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文章は自作の手榴弾。

恐ろしいことに気づいたんだけど、ここ数ヶ月間、友だちに会っていない。ということは、友だちとくだらない会話をしていない。

平日はずっと仕事上で会う人と仕事の話だけをしている。仕事以外の雑談をするときもある気がするけど、その雑談も結局は仕事につながる。全てが仕事に通じるのだ。仕事ってローマなのか?

それから誰かと一緒にご飯も食べていない。もちろん妻とは食べる。でもランチとか夕食とかはだれからも誘われないし、こちらから誘いもしない。いつも吉野家か松屋かカレー屋さんか、マクドナルドか、あるいは食べないか、車の中で食べるビッグポークフランクとおにぎりか。

ぜんぶ1人で食べてる。だれとも話さず。

もしも自分がもう1人いたとして、ひとり寂しく吉野家のカウンターで牛丼を食べている私を目撃したなら「(トントン)一緒に食べよか〜?」と言ってあげたい。紅しょうがを山ほどかけて牛丼を食べると思う。


それから会食もない。断る。

会食しないと仕事にならないなら、それはきっと仕事じゃないと思ってるところがあるけれど、それはただそう思い込みたいだけで、なんやかんや会食はだいじ。

一緒にご飯を食べる行為って、潮永さんと昔スタエフかなんかで話したけど「粘膜を見せる行為」だから。結構仲良くなれるんだよね。

「粘膜を見せる行為は恥ずかしいでしょう」と言っていたのは井上陽水で、彼曰く「三大粘膜シチュエーション」があるらしい。

それは排泄・生殖そして食事だ。陽水はこれらが恥ずかしいらしい。前者2つは理解できるが、食事も粘膜を使うから恥ずかしい、と言っちゃうあたり、やはり陽水のセンス。食事は口をあんぐり開けるから口腔粘膜を人様に晒しかねないもんね。

つまり、人と仲良くなるときは粘膜を見せ合うといい。私は見せないけど。


仕事も家庭も、なぜかやることが山積みで「自由な時間」を捻出できない。そんな自分に「まだまだ三流」と思いつつもかといって責めることもない。

スケジュールは秒単位とは言わないし分単位とも言わないけれど、少なくとも30分単位だ。それから締め切りもたくさんある。自分がコントロールできないことも多い。



そういう日々を送っているわけであるから、こうやってnoteを使わせてもらって文章を書くことはストレス発散になる。

私がなぜ毎日noteで文章を書くのか。

過去そんな記事を書いたけれど、死屍累々の五十音の屍の下に埋もれて「私が毎日書く理由」なんてだれも知らない。


この際だから書きたい。

私が毎日文章を書く理由はストレス発散。

書くということは、海にむかって自作の手榴弾をぶん投げ爆発させているような爽快感。それも毎日。


スポーツもしない、友だちとも会わない、ご飯はいつも1人、黙々と仕事、家に帰れば家事、休日は買い物、キャンプや温泉・サウナには行かない。しまいには「アルコール」に逃げることも封じられている。



そんな中で、ストレスの発散先。


ここ。



というわけで、雑に詠みます。


─────愚かな日々の戯言。理由をつけるのが得意な指たちの踊り。石ころの見方を伝えるエンタメが大爆発。


〈あとがき〉
ちょっと忙しすぎてスタエフをやる時間がないんですけども。かれこれ2ヶ月音声配信をしていません。あれをやると友だちと話せるから楽しいんだけど、色んなことが落ち着いたら、それか気が向いたら、またやりたいです。今日も最後までありがとうございました。

【関連】毎日noteでエッセイを書く理由

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