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たったひとつの愛

私の母は、子供が何をしたら喜ぶのかわからない人だった。
他人の子供はまっとうに可愛がることができても、自分の子供となるとどうしていいかわからなかったようだ。
母は知らない。私が好きな食べものを、なにひとつ。
冷めた翌日の湯豆腐。同様に、冷めた翌日のサヤエンドウの味噌汁。
それらを冷めたまま貪り食っている私を見ても、好きな食べものだとは気づかなかったようだ。
それとも、見ていなかったのかもしれない。
子供に無関心である母が、唯一子供のために買ってくれたものがたった一つある。
地元のパン屋が製造していた、チョコレートを掛けたドーナツである。
揚げ置きして時間の経ったような粗めの生地に、チョコレートを浸した油っこい菓子である。
たまに用事で町に出た時に、袋の中から取り出してくれた。そのおずおずとした手つきを、覚えている。
「(子供は)こういうの、好きなんでしょう…?」
私は、母が期待するほどには喜ばなかったのだと思う。
突然奇跡のように優しさが降ってきたので、どう反応したらよいかわからなかった。
次の瞬間には、手のひらを返されるかもしれない。
そう思うと、ありがとうもろくに言えなかった。
母はうっすらとため息をついて、私にドーナツをくれた。
私はそれを、ぎこちなく掴んでおずおずと食べた。上目遣いに、母の様子を伺いながら。
母が自分の好きなものを、子供も好きだろうと決めつけて押し付けてくることは珍しくなかった。
チョコレートのドーナツが、母の好物であるなら話は早かった。
パン屋の袋には、ほかにもいろいろなパンが入っているようだった。母がその場を外したときに、私はあわててパンの袋を開けてみた。
朝食用と思われる、サンドイッチや食パン。あんドーナツはたぶん、父の分。
チョコレートドーナツは、ひとつも入っていなかった。
その後も母は、何度かドーナツを買ってくれた。しかし、私と一緒にドーナツを食べることはなかった。
純粋に、私のために買ってきてくれていたのだ。
それを知ったとき、なんともいえない気持ちになった。
うれしいのに、塩っぱいのが混ざったような、泣きたいような、笑いだしたいような。
ドライフルーツの入ったパウンドケーキのほうが好きだとは、言えなくなっていた。
あのとき、もっと嬉しそうな顔ができていたら。
母と私の間に横たわる、妙な気まずさも少しは救われただろうか。
消えたいぐらいかなしい気持ちになったとき、無性にドーナツが食べたくなる。
ザクっとした生地の、ちょっと油っぽい安いドーナツを。半分チョコレートに浸したやつを。
大人になってから、まだそのドーナツが販売されていることを知った。
買って食べみた。うん、確かにこういう味だった気がする。
流行のオシャレ系ドーナツや、地元食材系ドーナツとは一線を画したジャンクな味わいだ。
油が指に、べっとりと着いた。
…おいしいか?
…いや、あんまりおいしくはないかな。モソモソする。喉に詰まる。
たぶん、母の不器用な手が差しだした、おぼつかない愛情がまぶされていたから。
だから特別だったのだ。
母が私のために、たった一つしてくれたこと。
チョコレートドーナツを買ってくれた。
あの安い菓子が店先から消える日が来ても、たぶん忘れない。

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