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本気で向き合い、書く 。- 聞き書き甲子園23rd 夏研修-

8月12日-15日にかけて開催された、聞き書き甲子園の研修に参加した。
場所は高尾の森わくわくビレッジ。学園の組織の合宿で、約半年前に足を踏み入れた場所だった。

高校生と大学生の楽しげな声が響く研修室。そこで映し出されたものは、私にとって大きな鍵となるのだろう。

聞き書き甲子園:高校生が、日本のさまざまな地域で暮らす 森・川・海の名人を訪ね、一対一で「聞き書き」するプロジェクト。
https://www.kikigaki.net/

「聞き書き甲子園」ホームページより

降車口の一歩

鍛冶橋の乗り場から出発したバスは、窓に緑を描写しながら目的地に向かう。
隣には1歳下の男の子。先生から推薦されて参加したらしい。
参加した経緯を話した。先輩が過去に参加していて、そこからこれを知って、ビビッときて……。
話を続けるうちに、私の心がだんだんと心が青色に固まっていくのがわかった。
ああ、そうか、これからなのか。
前日になっても新幹線に乗っても湧かなかった実感が、少しずつ私を固めていく。
心がすっと真っ直ぐ立ったころ、バスの降車口が開いた。
「書くこと」と本気で向き合おうと決めて、私は足場をまっすぐと踏んでバスを降りた。
しばらくして、とうとう研修室に通される。
緊張がはびこる広い部屋の中で、開会式、スタッフ紹介、講習とどんどん始まっていく。

2日目。インタビュー、文章作成と聞き書き作品を作るための工程が進む。
私のグループが取材するのは、東彼杵町の役場に勤めていらっしゃる女性。
おおらかで暖かく、ユーモアも持ち合わせた素敵な方だ。
いつも通り本気で質問出しをして、本気でインタビューをした。
その日は夜までグループで机を囲み、懐かしいのりの匂いを漂わせながら作品を完成させた。

聞き書きは、自分の言葉を一切使わず相手の言葉のみをそのまま使う手法。まるでインタビュー相手が語っているかのような作品。私の文章の書き方とはまるで真逆で、だからこそ面白かった。
聞き書きの実習やこれまでのことを通して考えたとき、言葉を発信するのには「伝えたい」という気持ちが必要なのだと思った。
実は、私の場合、第三者に「伝えたい」という気持ちで記事を書くことはそこまで多くない。大抵は「書きたい、楽しそう、わくわくする」という気持ちから言葉を描くのだ。
どうすれば誰かに「伝えたい」という気持ちを見つけられるのか、そもそも人生と「伝えたい」の気持ちの関連はどこなのか。思考はそこで行き詰まってしまった。
しかし、聞き書きにおける取材とは、相手の人生を探り共に輪郭を見つけていく作業。私が大好きな対話と通ずるものがあった。

鏡が写したのは

3日目の講評の時間、高校生が研修で作成した作品に鋭い言葉が飛び交う。
少しそわそわしながら待っていると、私の所属していたグループの講評の時間が来た。少し前に送信された添削画像にはあまり指摘がなく、少しだけいい評価を期待していた自分がいた。
しかし、評価は酷かった。

「改行できてなくて、ものすごく読みづらかった」「添削する以前の話」
極めつけには、
「みんなこの文章を引きたくなかった、罰ゲームみたいな感じ」
身体中に張り巡らされている糸がピンと張った。
悔しかった。考えれば考えるほど、溜まりかけた涙が今にも溢れそうになる。

「目の前に映ることは自分の鏡。感情は何かのヒント。」過去にそう教えてくれた人がいた。
なぜこんなにも悔しいのか、他責にしてしまうのか、なぜだ。
どこが痛い、どこが苦しい、なぜ。
広げたテキストの上に願いがひとつ零れ落ちた瞬間、他人に対する怒りがすっと引いた。

これまで文章に最後までちゃんと向き合ったことがあっただろうか。
企画書を書いて、取材をして、インタビューをして、そこまではいいけれど。文章に起こして、構成を考えて、最後までちゃんと向き合えていただろうか。
相手の願いを言葉にすることに本気になれていただろうか。その願いを誰かにつなげることに、聞き手のことを考えた文章を書くことに納得できていただろうか。
全然、できていなかった。
だからこれまで書いた記事には、どこか自信がなかった。
やるならとことんその瞬間と向き合おう。鬱陶しいくらいに、相手の願いを汲み取ろう。そう決意した瞬間だった。

そうと決めたからには、せっかくインタビューさせていただいた役場の方のお話を無碍なままで終わらせたくない。自分が納得するまでやりたい。
だから、同じ気持ちを持っていた友達と一緒に改行からやり直すことにした。

隙間時間や休憩時間を使って改行し、校正し、文章や言葉の移動をした。頭をすごく悩ませた文章もあったけど、本当に楽しかった。
その瞬間は言葉と共にあったし、役場の方の人生や仕事とちゃんと向き合えている気がして、嬉しかった。
修正していると、それを知ったGL(グループリーダー)さんや事務局の方が声をかけてくれることもあった。はじめは10分だけと言っていたのに、20分1対1でフィードバックをくれたGLさんもいた。

そういえば、私は一人にはなれなかった。私の周りにはたくさん支えてくれる人がいたんだと、ちゃんと見てくれる人がいたんだと、今思い返せば嬉しくなる。

4日目の深夜0時過ぎ。満足いくまで仕上げた作品。
頑張った、楽しかった。眠い。不思議な感覚だった。
振り返ってみれば、文章に対してここまで真剣に向き合ったことなど一度もなかった。
いい意味でも悪い意味でも、特に何も考えずに感覚で書けてしまっていた私にとって、目を伏せていた事実と対面する大切な機会だったのだと思う。
もう一度校正をお願いしているが、きっとまだ指摘される部分もあるだろう。でも、あれを乗り越えられたからもう怖くない。楽しみばかりだ。

着火された起爆剤

そのあと、私のグループの作品を添削してくれたGLさんが、私たちのことを気にしていたという噂を耳に挟んだ。
(ここに書いたら、あまりいい顔をしないだろうか。)

添削についてはむしろ感謝しているくらいだったし、今更気にするなんて人間らしくてかわいい人だなと思うくらいだった。
きっとあの言葉がなければ、自分が目を伏せていた内側の部分とちゃんと向き合うことはなかったと思う。
それに、こうしてnoteを書いていないだろうし。
だから感謝を伝えておいた。

みんなとの別れ際、その人と約束を交わした。
「絶対にいい記事を書く。いい作品をつくる。」
ちゃんと"書く"ということ、相手の人生を一緒に言葉に起こすこと、そして読みやすさの面から読者の視点も忘れないこと。
その3つも、心の中でそっと添えて。

人生の中にある「書く」を、私なりに描く

どうやら高尾は、私にとってターニングポイントになる場所らしい。

3月に同じ場所で参加した合宿では、"昔の私"がずっと助けを求めていた。
人と関わることへの怖さから、私がわからなくなっていた。
それでも対話をして、みんなと活動をして、楽しめるところは思いっきり楽しんだ。
どう生きるのか問いがたくさん生まれた時間だった。

そして今回。熱がこもった場所で、心が青い炎で静かに燃えていた。
ここには書ききれないくらい、言葉にするのが勿体無いくらい大きなものをもらうことができた。

中盤でも少し話した通り、私は「伝えたい」より「書きたい」という感情から記事を書くことが多かった。「伝えたい」の気持ちが大きくないのは、ライターとして欠陥となる部分だと思っていた。
でも、それならいっそのこと、私は「書くこと」をとことん楽しんだ上で、取材する人や依頼者から「伝えたい」のエネルギーや言葉をもらえばいいんじゃないか。
心で繋がれるから、対話は好きだ。その対話で相手から感情を受け取って、相手の話した言葉に乗せることならできるし、何より楽しめる。
きっと正しい方法なんかない。だったら、私は私の書きたいと思う方法で言葉を紡ごうと、今はそう思っている。

人生を生きていく一人の人間として、物書きを仕事にしようとしている一人の人間として、信じられないほど密な時間だった。
この心の形に当てはまる言葉は、きっと見つからない。
事実としてあるのは、それだけ「書くこと」に対して本気で向き合えたこと。そして、今も心の中にある炎は燃え続けている。

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