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小説|なまえ-ひとかけ

あらすじ
——-存在していることの証明になる名前
誰もが当たり前に口にする名前、自分であるという自覚
ある葡萄畑で起こる不思議な事件
“正しい”「守り方」とは——



さらさらとその蔓は降りてきて私に語りかけた。
その雫をごくりと飲み込むと目に見えるもの全てがこれまでより色鮮やかで体は軽く、初めて見た世界のようだった。


昔のことである。十歳かその辺の歳だったと思う。
わしには好きな娘がおって、その娘は不思議な力を持っていたようだった。

「芝 宗次郎、ぼけっとするな!」
ハッと思わず起立した。だが、そう叱咤してきたのは先生ではなかった。後ろの席の早乙女スズであった。
「お前、いい加減にせんか、何の恨みがあって恥かかせんのじゃぼけ。」
「文句あんならしゃきっとせんかあほ。」
こうしてクラスの笑われ者になるのが落ちである。

毎日なんやかんやと言い合いながら家も近所であり正真正銘幼馴染のスズはなんとワイナリーの娘であり、なぜかカタカナでワイナリーなんていうと洒落たどこかのお嬢様かと思うだろうか。
ただのブドウ農家である。
せいぜい百パーセントブドウジュースがいいところであろう。
そんなうちはというと酒屋であり、父ちゃんが幸せそうに酒造から酒を持ってきて幸せそうに眺めている。繁盛しているのかしていないのか微妙な商店街に二つの店は不釣り合いに並ぶ。
スズの家では母ちゃんが店でブドウとその他果物を売り、父ちゃんが畑に出ている。
スズはうちはワイナリーだと言い張り、うちの父ちゃんはそれはいい、そうしよう、というのがお決まりである。
うちの母ちゃんはというと、酒蔵でじいちゃんの手伝いをしている。
酒屋は母ちゃんの実家を引き継いでいるもので父ちゃんは珍しく婿入りなのだ。
じいちゃんの作る日本酒「白妙」というにごり酒はなかなか評判のようであるが、わしは吞めんからよくわからない。
そんなわけで(どんなわけで)わしらはよく広いブドウ畑でスズの弟汰一を連れてよく遊んだのである。家の人からは禁止されていたのだが何せ夏は最大の日陰である。ブドウの実の閉じ込めきれない匂いが広がってとてもとてもいい場所なのである。
毎日毎日喧嘩をしながらも遊んでおり、ただ端から見ると、いや近くで見てもスズはかなりのべっぴんだったからそりゃあ学校でもたいそうからかわれた。わしは気にせんし、からかわれても冗談で、男友達もそれなりにおった。
しかしスズは違った。
女友達が全然おらん。
あいつが男共に好意を持たれるのと、あいつが周りに媚びないのと興味を示さんからなおさら出来ん。そんなわけでわしが幼馴染をやっておった。

「今日も今日とて鬼ごっこから始めるぞ汰一。」
スズは「今日も今日とて」という言い回しにはまっていた。
「宗ちゃん鬼スタートか?」
四つ下の汰一は俺が見ても可愛い弟だ。
「ええぞ、五つしか数えんからな、早う走れよ。」
きゃーと言いながら真っ先に逃げていく。
スズも黙って逃げていく。

ブドウ畑の鬼ごっこでは絶対に木に触れてはいけない。とするとなかなか難しい鬼ごっこエリアなのである。畑を抜けた先には広い原っぱと一本の巨大な桜の木があってこっちで鬼ごっこをしてもいいのだが、せっかくの日陰を無駄にしないぞという、変な子供たちだったのだ。
遠くに汰一の姿を見つけ、走り出そうとした瞬間、汰一の姿がふっと消え、スズの信じられない悲鳴が聞こえた。
さすがにわしも冷や汗半分でそっちに走って行った。
「お姉ちゃーーん!」
汰一の泣き声が聞こえた。
なんと畑と原っぱの境目にほんの一部崖のようになっているところがあって、汰一が落ちているではないか。こんなところにこんな深い崖があっただろうか。
「宗次郎、どうしようどうしよう。」
「メソメソすな!よう見てみい、ツルに巻きついてるじゃろ、あれ以上しばらくは落っこちんと思うから、父ちゃんか誰かよんで来い。」
わかった、と小さく言ってスズは走って行った。わしはその細い蔓を握って汰一に動かんように行った。
「どうしてこんなことに。」
「わからん、こんなとこにこんな崖あると思わんくて底まで落ちるか思ったけど蔓が巻きついて途中で止まった、そんで姉ちゃんが顔真っ白になってかけてきて、でもって俺も死ぬかと思って。」
「ええい、もう静かにしとれ、すぐ誰か来てくれる。」
わしには蔓を握ってやることしか出来んかった。すぐに駆けつけてくれたのは五つ上の兄貴だった。宗一は蔓を引っ張り汰一を拾い上げた。わしにはまだ無い男の力を持っていて、すごく簡単に汰一を救って見えた。
「宗一さんありがとうありがとう」
スズは泣きながら何回も何回も宗一にお礼を言っていた。

ブドウ畑の鬼ごっこは本当に禁止になった。
父ちゃんにも母ちゃんにもこっぴどく叱られ、スズの家にも謝りに行ったのに、兄貴は一度も怒らなかった。ここでの話、兄貴はわしにとって憧れで大好きで大嫌いで苦手だった。
助けてもらったのにわしはお礼の一つも言わんと過ごした。
しかし一週間もしないうちにスズはブドウ畑に行こうと言う。

「汰一は連れていかんし、不思議なことがあるんよ。」
「不思議なこと?」
「行けばわかるよ、今日学校が終わったら桜の木の下にしよう。」
「ブドウ畑行くのに桜の方でええん?」
わしの質問に答えずに、じゃあ遅れんでね、とさっさと行ってしまった。
桜の広場の方からブドウ畑に行く道なんかあったけな?

青々とした桜の木の下にスズは先についていた。なんの説明もなしにブドウ畑の方にずんずんと歩いていく。
「こっちからの道になんかあったかのう。」
「あったんよ本当は。汰一と前に見つけてどっちもいける便利な裏道やと思ってたの。だからあの時もズルだけど汰一はこの道を使おうとしたんだよ。」
何もない原っぱをずうっと歩いて行ってブドウ畑の前まで来た。
ブドウ畑はその畑全体の土ががわしの肩くらいまで上がっている。
「汰一が見えなくなった時、最初はただこの段差を落ちちゃっただけだと思ったんよ。前来た時は少し坂道が続いてて私たちでも行き来できたの。」
「だけど、、、。」
「わかってるよ、けど本当なんだもん。」
そこには崖もなくて、段差と原っぱの間に少し穴みたいな隙間があった。
「汰一はここに落ちたんじゃなかったっけ。」
「そう。でもどんどん崖みたいなのが小さくなっていくの。やっぱりもともとこんなところに崖なんかなかったんだよ。そんで一回現れた崖も今なくなりそうになってる。」
訳がわからんかった。じゃああれはなんだったんだ?もし汰一が落ちていたらどこに行っていた?

「宗一さんにも聞いてみたの。」
「なんで兄貴に?」
「だってあの時助けてくれたの宗一さんだし、宗一さんだったら何か気づくことがあるかもと思って。」
「なんて言っとった?」
「本当のところはわからないけどこの世には時々こういう穴ができるって言ってた。それはどことつながるのと聞いたら、なんでもないところだと言うの。でもあの後毎日のようにこの辺をうろうろしていたよ。」
———兄貴はわしにはなんも教えてくれんかった。


なぜかわからないがこうして布団にいて昼下がりの春風に吹かれていると昔のことを思い出す。
だがそれは思い出として記憶の彼方から呼び醒まされたものであるはずなのに幸せなものとは言い切れない。
確かに思い返せば子供の青春の一部であるがそれは自分の過去であり今に至る自分そのものだ。
楽しいこともいっぱいあるのにこうして思い出すのは苦い記憶や、心のどこかで感じていて吐き出せなかった感情だ。
あの事件のことは覚えているのにあの後どうなったのかよく覚えていない。
肝心な結末がうる覚えで、単にやっぱりわしは兄貴に勝てたことは一度もなかったんだなあという記憶ばかりである。
スズと兄貴はあれからだいたい5、6年後に結婚をした。
そして結婚から1年と半年ばかりで兄貴は死んだ。死んだというよりは、行方不明になってしまったままなのである。雨の中スズが訪ねてきて、何も言わずにそのままスズも消えてしまったのだ。あの時わしは何と声をかけてやるのが正解だったんだろうか。
わしはどうしたっかたんだろうか。

「お祖父ちゃん、これオミマイ。」
そう言って差し出されたのはブドウの花である。
「おおう、今年は早いのう、もう花が咲いとるんか。」
「そうだよ、幸来もちゃんとお手伝いするの!」

「幸来、そんなに騒ぐなよ。」
幸来はぷうっとほっぺを膨らませて目をそらす。
「親父、今年はたくさんいい葡萄ができそうだ。」
「いっちょまえに言いやがって、嫁さんが支えてくれてるおかげだぞ。」
芝家は今やワイナリーになっている。わしと汰一で始めたのだ。わしは三十五で隣町の娘を嫁にもらった。汰一は結婚することなく、独り身でワイナリーの立ち上げに尽力したのでそれをわしの息子である真之介が継いで、そこそこのワイナリーにまでなったのだ。

こうして毎週末、体が思うように動かなくなったわしの元へ来てくれる家族に、幸福を感じている。それとともに、自分の死期が近いことも何ともなしに気づいていた。
だから、昔のことを、忘れようとしてずっとしまっていた記憶を思い出したのだろう。
「幸来、こっちにおいで。今日はじいちゃんが面白い話をしてやろう。」

つづく

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