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地方在住者が首都高を走ると思うこと。

首都高を日常的に走る人はマジですごい。

20歳くらいで運転免許をとってから現在まで、私は無事故無違反である。だから当然、免許証は金色に輝いている。10年以上、北海道の広い道、長い道での運転、つまりは長時間運転を何度もやってきた。

札幌の街中は一方通行の道が多く、おそらく初見ではパニックになる。その中でもイカしたドライビングテクを炸裂させ、いつも思うのは、おいおい、俺ってば運転うまくねーか?

車を駐車するときは、もちろんモニターなんて使わずに昔ながらのやりかたでイケてるバック駐車をぶちかます。免許取り立てのころに何度も練習したからお茶のこさいさい。

高速道路の合流だってスムーズに決める。ウインカーをちゃーんと出せばハイスピードで走る車の列の中にだってチャキチャキっと入れるってもんで。


だが、20代前半のときに一度だけ走った首都高

あれはガチもんの恐怖体験だった。


なぜか忘れたが、静岡に旅行に行くことにした。三島とか秘境駅とか、富士山が見えるどこかとかに行った。山道を走っていると野生の猿が出てきて「おいおいマジかよ、ワイルドモンキーやんけぇ」と笑顔になった。

静岡にたどり着く前、私は羽田空港でレンタカーを借りた。東京から静岡までの距離、時間はよくわからないが、乗る必要があったのである。首都高に。


あれはもうただの恐怖体験。

ふつう、高速道路の合流レーンは左車線にあるものだ。ところが首都高はちがう。右にもあるのだ。となると、運転手は左からの合流に追加して右からの合流にも気を使う必要がある。タスクが1つ増えるのだ。

首都高がこんな恐怖の伏魔殿的な建造物だという事前知識なく私は首都高を運転した。「え、なんで右からも合流してくるんだ?」と恐怖する。ハンドルを持つ手はガタガタと震え、普段北海道で無双ドライビングをしている私の背筋はピンと伸び、生ぬるい汗が背中をつたう。

首都高の思い出。それは見慣れぬ看板。

なぞの「速度回復」の文字。

なんだ速度回復って? このゾーンは速度が勝手に回復される場所なのか? マリオカートの加速のやつみたいに? そんなわけもない。あれはたしか坂道などで車の速度が下がる場所なので、渋滞をおこさないように「速度を回復せよ=アクセル踏め」というメッセージ看板だと後で知った。


首都高は体感300キロの超音速で走る車のオンパレードであった。体感で300キロだ。しかもやけにみんな車間距離が近い。

音速で走ってるのに車間距離が近いってどういうことだ。事故るだろ。東京の人たちは車の運転すら生き急いでいるのだろうか、と疑問に思った。相変わらずハンドルを両手で握りしめる私。

田舎者から見れば、首都高は一瞬も油断できないような恐怖が常に続く。



首都高は東京の縮図。みんなが音速で走っている中で、それに合わせなければついていけないのが首都高であるから、私も激音速で走った。途中「首都高……これはなにか、まさに東京の縮図やんけ」と思ったものである。

それはつまり、みんながみんな、なぜか超スピードで生きていて、他人に興味もなく、ただ自分の運転に集中している様子がそのままTOKYO摩天楼ライフのようだと感じたのだ。

あっちの人からすれば「いや、普通ですよ」なのかもしれないが、君たちの普通をこちらに押し付けないでほしい。でも、この意見は私の普通を押し付けているわけであるから、なにも言えないなぁ。


首都高を運転していると、後ろから「ピーポー」という音が聞こえてきた。ミラーを見ると救急車が後ろから猛烈な勢いで迫ってくる。

え、こちらも激音速で走ってるはずなのに、なぜ距離を詰められるんですか。音速の壁をさらに超えた、光速とは言わないまでも、とにかくソニックな救急車が迫ってきた。


心配になったのは、ミラーで何度も確認しても、救急車が超スピードで通れるようなスペースがなかったことである。車列の距離が近く、救急車が通れるスキマなどないと思えたのだ。

にもかかわらず、救急車は車と車の間隙をぬって通り抜けていった。音速のドップラー効果だった。



首都高を日常的に走る人はマジですごい。


私のようなクソ田舎の地方で鼻をとがらせているエセ運転マニアのような心を見事にへし折ってくれる。あんなところ、二度と走りたくない。


〈あとがき〉
首都高を走ったときになんかめちゃくちゃおもしろいことがあった気がするんですけど、いかんせん恐怖のほうが強すぎて、なにが起きたのか思い出せません。あの道路はマジで怖い。その点、北海道の高速道路は走りやすく、いつも遠方に向かうときには「首都高はこんなもんじゃないけどな」と思っている地方民です。今日も最後までありがとうございました。

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