王国のあさ(4)
わたしはいくぶん、背がのびました。
そして、だんだん口数がすくなくなりました。
いえることが、すくないからです。
口にだしたとたん、禁止される内容だと気付かされることが、多すぎるのです。
それなら、黙っていたほうが楽なのです。
まわりには、口をきかない変なヒトだと思われても。
そうなると人間のオトモダチはできなくて、わたしは動物とばかり親しくしてしました。
…いいえ。
動物だって、わたしにはオトモダチはできません。
父が盗んできたウサギは、わたしが返してきてと泣いたせいで、どこかに捨てられました。
犬もいたけれど、散歩もさせられないまま、繋がれて吠えつづけていました。
そのうち、どこかにいなくなりました。
わたしは、カラスに話しかけます。
彼らには翼があるので、父に捨てられることはないでしょう。
イヤなことがあったら、飛び立てる。
…いいわね。
…わたしも、仲間にいれて。
一緒に、連れていってよ。
カラスと話すには、通行料が必要です。
彼らにも、生活があるのです。
でも、大丈夫。
わたしは、魔法の手形をもっています。
給食のパンを食べずに、だいじに給食袋に入れてきたのです。
以は、まじめに母に渡していたのです。
でも、最近は見向きもされません。
つまらなさそうに横目で見て、食器棚の中に放っておかれるだけなのです。
わたしにだって、心はあります。
よろこんでくれるヒトに、あげたいもの。
パンをちぎって、空に投げます。
…ねえ。オトモダチでいてよ!
…知っていました。
パンが尽きたら、彼らは去ります。
彼らが好きなのはパンであって、わたしではない。
わたしが誰からも好かれない、ということを。
知っていました…。
カラスは頭がよいので、恨みをわすれないといいます。
カラスに襲われた人の話も、いくつか聞きました。
わたしはまだ、彼らに襲われたことはありません。
パンのせいかどうかは、わかりません。
話しかけるくせは、大人になった今も残っています。
周りに人がいないと、挨拶してしまいます。
…あら、こんにちは。あなたたちのイヤがることはしないから、怒らないでね。
土田聡の証言
…藤原アケヲさん…お義姉さんのこと、ですか。
なんて言ったらいいんでしょう。
…ちょっと、答えにくいですね。
変わった人だな、とは思いました。
ただ、僕が会うのはせいぜい年に一度ぐらいのことですから。
そのときだけやり過ごせば、どうにかなることではありました。
よくしてもらっていたとは、思います。
アゲハと結婚するとき、たくさんお祝いをいたたきましたから。
よろこんでくれたんだな、と感じました。
アゲハとお義姉さんは、元々仲が良かったらしいんです。
アルバムなんか見ると、おそろいの服を着せられて。二歳ちがうけど、双子みたいでしたね。
それが、いつからか…。ささいなケンカで、会わなくなったようですね。
たしか、僕とつき合い始めたばかりのころだったと思います。
アゲハとは、ネットで知り合いました。
結婚に対する価値観が似ていたので、違和感はありませんでした。
アゲハのほうがずいぶん強気にでることがあって、僕がそれを叱って。それから、しっくりいくようになった感じですね。
お義姉さんは…そうですね。いつも、居心地悪そうにしてました。
…自分の実家なんだから、羽を伸ばすわ。そう宣言してくつろいでいるアゲハと、正反対でしたね。
妻の実家で、僕が落ち着かないのは、当たり前なんですが。
お義姉さんは、それ以上にばつの悪さを感じていたかもしれません。
…原因、ですか。
僕には、わかりません。
会う時間が短いし、会話もあまり弾みませんでしたから。
…ただ…。
お義姉さんはアゲハのこと…、憎んでいるみたいでしたね。
里帰りのときに、実家で会った二人がケンカして…。お義姉さんから僕に、長い長い手紙がきたことがありました。
お義姉さんなりに、ある種の筋道を通そうとしたんでしょう。
僕には僕の考えがありますから、手紙でそれを伝えました。
返事は、きませんでしたね。
お義姉さんがなにを考えていたか、ですか。
僕には、わかりません。
アゲハだって、わかってなかったんじゃないかな。
そうですね。
アゲハも、お義姉さんのことを憎んでいたかもしれません。
鏡に写したような、姉妹でしたから。
お互いをうらやましがって、相手の持ちものを自分のものにしたいと願っていた。
…そうですね。
僕たちの子供に障害がみつかったとき、なにかがひび割れたのかもしれません。
アゲハは生みたいといったけど、僕は反対した。その後の苦労が、目に見えていると思ったからです。
アゲハは子供が生めなくなって、そのことで僕をなじりました。
…ええ。僕が悪かったんでしょう。
それから、アゲハに対して強く出られなくなったかもしれません。
僕は、夫婦二人でもやっていこうと思えたけど。
新しい家と、すこかやでかわいらしい子供と犬小屋と。
絵に描いたような幸福を、求める女でしたから。
自然と、別居になりましたね。
僕は元々転勤が多いので、これまでとそんなに変わらない生活でしたけど。
アゲハはひとりで社宅にいるより、実家に帰りたがるようになりましたね。
お義母さんは、お義姉さんに言ったらしいんです。
アゲハのかわりに、健康な子供を生んでやれと。代理母、というんでしょうか。
アケヲさんは長く独身でいましたけど、健康な子宮をもっている。まだ、間に合うはずだ。
それを、妹のために役立ててやれと。
…僕ですか。
とめましたよ、もちろん。
これ以上、ケンカの原因を作ってどうするんです。
子供のことはあきらめて、静かに暮らそうって。
お義母さんは、どこかアゲハに似ていますね。言いだしたら、後に引けない人みたいです。
姉妹の仲なんか、もうめちゃくちゃですよ。
放っておいてほしかったです、僕とアゲハを。
変に希望をもったら、つらいじゃないですか。
言わないでください、僕だってね。
なにもこんな目にあうために、アゲハと一緒になったわけじゃないんだ。
普通に暮らしたいですよ。
平穏な生活を、返してください。
お義姉さんには、そう言いたい。
僕は、できるだけのことはしたつもりです。
…疲れました、もう。
アゲハはずっと、あのままなんでしょう。
僕も、もう限界をこえていて。
しばらく、病院に通いました。
あの土地へは、二度と戻りたくありませんね。
忘れたいですよ、全部。
わたしは学校を出ると、会社につとめはじめました。
会社は、うちから一駅ほどの距離にあります。
でも、駅から離れた不便な場所にあります。
そもそも、うちの建っている場所が、駅から遠いのです。
シガイカチョーセイクイキ。
そういった区分の土地を、父は安く買ったのでした。
歩きやバスでは行けないので、中古の軽自動車を買いました。
選んだのは、母です。
卒業が近づいたある日、母がわたしに電話をかけてきたのです。
「あんたの車、買っておいたからね」
わたしは、ぽかんとしました。
そんな話は、一度だってされたことかなかったからです。わたしのほうが、聞き逃したのかもしれませんが。
車なんて、高くてぴんときません。
通勤に必要になるかもしれないと感じながら、わたしはそれ以上考えようとしなかったのでした。
「なにも、聞いてないけど...」
「聞いてないっていったって、いるんだよ。あんた、春からどうやってあそこに通うのさ」
「…そうだけど…。前もって聞いてくれるとか。車の色、決めさせてくれるとか…」
母は、軽やかに笑い飛ばします。
「…そんなもの。あんたの収入じゃ、軽の中古しか、買えないに決まってるんだから。色なんて、どうだっていいんだ。乗れればいいんだから」
…収入、って。
今のわたしには、わずかのお金しかありません。
土日ぜんぶアルバイトにいって、賃金を学費にしたからです。
それでも足りなくて、奨学金を借りました。
まだ、七十万円ほど残っています。
わたしはこれから、それを返してゆかなければならないのでした。
「お母さん、借金、したの? また、借金したの?」
「しかたないだろ、そんなの。ローン、組んどいたから。毎月ちゃんと、あんたの給料から返済するんだよ」
わたしの肩に、百五十万円の負債がどさりと乗せられました。
「…吉澤さん。藤原アケヲは過去、新興宗教団体と接点がありました」
「…ん」
眠そうに見える瞼をしばたたいて、吉澤保が目をあげる。
香田冴子が、パンフレットのような冊子を差しだす。
表紙には、紫と茜と金色に輝く空が刷られていた。
仰々しいフォントで大きく「王国の夜明け」とある。
終末は近い…来たるべき千年王国にそなえ、私たちは今、何をすべきですか
警句とも脅迫ともつかぬフレーズが並ぶのは、不安と依存心を煽るしくみだろうか。
「…宗教法人・王国の夜明け。輸血を拒否して子供を死なせた事件で、有名になったところです。海外では、破壊的カルト団体に措定されています」
「…ああ。あそこね」
吉澤自身も、信者に遭遇したことがある。
日曜日の朝ともなれば子供連れでやってきて、聖書研究にさそうお決まりのフレーズを並べる。
断ればおとなしく帰ってゆくから、一般には迷惑な来訪者としか思われていない。
しかし、ひとたび家にあげた人間なら、知っている。
善良に見せかけた羊の皮の向こうに、彼らは別の顔をもっている…。
「参考になりそうな関係者を二人、ピックアップしておきました。吉澤さんも行かれますか」
NPO法人・破滅的カルト団体から子供を守る会 代表中村真弓の証言
「私どもはおもに、カルト組織中の最弱者である児童の保護を目的に活動しています。…人権侵害の団体ですが、彼らは周囲にそれを隠していますから。内情を調べるには、一通りの方法では太刀打ちできません。そこで、元信者の方に協力頂いて、内部に入りこんでもらっているわけです」
「…囮捜査ですな」
思わず口をはさんだ吉澤に、中村真弓は笑ってみせた。
「…そういうことに、なるでしょうか。調査を続けた結果、明らかになった事実があります」
「…それは?」
今度は、香田冴子がメモを片手に問いかける。
中村真弓はノートパソコンの画面を向け、グラフを示した。
「…王国の砦――信者のあいだでは『城』と呼ばれる集会所の、建設月日と件数です。八十年代から、建設が急増していることがおわかりいただけるかと思います」
「…よく、町はずれで見かけますね。ラブホテルみたいな色合いの、変な建物を」
中村真弓はくすりと笑った。
「ええ、そのラブホテルもどきです。建設費は教団の資金ではなく、王国の羊たち――信者の寄付でまかなわれています」
「…かなりの額になりますね」
「…そうですね。海外の教団組織では、建設作業を信者が担うケースがあります。事故死の報告もありますね。あくまでボランティアによる事故ですから…教団は責任を負わないことを、明言しています」
吉澤と香田は、顔を見合わせた。
中村真弓は二人に緑茶をすすめ、自らも口にする。
「そして、ここからが本題です。実線で示した『王国の砦』の建設数と比較してごらんください。点線は、児童虐待の報告件数です」
…え。
かすかな声が、空間を震わせる。…こんなに…。
実線と点線は、相通ずるように絡み、もつれあって上昇していた。
「…報告はおもに、週に二度ひらかれる集会の際に見聞されたものです。『王国の砦』が建設される以前は、市や町のコミュニティセンターを間借りしておこなわれていました」
「…どうして、でしょう。『王国の砦』ができたことは、信者にとって長年の夢だったのでは…?」
「もちろん、そうでしょう」
「それが、なぜ…?」
「夢の実現には、暗い側面がありますからね。彼らは闇を見ないんです。光のみしか」
「…コミュニティセンターで集会をひらいていたときは、部外者の目がありましたね。建物をきれいに使い、管理者によい印象をのこしておこうとする自衛がはたらく。組織を守るために。次の集会でも、施設を使わせてもらえるように」
「…私たちも、そのように問題をとらえています。『王国の砦』は、大きな密室ですから。そこで何がおこなわれても、部外者からは見えない仕組みなんです」
「…見えないから、なにをしてもいいと…? 善人であろうとする神の羊たちが、そんな考えかたを…?」
中村真弓は、静かに微笑んだ。…聴きますか、羊たちの声を。
「…使われるのはおもに、鞭に似たものです。革べルトが多いと聞きました。お尻など、衣服に隠れる場所を鞭打つようにと、指導規範が配られた組織もあったそうです。祭壇の後ろに、折檻用の道具を保管していた集会所もあったとか。…集会には、家族全員で参加するよう指導されます。…子供たちを、疑問をもたない二世信者に育てるために」
「…ずっと、聖書の話が続くわけですよね。小さいお子さんなら、退屈するのはあたりまえだと思いますが」
「…そうですね。私も、そう思います。…しかし、彼らはそう考えませんでした。…来たるべき終末に選民となって救われ、千年王国の恩恵にあずかるために」
…鞭を、ふるったのです。
香田冴子の鼓膜の底に、子供の悲鳴が焼きついた。
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