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ああ面白い、紙のニュースレター


 ニュースレターの発行のお手伝いをしたことがある。毎月発行、A4版モノクローム両面印刷の簡素なものだった。

気まぐれが、わたしを動かした

 ある料理店の店主から相談をうけた。売上が落ちて回復の兆しがなく、策が尽き悩んでいるという。いろいろ話しを聞いた後、ニュースレターを発行してはどうかと、提案したものの店主はあまりいい顔をしない。忙しくてそんなことをしていられない、それに経費だって掛かる。それに、まともな文章など書いたことがないからできるはずがない。彼は、散々いいわけをして提案を却下したのだが、気まぐれがわたしを動かした。それなら、わたしが作るから、制作に掛かる費用を負担してください。そう言って始めたのが、このニュースレターだった。わたしは、掲載する記事をいくつも執筆し、写真や資料を用意した。それにレイアウトや校正、印刷の手配、すべてひとりで行った。本来なら、依頼主が自分の店なのだから、記事のひとつくらいは用意すべきなのだが、どうしても書けない、時間がないというので、すべてわたしひとりの作業となった。

記事を書くことは問題なかったのだが、他人の店のことについて書くのだから難儀した。商売のこと、店のこと、店主のことを考えながらの執筆だったからだ。この店は、わたしの店ではない。当然、店主ではない。

じわじわ増えてくる

 ニュースレターは不思議なツールだ。発行を重ねる度に、じわじわとお客さんが増えてくる。わたしの書く記事を楽しみにしているお客さんもいたそうだ。残念だったのは、店主の人柄が紙面に滲み出せなかったことだ。それは仕方のないこと。何しろ、わたしにすべてを投げてきたのだから。丸投げとは、このことをいうのだろう。何度もいう、ここはわたしの店ではない。店主ではない。この業界の人間でもない。

発行から2ヶ月を過ぎたあたりから、顔をみせなくなっていたかつての常連さん達が、ちらほらと戻ってくるようになった。また、新たなお客さんも増えてきたように感じた。明らかにニュースレターの成果なのだろう。

その後、しばらくして店主に、掲載する記事を自分の手で執筆してはどうかと再び進言した。あれほど、かたくなだった彼だが、目に見える成果があったことから、渋々、引き受けてくれた。本来なら、自分のことなのだから「渋々〜引き受けてくれた」というのはおかしな話しだと思ったが、わたしも大人だ、飲み込んだ。

彼は、書き始めた。なるほど、書けないと断り続けていたはずだ。合点がいった。あまりにも下手な文だった。それでも、わたしの励ましもあってか、たったひとつだけではあったが、1000文字程度の記事を毎号にわたり執筆するようになった。相変わらずの下手な文だったが、店主の人柄が滲み出た良い出来映えだ。発行するにあたり、誤字脱字はさすがに直しておいた。

店主の記事を掲載するようになると、お客が再び増え始めたようだった。ニュースレターを楽しみにしているファンも増えた。店主の人柄が滲み出た味のある、下手な文を毎回楽しみにしているという。お客さんと記事のネタ話で盛り上がり、楽しくいい雰囲気の店になり、じわじわと常連客が増えていった。どうやら、わたしの狙い通りの結果となったようだ。嫌がる店主を口説いて執筆させた甲斐があった。店主が書き下ろした記事を載せるようになってから、お客さんが増える傾向が顕著だったことも思惑通り。やはり、本人には敵わない。文の上手い下手は関係ない。

わたしが関わったのは、13ヶ月間。その後の店の様子は、ご想像にお任せする。

さっさと始めたらいい。

 発行するには、なにかしらのコンテンツを作らなければいけない。手間が掛かる。それに配布するには経費が掛かる。新聞折り込みやポシティング、印刷に関わる費用が悩ましい。作る時間がない、記事など書けない。そんなことばかり言わずにチャレンジしたらいい。損はない。費用を抑えたいのであれば、レジ横に置けばいい。お客さんのお帰りの際に手渡してもいい。手に取りやすい作りや置き方を工夫しても面白い。印刷代を抑えたいのであれば、少部数をプリンターで印刷したりコピーしたりできる。パソコンが苦手なら、手書きでいい。記事の内容は、自分の日常の中にあったことでいい。そんなことは些細なことだ。あまり深く考えすぎずに、さっさと始めたらいい。

紙媒体であるニュースレターは、アナログだが地域に密着した興味深い不思議なツールだ。機会があれば、再びニュースレターを手掛けてみたい。


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