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枕草子と風の時代〜想いの価値〜

「春はあけぼの」で始まる枕草子は、ご存知の通り清少納言の傑作で、千年以上前に書かれました。清少納言は当時の后妃、定子に献身的に仕えていました。しかし、定子は一族の内紛のために、身籠りながらもその地位を追われ、出家することになります。生きる気力を失った定子を元気付けるために書かれたのが枕草子です。

枕草子の凄さ

当時の文学背景を知らない私たちにとって、なぜ枕草子が凄いのかを理解するのは難しいかもしれません。しかし、貴族の存在が徹底的に排除された現代でもなお、学校で学ぶ作品であるという事実には、何か特別な価値を感じずにはいられません。

風の時代の到来

さて、今は「風の時代」と言われているのをご存知ですか? 2020年までは「地の時代」でしたが、そこから200年間は風の時代が続くとされています。地の時代は物質的なものが優位になりやすい時代で、風の時代は情報など見えないものの価値が増す時代です。

確かに、インターネットの発展は時代を象徴する流れですね。お金、土地、地位といったものの価値が薄れ、人々が目指すものは大きく変わるかもしれません。誰も経験したことのないこの時代が、どのように展開していくのか楽しみです。

過去の風の時代

ちなみに、過去の日本で風の時代とされるのは、古墳時代の中盤と、鎌倉時代の中盤以降から室町時代前半までです。古墳時代の生活の様子はよく分かりませんが、鎌倉時代には仏教の宗派がいくつも生まれ、彫刻の文化も花開きました。文化が大きく飛躍するときは、人々の生活が困窮する時だと学校の先生が言っていたのをよく覚えています。物質的な満足が得られない時ほど、精神性が研ぎ澄まされ、芸術性が増すのかもしれません。

歴史が繰り返されるとするなら、私たちの生活は困窮するかもしれませんね。しかし、精神性とアートは爆発的に発展する可能性があります。

枕草子と火の時代

枕草子に話を戻すと、これが書かれたのは火の時代で、血筋や地位が重視される時代でした。これは非常に分かりやすくて納得できます。そういう時代に書かれた枕草子が今まで残るということは、時代背景がどうであれ、清少納言の想いが強く反映されているからではないでしょうか。

清少納言は火の時代に、風の時代に求められることをやってのけました。それは、作品への想いよりも、定子に対する切ないほどの愛情です。文学作品は時代に合わせて解釈も変わっていきますが、「定子のために書いた」という私情が、作品の重みを作っている気がします。

風の時代における情報発信の価値

風の時代では情報発信がとても価値のある行為になるはずです。しかし、そこに利己的な思いが乗るとすぐに見透かされるような時代になるかもしれません。情報に純粋な想いが乗っかっているかが価値判断の基準になる。これからは、有益な情報かどうか、面白いかどうかよりも、想いの方が大事になるかもしれません。

清少納言の枕草子のように、純粋な想いを持って情報を発信することが、風の時代において私たちの目指すべき姿かもしれません。

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