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実力の7割の生活。

自分が本来持っている実力がどれほどのものなのかはわからない。だが、秘めたる能力のうち7割でも出すことができたなら、それは十分に合格に値するのではないか。

共通テスト(旧センター試験)を思い起こしてみると得点率7割というのはある程度の国公立大学ならば射程圏内である。

あるいは2次試験でもいいし大学独自のテストでもいい。得点率7割ならばそれすなわち合格だ。


全力を尽くした結果の7割。瞬間的に力を発揮して結果的に7割の出力。なんども言うが十分である。



日々暮らしていると、これは私の場合なのだけど、なんだか理想の暮らしをしようみたいな強迫観念にかられることがある。朝早く起き、運動をしてニュースをチェックし、朝食を食べ、みたいなある種の理想的な生活。

それから仕事もそう。忙しくしなければならない、みたいなワーカホリック礼賛みたいなものもある。それは爪の先まで神経をはりめぐらせた商談をするであるとか、アポイントは1日できる限り入れてさらに議事録も残し、ウンタラカンタラだとか。


つまり100点の生活、実力の10割を目指した暮らし・仕事をしようと思っちゃう。目指しつつも結局それが達成されることは決してないのだけども、なんだか目指してしまうのだ。

もちろん目指しつつも妥協をする。しかし妥協をすると、自分はなんてダメなヤツなんだという自己嫌悪に陥る。


7割もいければ万々歳なのではないか、ということを主張したい。もちろん10割を目指すのだけれども、いつもそれだと疲れる。人生はどうやら長いものであるらしいから、継続を意識せねばならない。


そうなると、7割、いや6割でもいい。


いつかも書いた気がするが、そもそも自分にその実力があると信じ込んでいる姿が傲慢であるし、仮に実力があったとして、10割のパフォーマンスを出せると思っているのもヘンな気がする。

野球、サッカー、バスケ、なんでもいいけど、特にスポーツの場合は「失敗」が前提ではないか。野球なんて3割打てれば一流と呼ばれるじゃん。


実力の6割から7割をいつも出すようにする。それ以上も以下も目指さない。そうしていると、ときたま実力以上のものが顔を出すときがやってくる。100点は目指さない。人生は長いから。


この記事は決して、脱力バンザイだとか、脱成長イェイみたいなものではない。はっきり言えば私は「常に全力出さんかコラ」の派閥に近い。「近い」と書いたのは私が理想ではそれを抱いているのに実際の行動に移せていないからだ。

だからこんな平凡な私の場合は「6割〜7割をコンスタントにやるしかない」と言うしかない。


文章もそうだ。


持っている素養の6〜7割も出せたならば、その文章はたぶん傑作になると思う。


〈あとがき〉
どうも理想に飢えている自分がいます。でもそれこそ私は選ばれた人間ではないのでコツコツとやるしかありません。いやそもそも、なにを目指してコツコツやろうと思っているの? と質問されると困ってしまいます。自分でもわかりません。こういうところです。今日も最後までありがとうございました。

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