伊賀鉄道をご紹介します!

画像1 伊賀鉄道(忍者線)をご紹介します!の第2回目です。前回の上野市駅から伊賀神戸方面の電車に乗車します。南へ500メートルほど下るとすぐ「広小路(ひろこうじ)駅」に到着します。広小路?と聞くと、どこかで聞いたことがあるような気がしませんか?
画像2 日本の首都東京に「上野広小路」があります。広小路という名称自体は、城下町によく登場し、「幅の広い街路」を指します。江戸時代にあった明暦の大火(1657年)の教訓から幕府は、市街地に広い道→広小路を作り、火除地(ひよけち)として延焼を防止しました。駅名の由来もこの場所がその役割を担っていたことから来ているのかもしれません。さて、話は戻り伊賀には「上野」ほか、「赤坂」「青山」「銀座(通り)」「車坂」等東京都にある地名が多く存在します。なぜでしょう?実は、発祥は伊賀が先なのであります。
画像3 藤堂高虎公、以前にもご紹介した武将ですが、徳川家康に仕え、江戸の開墾に力を注ぎます。その功を讃え、家康は高虎に領地である伊賀の地名を付けることを許したとされています。「銀座」は、通りの名称のため、ちょっと違うかもしれませんが(正式には、東の立町通りです)。
画像4 広小路駅は、大正11年(1922年)旧伊賀鉄道が、上野町駅から名張(西名張駅)延伸時に設置。平成12年(2000年)まで、近鉄(当時)の駅員さんがいました。そして平成19年(2007年)玄関に昭和の面影を残す傘の付いた電灯、薄暗い舎内、木造の改札口を配した駅舎が撤去され、今の形となりました。筆者が学生時代、この思い出深い駅舎から毎日通学したものでした。

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