広がるnoteの世界
小さな頃からむくむくと想像をかき立てられる文章を読むことが好きで、文章を書くことも好きだった。
人見知りで口下手な自分だったけど、不思議と文章では自分のこと気持ちを言葉にすることが出来た。
日記を書くことも長く続けていた。その日あったことや、思ったこと、感じたこと、気づいたこと。書いてると自分の気持ちが整理されて、気づかなかったことに気づいたりして気持ちが落ち着いた。
今も手帳に日記を書いている。誰にも見られることのない日記。とりとめもないこと。ただのその日あったことなどの羅列。
今、私はnoteを書いている。
ここでもとりとめのないこと。その日あったことや、感じたこと、思ったこと。
どこの誰だかわからない私の日記のようなどうでもいい文章。細かなところはぼかして抽象的に書いている。こんな誰だかわからないどうでもいい文章を、なぜだかどこかの誰かに見られる場所で書いている。
ずっと前にはブログを書いてみたこともあったけど、続かなかった。このnoteは居心地がよくて、こんな私の文章を読んでくれる人がいたり、スキしてくれる人がいたり、コメントまで寄せてくれる人がいたり。読んでくれる誰かがいて、そのどこかの誰かとつながっている感じがとてもうれしいのだと思う。
どこかの誰かが書いた文章。
思ってること、日々のこと、物語…。そんな誰かの思いにふれることも世界が広がって、世界とつながっているようで。その誰かの文章にくすりと笑ってしまうこともあれば、気づかせてもらうことがあったり、いろいろな人の思いにふれて、とても大切な場所になってしまった。
つい最近「人に無関心だよね」と言われることがあった。自分と似てる、という意味で言われた言葉で、嫌な気持ちには全然ならなかったし、傷ついたりもしなかったけど、それはとても本質をつかれたような気がした。
人は人、と思っているところがある。その人の道はその人にしか決められないよなぁと思ってる。自分の気持ちを伝えたり、伝わったり、共感したり、誰かの言葉や行動で揺さぶられることはあるけど、その人の心はその人だけのものというか。
そう思ってはいるし、自分の気持ちの整理で始めたnote。noteに書くことで、気持ちの整理がされて、自分の思ってることを普段話しやすくなった。けど、気持ちの整理だけではなくて、やっぱり人とのつながりをとても求めているんだなぁと思う。
いつも読んでくれたり、スキしてくれたり、コメントしてくれたり。とてもうれしいです。
いつもいろいろなどこかの誰かの文章を読ませてもらって、ほっこり毎日の小さな元気の源(うまい表現が思いつかない)になっています。
しばらくはこのnoteの世界から離れられそうにないし、好きだなぁと思う文章にふれていたいなぁと思う。
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