静かに世界のほころびを見つめる

ぼくは物書きでもなければYouTuberでもない、強いて言うなら「ネットアイドル」である。
これはなんのプロフェッショナルにもなれない半端者の自分を卑下して表現しているのであって、別に自己顕示欲とかそういうのでは無いので注意していただきたい。

要はなりたくてなったわけでもなければ、これから先なにかに傾く可能性も少ないのだ。
なりたくてなったわけでもないというのは、家系的なものであり、言うなれば歌舞伎をやる家庭に生まれてしまったとか落語家の家に生まれてしまったとかそういうことだ。
ネット芸能の家庭に生まれてしまったので、仕方がない。
学生時代その事ばかりがつきまとい、逃れられないのだとザクザク自覚させられた。
本名を見るのが辛い。思い出したくもないことが湯水のように湧いてくる。

ぼくは碧杏祈兎。それでいいだろう。
名前も顔も出さないやつに、とやかく言われる筋合いはない。

別にチヤホヤされたいとも思わないし、むしろチヤホヤされるのが嫌で逃げたこともある。というか、これに関しては逃げてばかりだ。

ラジオの冠番組はコンビの番組から相手の都合で1人喋りになり、毎週なにかを喋ることでリスナーが喜ぶことが怖くて仕方なくなり降板した。
実力ではなく、ぼくの名前や生い立ちに興味があるだけで、モルモットのようなものだと思った。
ぼくはそこにないのだ。

YouTubeも精神のリハビリ的にただ好きなものについて備忘録的に動画にしていたら、何故かバズってしまい様々な反応が来るようになってやる気をなくした。
ぼくが意図しない方向に人が動くのだ。仕方ないとはいえ、ぼくはぼくの人気を獲得するために動画を作っていない。

本当に半端者だよなぁと、心から思うよ。
ただ無理なんだ、自分にそんな魅力はないし、ましてや再生数を取ったりするのは本当につらいのだ。
noteでも今がとてもちょうどいいと感じている。これ以上見る人が増えたら多分耐えられない。

ぼくはぼくの考えることが好きだ。
だけどそれを支持する人間というものが、どうしても宇宙人のように思えてしまうのだ。
真意なんて伝わる人間は居ないのに、見透かされているようで胃が痛くなる。
ぼくのことを知った気になって喜んでいるのだ。これが自我なら、ぼくは欲しくなかった。
これは人のことを心から信用出来ないせいだと思うし、そういう風に育ってしまったから仕方ないと思うが。

ぼくは、ぼくの身体を探している。
それは、たぶんこれではない。

お前は何になりたいんだ、と言われたことがある。
ここで答えよう。
「ぼくになりたい」
クリエイターである必要も、人間である必要すらない。
ぼくがぼくで居られればそれでいいのだ。
世界はものに意味を求めすぎだと思う。
不快なものは不快だ、でいいし、好きな物は好き、それでいいと思う。

だからぼくは生産性の無いことをする。
文章も動画もイラストも、所詮絵に描いた餅みたいなもので、実際に手に取ってお腹を満たすことは無い。
しかしそれが無い世界は、美しくないのである。
なぜなら美しさとは全て無駄から生まれるのだから。
無駄で何が悪い。必要なものだけで生きていけるのなら、それはなんと醜いことかなぁ。

二重になろうが髪を伸ばそうが変わらない、などと言われるのが理解できない。
他人の目にどう映るかに対してちまちまと考えているのであれば、整形などそもそもしないのだ。

ぼくはぼくのためにやっている。
それはあなたのためじゃない。

ぼくはぼくになりたいという願望。
それは、「内面の外見と外見を擦り合わせる行為」でもある。
どうやら知らない人が多いみたいだから親切なぼくは教えて差し上げるが、人間の内面には外見がある。
その見た目は人によって様々だ。
ぼくの内面は合金が見事にペールオレンジに塗装された肌に、透き通ったホログラムフィルムのような水色の髪、蒼いサファイアの瞳をしている。
そいつが二重だったから、ぼくは二重にした、というだけの話なのに、どうして他人を介入させるのか。
人間はそうまでして他人とズブズブ関わって生きていかなければならないのか。
だとすればぼくはやはり人でなくていい。
ああ、一刻もはやく体を機械にしたい。
血液が体内を流れていることが気色悪くて仕方ない。

ぼくはぼくの鏡をさがしている。
たぶん、あなたではない。

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