見出し画像

なか休み十夜:来年コメダ珈琲で

コメダ珈琲はマジで神だ。私を真面目に働かせたいと思う上司は、私の家の隣にコメダ珈琲を建てるべきだ。もしくは私の家をコメダ珈琲にするべきだ。
『去年ルノアールで』というエッセイがあり、それを原作としたドラマがあった。私はその作品をドラマで知った。売れる前の星野源が主演で、南海キャンディーズの山ちゃんや、スチャダラパーのANIなどが出ていた。演出は、『モテキ』などの大根さんだ。売れない文筆家の主人公が喫茶店のルノアールに来るお客さんや店員を観て、「この人は実はこうかもしれない」と妄想を繰り広げる。そういう着眼点は当時すごく新鮮で、どうしようもなく漂うサブカル感がツボをくすぐった。エッセイとしてもドラマとしても、すごく新しかった。今も続くそういうジャンルの源流にある作品だと思う。
私もいつか『来年コメダ珈琲で』という妄想エッセイを書いてみようかしら。それがドラマ化されるなら、主演は誰がいいかなあ……なんて妄想をぼけーっと考えている。

❖ あふれる

多分きっと、私にとって「書く」ことはすごく大事な時間なんだと最近すごく感じる。きっと、とりとめもないことをただ好きなように書くことがストレス発散になっているんだと思う。
仕事や日常が忙しくなると、書く時間がとれなかったり、集中して書けなかったりする。そんな時は本当にもどかしいし、モヤモヤする。このまま書く時間がとれないままで、そのうち書き方も忘れちゃって、もう今までみたいに自由に書けないかもしれないと不安になる。
今日は、その書きたい気持ちが限界までいってしまった。書く予定なんてなかったのに。でもそんな時は書かないといけないんだって思う。マジでとりとめのないことが、脳から湧いて溢れ出ている感覚がある。すごく楽しい。楽しいけれど、内容として面白いのかは分からない。ただ私は楽しい。生きている、という感じがしてくる。まあ、そんないいもんじゃないんだけど。

❖ 夢十夜

もう今日は本当に時間をかけず、ちょろっとだけ、さくっと書いてしまおうと思っていた。のだけれど、どうしても夢十夜の話がしたい。
私は、夏目漱石の『夢十夜』が好きだ。『夢十夜』は、きっと世間が持っている漱石の作品のイメージとだいぶ違う。むしろ、漱石のなかで、こういった作品は、『夢十夜』ぐらいじゃないか?と思う。
そして、私が書いているこのエッセイのようなもののタイトルも、この『夢十夜』からきていたりする。それぐらい好き。

『夢十夜』は、「こんな夢を見た」という書き出しで始まる、第一夜から第十夜までの10編の短編で構成された小説だ。どれも幻想的で、曖昧で、すこし不気味な“夢”が語られている。どの短編も好きだけど、ぶっちゃけ大体よく分からない。それぐらい明確ではないもの。
なかでも、私は『第七夜』が好きだ。超ざっくりとになってしまうが、内容を紹介する。
『第七夜』の主人公が大きな船に乗っている。けれど、なぜ乗っているかもわからないし、船の行く先も知らない。乗客に声をかけ行き先を聞いても、怪訝な顔をして「なぜ?」と言われるし、周りの喧騒に、すごく心細さを感じてしまう。いつ到着するかも、どこに向かっているかもわからない。周りの人々も、つまらない。だから主人公は、「もうこんなところいやっ!」となって、死ぬことを決意する。けれど、海に飛び込もうとして足が甲板から離れた瞬間に、主人公は命が惜しくなってしまい、「よせばよかった」と、心から後悔するのだ。

「自分はどこへ行くんだか判らない船でも、やっぱり乗っている方がよかったと始めて悟りながら、しかもその悟りを利用する事ができずに、無限の後悔と恐怖とを抱いだいて黒い波の方へ静かに落ちて行った。」

夢十夜 第七夜より

私はこの主人公にすごく共感する。共感の理由はさまざまある。でも、分かりやすいもので説明すると、もう解散か、名残惜しいなあ。え?二次会行くー!!と思って付いていった二次会で、やっぱりあの時帰るべきだったわ!と後悔するみたいな……。
そんな安っぽい思い出と重ねたら、漱石さんに怒られてしまうだろうか。でも、紐解けば、そういうことじゃない?って思っちゃう。
『夢十夜』は、夢という曖昧な体裁をとっているから、結構なんでもありだ。ぶっとんでるし、意味不明だし、物語に明確な答えなんてきっとないはず。
寝起きでまだ布団のなかにいて、そういえば、こんな夢見たな~っておぼろげな記憶を手繰り寄せる時間。ぼんやりとしてはっきりしないものにただただ浸る。そんな心地よさが、夢十夜にはある。

❖ ベスト・フォー

今日は、好きなアイドルグループのメンバーが卒業するというニュースがあった。その子の卒業コメントを読むと、それはたしかに、その状態でこれからも続けていくことは難しい、と納得できるものだった。どうしようもないことだし、決して不誠実なものではない。むしろ、今まで続けてきてくれてありがとうと思った。これからも応援しているし、好きな気持ちは変わらない。……それでも、やっぱり寂しい。
そのコメントを読んで、何時間も経って、何周もぐるぐる考えたけど、どうしたってやっぱり寂しい。そのグループが結成してから、その子は7年間ずっとそこにいた。そのうち私は5年間を見ている。私の記憶にはその4人しかいない。
もちろん、その子が卒業してからも、そのグループを好きな気持ちは変わらないし、新メンバーが入って新体制になっても、絶対好きだ。でも、やっぱり、どうしたって寂しい。けれど、この寂しさはどうしようもできないから、ただ過ぎていくのを待つしかない。
アイドルを好きになってから(それはアイドルに限らずだけれど)、そんなどうしようもできない別れと、毎回闘っている気がする。

これまでもこのさきも、あなたたちベスト・フォーがいたことを、私は一生忘れないよ。


❖ 全文読まなくてもいいから、これだけ絶対に聴け

最近すごく思うのは、ここでは、誰でもない、自分のためだけに文章を書きたいということ。しかし、そうは思っていても、さまざまなことを意識するし、自分からわざと設定をして書くこともある。それでも、それすらも、楽しみに変えたい。そして私が書きたい時に、好きなように書けたらいいなと思う。だから、すごく大事にしたい。
本当はしばらく書く予定はなかったんだけど、今日は溢れちゃった。
だから書いてるんだなあ、わたし。

やくしまるえつこ『わたしは人類』