見出し画像

個店は文化でしょ

文化は、人の生活から生まれた共通の価値観に影響された様式や精神活動であり、人の心に大きく影響を与えたり感動を与えたりするもの。
大凡、そのようなものではないだろうか。

ところで、数十年前のことだが、地方都市金沢には喫茶店が数多くあった。どの店も個性的で、店主の魅力的な人柄と相まって素敵だった。珈琲の芳香が漂い、いつも満席だった記憶がある。わたしも、お気に入りの店に足しげく通ったものだ。惜しいことに、今では喫茶店と呼ばれる店は数少なくなり、「喫茶店」ということばも、あまり使われなくなって久しい。今の時代は、カフェだろう。だが、わたしは、喫茶店とカフェは似て非なるものと勝手な解釈をしている。
大手のコーヒーチェーン店がある。全国どこへいっても同じ味、同じサービスを受けられる。これはこれで有り難いし安心感もる。ところが、なぜか面白くない。あの個性的で魅力的な喫茶店が懐かしく思う。あれは、紛れもなく文化だった。大げさに言えば、ひとつひとつの店が文化といってもいいくらいのものだった。

喫茶店を小売業に置き換えて考えてみた。数十年前は、どの業種にも個性的で素敵な店が数多くあり、どの町の商店街も魅力的だった。もっともそれしか無かったのだから。やがて時代が進むと郊外に大型店が出店し、大きな影を落とし始めた。郊外の大型量販店は広大な駐車場を持ち、まるで巨大な集客マシーンだ。クルマ社会と大手資本には商店街や個店は対抗できるはずはなかっただろう。共存共栄を許してくれなかった。

大型量販店は、確かに地域を活性化したのだが、結果的には、地方にとっては、あまり還元されず、消費するだけで消耗してしまったようだ。心のある活性化ではなかったからだ。消費者の意識の変化もあったのだろうが、そこには魅力的な文化は無かったように思える。

わたしは、個店の活躍に期待を抱いている。今だからこそ、心の通った活性化の主役を個店が担ってほしい。消費し消耗するのではなく、地域と共に歩む個性的で魅力的な個店がひつとでも多く現れる事で、豊かなまち(町・街)がつくられていくのかもしれない。それは、感受性が豊かであり明朗で包容力があるまちだ。

近年は、インターネット通販が、大型量販店を脅かす大きな存在となっている。当初、インターネットでは、消費は起こらないだろうとさえ言われていたのに、今では注文すれば翌日に品物が届くことが普通のことになった。

今や、多くの店主は、独自の感性をもって、さまざまなマーケティング手法やインターネットを駆使し、存在をアピールしている。チャンス到来だ。良き時代なのだ。

そうして、戦える知恵と術をもって、お客さんと共通の価値観を持ち、地域に影響を与える存在となり個店は文化となっていくのだろう。


*閃きのカンファレンス*
毎週金曜日開催 午前10時〜11時
オンラインカンファレンス(Zoom)
閃きはスモールトークから
多様な思考や意見に触れることが面白い

参加申込
「こくちーず」で、閃きのカンファレンスと検索

#閃きのカンファレンス
#キリャクプロダクツ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?