す。
「この短歌の注目すべきところは掛詞にあります。古典でいう花というのは桜を意味します。花の色は桜の色のことを指しますが、ここでは女性が持つ美しさや若さのことも意味します。
うつりにけりな、とは色が褪せり衰えることですが、最後に感動の助動詞の『な』を付けることで色褪せてしまったなあと物思いにふける様子を表現しています。
世にふるというのは、この『世』は文字通りの世代という意味ともう一つ『男女の仲』という意味も持ちます。そして『ふる』は雨が降るの『降る』と時間が経つという意味での『経る』を掛けた言葉となっています。」

日本という長い歴史の中で、こんなにも素敵な完成を持った人が居たという事実に僕は感銘を受けた。きっと酷く寂しかったのだろう。時間が経つにつれてどんどん色褪せていく花と私。どちらが先に朽ちるかなど考えたくもないことを考え思いにふける。とても寂しい歌だと思った。

その後も先生は説明を続けた。
「最後に『ながめせしまに』ですが『眺め』とは物思いという意味と長雨という二つの意味を持った掛詞で、『物思いにふけっている間に』と『長雨がしている間に』という二重の意味があります。どれも大切なのでノートに目立つよう書いておいてください。」
黒板に今説明したことの要約を書き、大事なところに黄色のチョークで線を引いて「ここがテストに出るから忘れないように」と生徒にそう呼びかけて先生の説明は終わった。

小野小町という平安時代に生きた人の短歌であった。
彼女は世界三大美女とも言われていた(らしい)。
平安時代の美しさの感性が今の僕と同じかは分からないが、その時代は容姿ではなく感受性や教養の深さで優劣を付けていたのではないかと思う。
この時代にも雨に対して趣きがあると考えていたのなら、少しは僕の考えと重なるところがあるかもしれない。
雨が降った日は家でゆっくり読書をするという何気ないことが、何千年も昔からあったのなら、それは美しいことだと信じてそのバトンを繋げたい。
小野小町の短歌のように歴史というのは星の光のように伝わる。
地球に届く光が数億年前で、その星を観測すると既に消滅していることがあるように、ある時放たれた「出来事」が歴史として人に伝わる。だが人がそれを歴史と捉えた頃には既にその出来事は終わっていて、我々は残された歴史という過去の光を大切に持ち続ける。
この和歌だって、私に届くよりか、届く頃よりもずっと前に小野小町はこの世を去っている。
ただ人の想いというのは残るらしく、何千年経った今、この歌は私の胸に届き、長い時を重ねてこの私と感性が重なり合うことでこうして私の心に響いている。
過去の人が置いていった感性を、私という遠い未来の1人の人間が拾いあげ、大切に抱えて過去を振り返り現在と繋げる。
過去と未来を紡ぐ人の感性という物は、それぞれが管のようになっていて、繋がって初めて歴史というものを見通せるようになる。
それはまるでタイムスリップしたかのようにさえ感じさせる。



第2章 中間試験

中間試験が2週間後に迫ってきた。教室に着くとクラス全体が少し焦り始めていることが周りの空気からひしひしと伝わる。
「今日スタバで勉強会しない?」
「いいね!」
「提出物出した?」
「出してない」
「おれ成績やばいかも」
「まじ終わった。」

口を開けばテストや課題のことばかりだ。テストで気が落ち込むのも分かるが、あんなものは覚えたものを型に書き込むだけで覚えてしまえばなにも緊張することなんてない。

教室の廊下側の1番後ろに位置する自分の机に荷物を置いて席に着き、今来ている人たちの顔ぶれを確認した。教室を眺めつつそんなことを思っていた僕のもとに、前の方から見覚えのある顔がこちらに駆け寄ってくる。
わざわざ遠くから目を合わせても居心地が悪いので来ているのは分かっていても敢えて目線は下に向けていた。
「ねえ、勉強教えてもらってもいい?」
次第に君はやって来て僕にそう言った。
「どこが分かんない?」
「・・・」
バツが悪そうな顔をしてこちらを見る君を見て、長年付き添った経験から僕は全てを理解した。
「分かった。全部教えるから今日学校が終わったら僕の家に行こう。家に色々参考書とかもあるから合わせて教えるね。」
「お〜。頼りになるね〜。さすが私の幼馴染。よろしゅう頼んます。」
わざとらしく眉を上げてあたかも誘いに乗ってやるというような表情だった。
君が分かりやすすぎるだけだ。
嘘だけは付けない君の性格は僕が小さい頃からずっとそうだった。
「今日は幸い親も帰ってくるの遅いから気兼ねなく出来るよ。」
「やった〜!たくさん遊べるぞ〜!」
「遊びはしないよ?」
「ちょっとだけ!勉強ばっかしてたら頭悪くなっちゃうよ」
「その発言が頭悪いわ」
「うるさい。もう授業始まるから席戻るねー。」

高校一年生という青春真っ只中で、幼馴染とは言え自分の家で女子と二人きりで勉強するという状況が僕にとってはわくわくした。
その日、学校が終わってから僕達は僕の家に向かった。

僕の家に君が来たのはいつ以来だったか。小学生の時に一緒にゲームをしたり、友達を数人呼んでクレープを焼いてみたり、僕にとって眩しい程輝いていたあの頃が今となっては懐かしい。
いつから来なくなってしまっただろう。


「お邪魔しま〜す…」
「いらっしゃい」
本当に誰もいないか伺うように小さく縮んでいる君はどことなく懐かしかった。
昔もこんなんだったっけな。
誰もいないと確信した君はまたいつもの姿に戻った。
「わ!このハムスターの置き物懐かしい〜!まだ置いてるの?」
「うん。どかす理由がなかったからね。もう10年くらいは置いてるね。」
「うひょー。私より長生きなんじゃない?」
「今いくつだよ」
「何歳だっけ?」
「手で数えてみな」
「指10本しかないから数えらんないや。指貸してよ。」
「自分ので2回やればいいだろ?」
「はっ!その手があったとは。。。。手だけに」
「はあ。」
「どうしたの。お手上げですか?」
「家上がらせないよ」
「うっ。それはだいぶ痛手ですな。」
「昔からそういうのだけは長けてるよな。」
「え?私の言葉遊びが上手だって?これはお手柄ですなぁ。まあ人には得手不得手が」
「うるさいな」


玄関からこの調子で果たして僕の部屋に辿り着くのだろうか。
いつまでもここにいるわけにはいかないので、僕は無理やりにでも手を引っ張って玄関から抜け出してやった。
「あっ……。」
「ほら、さっさと行くよ。靴はあとで俺がやっとくから先に部屋行こう。」

柔らかくも芯があるその君の手には少しの手汗と熱を帯びていた。ちらっと見えた君の表情はわずかに赤らんでいたが、外に近い玄関という場所に長時間いたせいで暑かったのだろう。
この後部屋に入ったらエアコンをかけてあげよう。

そうして僕達は僕の部屋がある2階へと上がり、部屋に入った。

「ほほ〜これが男子の部屋ですかあ」
「内見しないでください」
「お家賃はいくらで」
「いくらもないです。部屋なので。」
「なんと!無料なんですか!」
「そういうことじゃないわ」
「嘘ついたって、、、ことですか?」
「嘘じゃないです。あなたの勘違いです。」
「ふーん。難しいですねぇ。」
「そうですねぇ。」

昔からこんな茶番を数え切れないほどやっている。考えるとかよりも前に自然に言葉が出る。
昔から遊んだりしてると価値観が似通うように出来てるのだと思う。

一緒にふざけたり失敗したり、時には何かをやりとげたり。そういった経験が小さくも長く、高く積み重なり今のこの価値観になっているのだと思うと、僕にとって君は最高のパートナーだと思う。こんなに気が合う人は生きていてそういない。というか会ったことがない。なんなら会える気がしない。

そんな僕の人生の運を使い果たした賜物が今僕の部屋をくまなく漁っている。
変なものは無いけれど、あまり良い気はしない。かといって止めるのも何か違うと思って気の向くまま漁らせておいた。

「へぇ。本棚こんなぎっしり詰まってる人初めて見た。昔から読書好きだったっけ?」
「いや、読み出したのは中学2年生とかからだよ。学校の課題で読書感想文を書くってなった時にお父さんからおすすめの本を教えてもらった。はまったのはそこからかな。」
僕の身長よりも高い本棚のたくさんある内の中から読書を始めたきっかけとなる一冊を摘み取った。

「これが僕が読書を好きになったきっかけの本だよ。」
「あ!題名は聞いた事ある。映画化もされてなかった?」
「なってたね。ちょうど本を薦められて読み終わったくらいに映画が決まったからお父さんと見に行ったんだ。」
「へぇー。そんなここまで本を好きにさせるその本って一体どんな内容なの?」
「まあ簡単に言えば余命系の恋愛小説だね。」
「悲しいお話なの?」
「悲しいってよりかは考えさせられる内容だったな。命とは何かって、僕は今何故生きてて、命の価値は時間よって決まるのかとかそういう誰しも直面する生きる悩みとか死についてよく考えさせられる内容だった。」
「むむむ。命の価値かぁ。考えたこともなかったな。」
「貸そうか?多分すぐ読めると思うよ。」
「いや、読みたくなったら借りにくる!今はまだその時じゃない。他にもやりたいこといっぱいあるんだー。」
ああ女子高生って忙しい、と嘆いて自分の腕を交差させて自分を抱きしめた君を見て僕は本棚にそれを仕舞った。



家に来てから40分程経ってから勉強会は始まった。
僕が普段使っている勉強机に座ってもらい、横から僕が指導するような形だった。
初めに数学から手を付けた。どうやら文章題が苦手なようで、そこから教えることにした。
まずは図を書くこと。文字に置き換えて考えること。それが出来たら問題の意味を噛み砕きつつ式を立てること。この三つが数学の問題を解く軸になるという風に教えると、楽しそうに図を書き始めた。
「なーんだ簡単なことじゃーん」
「難しく考えないことも大切だからね。」

苦手な勉強でも楽しそうに学ぼうとする君の姿勢は僕にとっては眩しかった。
いつも自分の部屋で1人で自習をして、教科書やネットのサイトとにらめっこをしてる僕だからこんなに楽しそうにやってる人を見たことが無かった。
何事にも一生懸命でかつ楽しくあろうとする君の姿は僕の一人篭って勉強をしていた暗い部屋を明るく照らしてくれた。

問題を解く君の姿を後ろから眺めていた。肩まで伸びた髪は艶やかに光を纏い、綺麗な白い肌は僕が今までに見たどの参考書のページよりも透き通っていた。
一生懸命問題を解く君を見て、楽しさの中に真剣さを据えたその表情が僕の目を引き付けた。
そんな真剣な表情は今まで見たことが無かったから、君もそんな顔をするんだ、と驚いた。それと共に何故か置いていかれたような気もした。
子供だと思っていた君にそんな一面があったなんて知りもしなかった。
第一印象という言葉があるように、もし第二印象があるのなら僕はそれに気付けているだろうか。僕が見てるのは君の第何印象だろう。

「これで合ってる?」
「え、ああ。合ってるよ。」
「ん?どうしたの?なんか髪にゴミでもついてる?」
「あ、いやなんでもない。自分の部屋に他の誰かがいるのが慣れないってだけ。」
「ふ〜ん。ならまあいっか。続きやーろう!」


それから文章題をいくつか、二次方程式の問題を数問解いて次の科目へと移った。
その前に君の体力が尽きそうだったから一旦休憩を挟んだ。

「づーがーれーだー」
「おつかれさん。疲れたでしょ。」
「も〜体力が1ミリもありません。某モンスターゲームだったら一瞬で捕まえられてる。」
「体力減ってなくても捕まえられそうだけどね。」
「お主殺されたいか。」
「ごめんなさい。」
「お詫びに何か持ってきなさい。」
「何がいいでしょうか。一緒に見に行きますか。」
「うむ、悪くないな。」

僕は侍と化した君を連れてリビングに出た。
台所の奥にあるお菓子が入ってる箱を取り出し、何か良さそうなものがないか物色してみた。

「クッキーあるよ。」
「クッキーは軽すぎる〜」
「食パンは?」
「それはおかしじゃない」
「あ、そうだ。この前おばさんからもらったフィナンシェがあったな。」
「それだー!」
「食べる?」
「食べる!」
そうして僕達は部屋にフィナンシェと麦茶を持ち寄って休憩タイムを取った。
既に時計の針は7時を指して、辺りも暗くなっていたが、夏至も近かったためまだ外の景色も見えるほどの暗さだった。
ここから休憩をして、また始めるとなるとやっぱり帰る時間が遅くなってしまう。いくら家が近いとはいえ、向こうにも向こうの事情があるだろうしそこまで遅くやるわけにはいかなかった。

「暗くなってきたし、休憩したらもう帰りな。」
「ん、まだ数学しかやってないよ。」
「まだ日にちはあるから大丈夫。明日は来れる?」
「いける!放課後少し職員室寄ってくからそれ終わったらいいよ。」
「分かった。じゃあまた明日続きやろっか。」

フィナンシェを口に頬張って「は〜い」と気の抜けた返事をした、子供のようないつもの君の姿を見て僕は少し安心した。
その日君を家に帰した後、僕は敢えて散らかった部屋のまま過ごした。
さっき食べたフィナンシェのゴミと、教える時に使った裏紙の計算用紙が机に散らばったまま君の残像を残した部屋に僕は入り浸った。
部屋を片すことでまた一人になるのが怖かったのだ。君のいた痕跡を消すことが、僕の部屋を照らしてくれたあの光の残像をぱったりと消して、再びあの暗くて一人ぼっちの部屋に戻りそうで、僕はとてつもない不安に襲われた。
君は今何をしているんだろう。僕の部屋とは違って明るくて暖かいんだろうか。
自分の部屋でこんなにも独りぼっちで寂しく立ちすくんでいることは無いんだろうか。
君が僕の部屋に来るまで、こんなに僕の部屋が暗いことも知らなかった。自分の部屋に一人でいることがこんなにも寂しいことなんて知らなかった。一人でいる寂しさより二人でいない寂しさの方が大きいなんて知らなかった。
僕は君を必要としている。僕の暗い部屋には君のとびきりの明るさが必要だった。
散らかったこのゴミ達も明日になれば余熱も無くなり更に虚しさを増すことになるだろう。

その日、完全に夜が深まり外の光が消えるのを待ってから、僕は部屋の照明を全て消して真っ暗闇の中散らかったゴミを捨てた。
何も見えないため手探りで机のゴミをかき集めた。そうするしかなかった。独りぼっちで寂しくて暗い部屋を外の闇と同化させて誤魔化すしか出来なかった。一日の中で一番暗い時間に少しでも明かりがあると僕の部屋の方が寂しくなってしまう。

部屋を片付けた後、ベッドに潜った。寂しさからギュッと耐えるように目を瞑り、布団に包まり、何度も君のことを考えた。
幼馴染で幼稚園からずっと一緒にいた君のこと。こんなにも僕を照らしてくれていたなんて知らなかった。この感情は何だ。分からない。いや、分かっていたのかもしれない。分からない振りをしていたのかもしれない。
何度も君のことを考えた。何度も、何度も。
分からない振りをしていた。憧れて付いていって、追い越したと思ったら置いてかれて。
それでも君を追いかけることを諦めたくなかった。


僕は君のことが好きだった。


玄関で手を引っ張った時の柔らかくも芯のあるあの感触も、子供のように楽しそうに学ぶ君の姿も、真面目に問題と向き合う君の表情も、少しわがままだけど憎めない君の性格も。全てが僕にとって愛おしいものだった。
僕を明るく照らしてくれる、僕にとって必要なものだった。君がいなかったら僕は独りぼっちで寂しいこの部屋でずっと生きていかなければいけない。僕にとって君は僕以上に大切な存在だった。
「はあ。」
それでも僕は君に何が出来るだろう。君みたいに元気は無いし、ユーモアも無いし、運動も出来る訳ではないし、卑屈だし、おまけに顔もかっこよくない。
君からもらったものをどうして僕は返せるだろう。
答えが見つからない自分に対してどうもやるせない。こんなにも自分に腹を立たせるのは初めてだった。
この宛のない感情をいつか晴らせるのだろうか。もし晴らせた時が来たら、一体僕は何が出来ていて、君は何を思うのだろうか。
そんな事を考えている内に僕は眠りに着いていた。


それから2週間後の試験までの間、補習がない日以外は僕の家で勉強会をした。僕も君に教えることで良い復習になり内容もかなり定着した。
試験当日、いつも通り君を迎えに行ってから学校に向かった。教室に入ると普段とは違う出席番号順に並んだ席を眺めた。
「ん〜!本番って感じがするねえ。」
「緊張してる?」
「ぼちぼちかなあ。そっちこそどうなの?」
「僕は、、、緊張してるかな。」
「え〜意外。こういうの緊張しない方だと思ってた。」
「いつもならね。今回は高校初めての試験ってのもあるし、君に教えたことがちゃんと伝わっているかが心配。」
「それで今緊張してるってこと?」
「まあ、そんなとこ。」
もしこれで君が点数を取れなかったら僕のせいだ。一年生の一回目の試験は簡単な問題しか出ないだろうけど、それでも自分の説明でちゃんと伝わっていたのかが不安だった。

今日の科目は国語、英語、数学の順番だった。
幸い試験では教えたところがしっかりと出題されていた。
僕としても教え甲斐があったし、君も手応えがあったようだった。

「はーい。解答用紙後ろから回してー。」
担任の後藤先生が予鈴と共に呼びかけた。
今日の全てのテストが終わった。湿気付いた解答用紙を前の人に渡し、一息ついて周りを見渡した。満足気に足をばたつかせる君の様子を見て少し安心した。

「ねえねえ、私テストできたよ!百満点点!」
嬉々として僕にそう近付いてきた君に、僕は無事教えられたという達成感と密かな恥ずかしさを抱いた。
僕はそれを悟られないように冷静を装った。
「なんだそれ。百点満点だろ」
「ひゃっくまーんてーんてーん、、、てん!」
「痛っ!勝手に人の頭叩くなよ。」
「テストで手応えあったんだもん」
「説明なってないよそれ。」
叩かれた箇所がヒリヒリとした刺激を覚えている。僕が頭を擦りながら意味のわからない返答に答えていると、やっぱり君は悪びれる様子もなく笑っていた。

「明日の科目なんだっけ?」
「明日は化学と世界史だね。」
「休もうかな」
「来なさい。」
「代わりにやってくれたら来てあげる。」
「なんで条件付きなんだよ。」
「私も出席出来てテストも取れて一石二鳥だね。」
「いやテストやんないよ。ばれるでしょ絶対。」
「いいじゃーんちょっとくらい。」

いいから席に着きなよとだらける君をあしらって席に着かせ、僕は帰る準備を進めた。

後藤先生が教室に戻ると帰りのホームルームを始め、明日の予定について話した。
「明日は二科目しかないから、他のテストをやっているクラスの邪魔にならないよう静かに帰るんだぞ。あと暗記科目は例年カンニングする人がいるからな。そんなことしないでちゃんと勉強してくるんだぞ。」

そう言って明日の試験への注意喚起をすると、職員室から運んできたプリントを後ろへ回し、内容を軽く説明した後ホームルームは終わった。

それから翌日に化学と世界史、翌々日に日本史と生物を行い試験は終了した。
それぞれが試験の感想を言い合い、「ここができた」「ここが分からなかった」の言葉で学校全体が賑わった。


高校生活初めての試験を経験し、僕は一つの青春を消費したような気がした。
これからどれだけ試験を積もうとも今日が最初で最後の「初めての試験」でありそれを覆すことは出来ない。
これから先、こういったことがいくつもあるのだろうか。
試験が終わった後のこの空気も、出来なかったところを悔やむこの感情も、湿気で湿った解答用紙のあの感触も、君に勉強を教えたあの瞬間も、いずれは無くなってしまう。
 試験が連れてきたこれらの思い出と感情は、初めての試験ながら僕に寂しさを与えた。


第2章~完~です。
次は第3章の「恋仇」から始まります。
体育祭で幼馴染がほかの男子生徒から言い寄られて主人公の男の子が色んな葛藤と戦うという章になります。ここから恋愛沙汰に発展してより物語の歯車が回り面白くなってきますので、また出来るまでお待ちください。

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