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心臓ふたつ、9ヶ月の終わりと新しい日々の始まり。

今、自宅で我が子と一緒になって今日で1週間になる。

結局、私が先に退院になり子供は3日後となった。退院までの数日、13時からにGCUの面会に夫と行き搾乳した冷凍母乳を渡し、おしめ替えや抱っこ、そして私と子供のマンツーでの授乳練習をした。この直母練習は退院試験のような感じでこれがクリアするといつでも帰宅となる。哺乳瓶×ミルクにしてしまえば簡単なのだけど、ここは日赤母乳道場。下の売店でさえ粉ミルクは売っていない。なのでGCUに入った赤ちゃんとお母さんが毎日別室で授乳練習をしている。広尾日赤だけあって海外のお母さんもいて、助産師が片言の英語で話していたりする。あなたのオッパイはハードだから赤ちゃんがソータイアード。ルー大柴かよ・・・と乳を横でやりながら思った。でも会話もしてないけど、あの人もこの人も頑張れ。。!と心の中で思った。そして自分も。

運がいいことに、私の母乳の出は良好で子供の哺乳力も気管挿管が3日前に抜けたばかりには見えないほど吸い付いた。あとは私の自信の問題。普通の母子は出産後5日間ほど同室して帰るのだが、たった3回の授乳練習で帰るのはすごく心細い。迷ったけど、もうやるしかない。自分と子供の力を信じようと日曜の朝に退院にした。フニャフニャで小さな我が子はまだコニーにもエルゴにも小さすぎるのでお包みオンリーでタクシーに乗るのだけど、もう緊張して肩がバキバキ。家につき、やっとコットに降ろした時は「はぁ〜」となった。のも束の間、新しい24時間一緒生活がスタートを切った。

初日はもう、訳わからずやるしかない!が続き2日目3日目となると夫(育休)も私も参ってしまった。そこで日中代わりばんこにどちらかが30分1時間ほど散歩か買い物に出かける事にした。ずっと家の中にいるより一度は気分転換で出るという感じだ。私は子供が心配すぎて最初は30分出るのがやっとだったけど、久しぶりに音楽を聴きながら外の風にあたった。

何が嬉しいって自由時間よりはもうお腹の中に子供がいないから転けても最悪クルマに轢かれても私しか傷つかないという事だった。

妊娠後半、胎動を強く感じるようになってからは自分の体に心臓が2個というのが愛おしい反面、緊張感や怖さがあった。私に何かある=お腹の中の命が危険。コロナだって喘息持ちの私がもし感染して呼吸困難で低酸素状態になったら子供が危険。なんならコロナになったら日赤で手術してもらえるのだろうか・・・色んな可能性が頭をよぎった。そこから解放されたのと、無事に外の世界に誕生してくれた事、自分も出血が多かったけどこうやって母乳をあげられて外をふらふら歩く元気があること、それがとても嬉しかった。お腹から出てしまえば寂しさもあるんだろうかと思ったけど、出てくれたから顔が見え声が聞こえる。元気なのか心地いいのか悪いのかが分かる。そっちの方が大きかった。

今スヤスヤ寝ているこの子が、9ヶ月自分のお腹の中にいてミクロの細胞からこんなに姿になって出てきてくれたのがまだ信じられない。お腹をボコボコ蹴っていた感触の正体が目の前で眠っている。

子供大好き可愛い!みたいな人間じゃなかった私は、そこまで子供という存在を愛せるのかと思い出産前に知り合いに話すと「自分のお腹から生まれて来るんだから、それは格別だよ」と子供を持つ人(男性)に言われた。そうかなぁ。なんて心の中では思っていたけど、確かにそれはあるなと思う。泣いている姿は土偶みたいだけど、穏やかにスヤスヤ寝ている姿は極上の可愛さだ。自然界が可愛い守りたいと思わせるように創ったのだろうけど、にしても可愛い。私のDNAが確実に入っている何とも言い難い生命体。

生まれた瞬間は嘘みたいに涙が止まらなかったし、NICUに子供に会いに行った時も号泣してしまった。自分の感情や人格ってこんなだったっけ?と驚いた。こんなに感情をかき乱される経験は何年振りだろう。いつかそんな事も忘れてしまうのかもしれないけど、書いておきたかった。
1日1日が光速で進んでいく育児の日々だけど、二度と来ない瞬間をいくつも超えていく。
泣きそうな感動も眠れない辛さも、更新していくのだ。
子供を持つのも持たないのもアリ。と思って生きて来たけど、持つ選択を良かったと何年後かに思えたら良いな。。
と思いながら鳴き声に呼び戻された。

(これを最後まで書けたのは1ヶ月後になってしまった。その話はまた次に。)

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