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「自分だけの価値を見つけたい」

私の人生の目標は「世界一の褒め上手になる」です。
この目標を抱くきっかけになった、とある同級生の話をしようと思います。

彼の名前を仮に「秀くん」とします。
秀くんとは小学校の同級生でした。といっても低学年の時はまったくといっていいほど接点なし。
初めて関わったのは小学四年生の時でした。
秀くんと同じクラスになったんです。
彼は成績はトップクラス、運動神経も上の中くらい。クラスの中心で皆をまとめるタイプではないですが、何かにつけて頼りにされているような子でした。同級生からも、先生からも。
今思えば、年不相応に冷静で、感情のコントロールが上手な子でした。
無感情ってわけじゃないんです。
クラス内で戦争が勃発した時、皆がヒートアップするのを、秀くんが止めたんですよ。
低くて重い声で一言「全員10秒口を閉じろ」って。
そこから皆が冷静さを取り戻して、事態は収束に向かっていきました。
口論する皆にイライラしてはいたんだと思います。でも、それを叫び声でぶつけることはしないんです。秀くんはそういう子でした。

そんな秀くんと隣の席になったんです。
上述のとおり冷静な秀くんですが、トゲトゲしいわけじゃないんですよ。いい意味で誰に対しても分け隔てない。誰にでも冷静。それは私に対しても同じでした。だから居心地悪いとかはなかったです。
なんとなく、私と秀くんは住む世界が違うと感じていました。それを決定的にしたのは国語の時間でした。

教科書に架空の地図が描かれているんです。宝の地図。スタートとゴールがあって、ゴールには宝箱があります。
宝箱への道は何本かあるんですが、どの道にもなんらかの障害があります。ライオンがいたり、川を渡る橋が壊れていたり。

で、先生が言うんです。
「宝を手に入れるまでの物語を描いてください」って。
私は張り切っていました。当時から本の虫であり、小説のような何かを書いていたからです。私の実力を発揮する時が来たと、ドキドキワクワクの冒険譚を綴りました。
そうして書き終わった物語を、隣の人と読み合いすることになったんです。そして感想を書きましょうって。
私は、渾身の作品を秀くんに渡しました。そして、秀くんの作品を受け取り、読み始めました。

さっきまでの自尊心は破壊されました。

秀くんの物語は面白すぎた。
読者を惹きつけるフック、知識があるからこそ構築できる困難とその解決法、何気ない設定を土壇場で活かす爽快感……完敗でした。
この衝撃を、拙い言葉で感想用紙に書きました。同時に、どんどん不安が込み上げたんです。こんな凄い物語を書く人が私の物語を見たら、稚拙すぎて酷評されるんじゃないかって。

感想を書く時間が終わって、隣の人に感想用紙を渡す時間になりました。だいたいの人は数行書いて終わってました。
秀くんは悠然と紙を渡してきます。私は恐る恐る中身を確認しました。

文字がぎゅうぎゅうに詰まっていました。

私への感想用紙は、賞賛で埋め尽くされていました。
私が無意識に使っていたテクニックを言語化されていました。普通の人が「面白い」の一言で済ますを「何がどうしてこうだから面白い」と論理的に分解されていました。
感想を書く能力ですら、私は秀くんに完敗だったわけです。同時に、ここまで褒められたことに喜びを覚えました。

それ以降は普通のクラスメイトとしての関係が続きました。用があれば話すだけ。ここから世間話をする関係になったのは、5年生から始まった委員会活動がきっかけでした。
私と秀くんは、同じ挨拶委員会になりました。クラス委員以外はくじ引きで決めたんです。
挨拶委員会のメイン業務は、朝の挨拶活動です。登校時間中に玄関に立ち、入ってくる生徒に挨拶をするというもの。

これがですね、わりと早い時間から玄関に立ってないといけなかったんです。だから、登校時間のピークになるまでは暇でした。なので「今日は暑いねー」とか「寝坊しちゃった」とか、軽い世間話をするように。
そこから少しずつ、突っ込んだ話もするようになりました。この時にはすでに、私は秀くんを信頼していました。だからこそ話しかけることができました。この人は他人を悪く言わないという確信があったんです。

「秀くんは褒め上手だよね」
「そうか?」
「去年の国語の時間、私の作品をたくさん褒めてくれて、嬉しかった。どうやったら褒め上手になれるんだろう」
「いつも思っていることを、文字にしてるだけ」
私は首を傾げました。
「いつも、いいところを分析するようにしてるから」
「悪いところは?」
「他の誰かがやってくれるだろ」
秀くんはいつも通りの悠然とした態度でした。

秀くんいわく
「良いところを見つけるのが得意な人より、悪いところを見つけるのが得意な人の方が多い」
「悪いところはデジタルなものが多く、誰が分析しても似たようなものになる。対して良いところというのは、何をもって良いとするかが千差万別」
「これのどこが嫌い? と聞くとだいたい同じ答えが返ってくる。でも、どこが好き? と聞くと答えは様々」
「だったら悪いところを分析して、他人と同じような知見を得るのは無駄。自分にとっての良いところを吸収する方が効率がいい」
…ということです。言い回しは簡潔にしてますが、内容はこんなことを言っていました。

「欠点を知りたいと思ったら他人に聞く。誰かしらがやってるから。長所は自分で見つけたい」
「どうして?」
「その人やものに対する、自分だけの価値を見つけたいから」
そうして「自分だけ」を積み重ねた先で、自分という人間が完成するから。

ここで生徒たちが登校し始めて、話は終わりました。
当時の私には難しい話でした。でも、秀くんの人格を作ったのは、この「長所を見つける能力の高さ」だとは分かりました。
私は秀くんのようになりたかった。そのために必要なのは、秀くんのような褒め上手になることだと思ったんです。
だから私は、当時10歳にして決めたんです。
「世界一の褒め上手になる」って。

大人になった今、秀くんの言っていたことの意味が分かるようになりました。
褒めるよりも批判する方が簡単だということ。批判の方が「それっぽい」文章を書きやすいということ。
そんな「それっぽい文章」がこの世には溢れているということ。
そして、同じ作品を好きだとしても、何をもって「好き」になるかは十人十色だということ。
だから自分で触れてみないと「自分にとってのその作品の価値」は分からないということ。
そんな「自分だけの価値」を集めることで、「私の価値観」が作られるということ。
その「私の価値観」を反映した作品でこそ、誰かを動かすことができるということ。

何十億人という人が生きていて、無数の作品で溢れている現在。
せっかく巡り合った人から、作品から、「自分だけの価値」を見つけたい。
だから私は今日も、自分のすべてを尽くして、誰かを、何かを、褒めたいと思うのです。

中学校まで一緒だった秀くんとは、高校進学時に別の進路になりました。
そこからは疎遠になり、同窓会の時に会う程度です。
でも、私にとって最初の「こころの師」は、間違いなく秀くんです。
彼はきっと今日も、自分だけの価値を吸収している。そして、ブレない自分を作り上げて、社会を上り詰めているんだろうなあ。

そんなことを思った夜でした。



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