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輝ける10年。

ビジネスの領域で世界を股にかけて活躍し、今はなぜか札幌にいるその人は、現在50歳を超えている。

私が東京海上にいたころに出会ったその人は、やけに物腰が低いのだが、その話しぶりは才気煥発。輝いている。

だからというか、その人のことを師匠と呼ぶことはなんとも恐れ多い。だから呼べない。


その人の口から出る言葉のひとつひとつに含蓄がある。それだけの実績を積み上げているからこその説得力。説得力しかない。あと、この記事を最後まで読んでも「その人」が誰なのかは明らかにならない。

かと思えば、その人にはきちんとしたユーモアがある。世界を舞台にしてきたわけだから、ジェスチャーも世界水準だ。日本人ではなかなかやらないようなジェスチャーをするのだけど「じゃあ、どんなジェスチャー?」と問われると表現が難しい。

「バフェットやビル・ゲイツのような想像を絶するお金持ちというのは、この世界にたしかにいてですね」


平日のある夜、その人とご飯を食べていた。
なぞのお寿司だ。

バフェット、ビル・ゲイツの名前が出てくるかぁ、まぁこの人なら然り、と思って興味津々で話を聞く。その人が言うことには、


「想像を超えるお金持ちほど、スピリチュアルなことを言うんですよ、イトーさん」

と言いますと? と聞いてみると言うことには、


「あの人種の人たちは、自分のスピ具合、つまりはこだわりですね。関係のうすい人にはスピった話をしないものなんです。ヘンな人だって思われたらいやでしょう?」

ほうほう、それで? と聞くと言うことには、

「むかし、台湾にいる、とんでもない人と仲良くなったあとに言われたのです。『〇〇さん、外から帰ってきたら塩で手を洗いましょう。できれば足の裏も塩で洗いましょう』とね」


そのこころは? と聞いてみるとこれまた言うことには、

「外ではたくさんの邪気的なものをさわるでしょう。足の裏にもそれがついている。邪気的ななにかですね。塩で洗って清めるんですって」

邪気的なものですね。たしかにスピっているなぁ。スピっているのだが、その台湾の方の概略を聞くと、これまた説得力がある。スピってるからこその説得力。



「ぼくはもう50歳を超えていますから。若いころのようには働けません。代わりに後進の育成です。若い芽をみると、とにかく応援したくなりましてですね。それも正しい哲学を持っている若い人たちですね」

「え、その正しい哲学を持った若い芽って、おれっすか?」とは聞かない。聞かないというか、聞けない。


「これ以上、上にはもういけない、登り切った、っていう限界点が見えてきたのは50代前後のことでですね。もうあのころには戻りたくないと思えるような期間を繰り返し過ごしていると『やり切った』と思えるわけです」

ほうほう! お寿司むしゃむしゃ!

と、言いますと? と聞くと言うことには、


「人間、誰にでも輝ける10年があります。気力、体力、知識、経験、名声、すべてが熟練の域に達して、がむしゃらに働くことになる、そういう輝ける10年が必ずあるんです」

おぉ、それはいつでしたか? と聞くと言うことには、

「私の場合は35歳から45歳にかけての10年です。あのころは輝いていました。戻りたくはないですけどね」

お寿司を食べながら、じっと見つめて言ってくる。


「輝ける10年が、絶対に誰にでもあるのです。イトーさん、それを逃さないようにしてください。どんな人にも必ずきます。遅いか早いかの違いはありますが、必ずきます。夢中になる10年間です。何があっても突き進んでください。何があってもです」


この話を聞いた私は「ほげぇ〜」となり、これは私のことを言ってくれているのだろうか、とは思わなかったのだけど、やはり世界を舞台に戦ってきた説得力。説得力というか戦闘力。戦闘力というか人間力。



誰にでも輝ける10年が必ずくるらしい。

遅いか早いかの違いはある。

これを読んでくれた方には、その輝ける10年を決して逃すことのないようにしてほしいな。


<あとがき>
ちょっと濁したもどかしい内容にして申し訳ないのですが、そうらしいです。この話を聞いたときに思ったのは、このnoteの中にいる人たちのことで、輝ける10年が必ずある、ということを伝えたくなりました。こうして哲学は伝染していくわけですね。今日も最後までありがとうございました。

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