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いつか、あなたと同じ匂いを着られたら。

洗濯機を回している。ごおんごおんと、懸命に働いている音がする。

洗濯をするのは好き。
世の中には家事の中でも特に「洗濯がきらい」という人もいるらしいので、この性格でラッキーだな、なんて思っている。

洗濯機を回すのは楽しい。見ていて飽きない。勢いよく水を出すところなんか、いつも感心してしまう。

さっきまでの轟音が嘘みたいに思える、終わった後のピー、ピー、ピーと知らせる音も、健気でいい。洗濯という作業を全力でやり切った感がして、本当に感心してしまう。

シワにならないよう軽く叩いて干すのも楽しい。ベランダで干すとき、風に乗った石けんのいい匂いに包まれる。しあわせだなあと思う。

いちにちの終わりに(冬だったら冷たくなってしまわないうちに)取り込むのも、今日をちゃんと終わらせることができた気がしてホッとする。

洋服は基本的にハンガーにかけたまま収納する。その方が折りジワもつかないし、着替える時にわかりやすいので気に入っている。

タオルは折り畳むけれど、端と端をそろえるのはちょっと苦手なので、少しだけ意識を傾ける。折り紙が得意な祖母に「大事なのは、端っこを必ず合わせること」と言われながら折った、不恰好な赤い鶴を思い出す。

「家事、好きなんです」と胸を張って言えない。けれども洗濯は私の中で、日常をつくるもののひとつ、だと思っている。




ルームメイトはとても親切な人で「家にあるものはなんでも使っていい」と差し出してくれた。洗剤はもちろん、柔軟剤も漂白剤も好きなだけ使っていいと。

大きな紫色のボトルの蓋を回すと、外国の匂いが鼻に広がる。ああ、知っている、これ、コストコの匂いだ。コストコに行くたびに「洗剤の匂いがする」と思っていたけれど、本当は洗剤がコストコの匂いなのかもしれない。

前回洗ったパーカーに袖を通したとき、コストコの匂いがふわっと漂った。袖口に鼻を近づけて思いっきり吸い込むと「コストコの匂い」でいっぱいになる。

ルームメイトの彼もまた、同じコストコの匂いに包まれているのかと思うと、なんだか照れ臭いのはどうしてだろう。


人といっしょに暮らしている、と実感するのはいつも、同じ匂いの柔軟剤を嗅いだときだったと思う。

日本の洗剤はそこまで香りの強いものはないけれど、柔軟剤の匂いは個性豊かで楽しい。

シャンプーは同じものを使っていても、なぜか他人の匂いに思えるし(ちょっとドキッとするから不思議)香水はその人の香りと混じって、特別な匂いになるから、共有していることをあまり意識しない。

なのに柔軟剤だけはどうしたって、同じ匂いになってしまうから不思議。どれだけ隠し通しても「私たち、いっしょに暮らしているんです」と周りに言いふらしている。


それに柔軟剤には特別感がないから、余計に色っぽくなる。

昔、いっしょに暮らしていた人に「誕生日プレゼントは何がいい?」と訊かれたので「その年にふさわしい香水がいい」とおねだりしたことがある。

以来、毎年の誕生日が来るたびに新しい香水が増え、気分で重ね付けをしていた私は、歳を重ねていくことって素敵なことだな、なんて思っていた。

これが「はい、お誕生日おめでとう」なんて柔軟剤を渡されても困る(もちろん、お気持ちは嬉しいですけど)

柔軟剤はいくらでも日常的に買えるので、だからこそ「人と人がいっしょに生活をしている」事実を浮き彫りにさせ、なんだか親密な関係を匂わせてしまう、秘密道具なんだと思う。




ところで、私の好きな人はいま、とっても遠いところにいる(生きてます)

遠く離れた地で、私の知らない「大切な人」といっしょにいる。好きな人が、好きな人の「大切な人」と日々をしあわせに過ごせているなら、それはとっても素敵なこと。

でも、好きな人が「大切な人」と同じ柔軟剤を使っていることを考えると、私はたちまち、悲しくなってしまう。同じ柔軟剤どころか、同じ洗剤、同じコストコの匂いを、ふたりで分け合っているのだとしたら。

私だけが、遠いところにいる。その中に「入り込みたい」だなんて決して思わないのだけれど、どうしてこんなに、悲しくなってしまうのだろう。

いつか、あなたと同じ匂いを着られたらいいのに。


あれほど荒れ狂っていた洗濯機が、静かになった。
もうすぐ洗濯が終わるのかもしれない。


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