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自己紹介|45歳で起業!14年の歩みと未来を綴ります。

私が起業したのは45歳の秋です。最初から起業するつもりでは、ありませんでした。会社員として働く日々に、突然訪れた危機から退職、転職活動、ハローワークの職業訓練、契約社員、最終的に起業という流れになります。


会社員人生に突然訪れた危機

ある日突然、社長から「明日から〇〇部にいってくれ。」と言葉で異動の辞令を受けました。あまりに突然で『何が起こった?』と現状が理解できなかったことを覚えています。

社長直轄部署から最前線の事業本部へ

私は、大手飲食チェーンで、社長直轄部署に所属していました。実績もあり、会社の売上にも大きく貢献をしていたはずですが、突然の異動。元いた最前線の店舗を運営する事業本部に、言葉で辞令を受けた翌日から席を移しました。
古巣に戻っただけですので、特に大きな問題もなく、元担当していた業務を始めるだけでしたが、何か雰囲気が違っています。

「お前、まだ居たの?」

数日が経った昼休み。昼食のため外出する私のエレベーターに、会社の役員が乗ってきました。「お疲れ様です。」と軽く会釈した私に、役員がかけてきた言葉は「お前、まだ居たの?」です。役員は、それ以上は何も言わず、黙って先にエレベーターを降りました。

来る日もくる日も「まだ居たの?」

その日から、朝に、昼に、夕に、夜に、事業部長以上の役職の社員たちが、私を見つけるなり「まだ居たの?」という言葉を放ちます。
来る日もくる日も「まだ居たの?」と言われ続け、最後に退職願を書きました。

最速5時間で退職手続き完了

私が所属長に退職願を出すと、待っていたかのように、人事部は5時間で手続きを完了。休日出勤の振替日と有給休暇が大量に残っていたため、退職手続き完了後は、机の片づけをして会社を去りました。

追い出された原因は“心電図の異常”

私は、退職してから2ヵ月間、なぜ、追い出されたか理解できませんでした。原因がハッキリしたのは、ヘッドハンティングの話の合った企業に連絡を取り、採用が決まりかけた2ヵ月後です。
転職先の企業から入社前検診を指示され、検診の結果、心電図の異常が指摘されました。“要精密検査”の判を押され、採用が決定していた企業からは、内定の取り消し。最悪の状況です。

「お体大丈夫ですか?」

内定が取り消しになり、どうするか悩んでいるとき、たまたま外出先で元同僚に出会いました。
第一声が「お体大丈夫ですか?」です。どうして、そんな質問をするか尋ねると「心臓が悪いから追い出されたんですよね?」と、私の退職後、社内では「〇〇さん心臓が悪いから辞めたんだ。」という噂が流れていた事実を知りました。
私は、本人が知らぬ間に、心電図の異常で会社を追い出されていたのです。

「気絶したらきてください。」

確かに、退職前の定期健診で心電図の異常があり、東大病院で精密検査を受けました。
検査結果は「正常ではないけど異常ではないので、心配はありません。」という、不思議な説明。
私は、事実を確かめるために、改めて東大病院に連絡し、現場の医師に診察を受けると、“ブルガダ型心電図”と診断されました。「許容範囲ですので心配いりません。特に対処方法もありませんので、万が一、気絶したらきてください。」と医師から言われました。

「あなたの心臓は止まりません。」

念のため「すいません。気絶した人は、全員、目を覚ましますか?」という質問を医師にすると「目覚めない方もいらっしゃいます。」との返答。「それじゃー、こられないかもしれませんね。」と私が医師に笑いながら話すと「あなたの心臓は止まりませんよ。」と笑顔で“不死身”の太鼓判を押していただきました。

迷惑な病気

“ブルガダ型心電図”は“ブルガダ型症候群”とは似て異なるものです。”ブルガダ症候群”は、1992年にスペインの心臓専門医であるペドロ・ブルガダ氏によって報告されました。
心臓の電気的活動に異常が生じる遺伝性の疾患で、心電図上では特徴的な波形が認められ、心室細動という致死的不整脈を引き起こす可能性があります。発作が起こると心臓が痙攣状態になり、意識を失って倒れたり、最悪の場合、死に至る病気です。
一般的に“ぽっくり病”と言われる病気。日本人の0.02~0.1%が"ブルガダ型心電図"だとされていますが、研究が進んだ2020年代では、大部分の人は“ブルガダ症候群”のような発作を起こさないことがわかってきました。
死なないのに、突然死すると言われた迷惑な病気が“ブルガダ型心電図”です。

スキル修得

普通に転職することが難しい状況を認識した私は、途方に暮れました。まだ、失業保険の受給待機期間でしたので、収入はゼロ。家族のことを考え、どうやって生活を支えるかを考えました。

職業訓練でスキル修得と失業給付の前倒しに成功

私はハローワークにいき、職業訓練の案内書を持ち帰り、気になる訓練を絞り込みました。当時、ビジネスソフトOfficeのインターフェイスが一変し、従来の使い方ではなくなっていたこと『Web系の基礎知識を修得するほうが、先々、仕事につながるのでは?』という考えで、条件がピッタリの科目が含まれる訓練に申し込み、見事合格。職業訓練が始まると、待機期間中でも失業給付が前倒しで受けられます。当面の生活費を確保しながら、弱点を補うスキル修得を始めました。
職業訓練では、ビジネスソフトOfficeの当時最新版の操作を基礎から覚え、Webサイトの構築科目では、今では懐かしいHTMLとCSSを学びましたが、どちらも現場で通用するには、ほど遠い基礎だけです。

採用されやすい正社員ではない求人

3ヶ月の職業訓練が終わる頃、訓練コースの中に「ハローワークで求職活動をする」という科目があり、私は、地元のハローワークにいきました。
『大手企業や普通の正社員求人に応募しても、入社前検診があれば不採用になる。』そう考えた私は、専門職の契約社員求人を検索。その中で気になった教育機関の募集「初心者でも学びながら講師になれる!」という求人に応募してみました。

クリエイティブソフトのスキル修得

運よく、訓練終了までに講師募集に合格。契約社員でしたが転職に成功。そこでは、Adobe Illustrator や Photoshopなどの技術研修を受けながら、講師補助をする、という仕事に就きました。
約半年の間に、クリエイティブソフトのスキルを修得。基礎から学べたことは、今でも役に立っています。

開き直って“起業”

職業訓練と契約社員でスキルを修得した私は、契約期間の終了によって、また、失業状態になりました。
正社員へのお誘いもありましたが、ここでも、入社前検診の壁が立ち塞がったのです。
『また、契約社員の求人を探そうか?』とも思いましたが、何度も同じことを繰り返すことが目に見えていましたので『どうせサラリーマンにはなれない!』と開き直って起業の道を選んだのです。

あれから14年

起業してから14年が経ちました。60歳も目の前に迫った2024年9月。決して大成功はしていませんが、ミドルやシニアの求人に応募して得られる一般的な収入に比べれば、充分に稼げています。
『もし、起業を前提に、会社員時代から副業をしていたら?』
『もし、会社員時代の副業で実績を積んでいたら?』
きっと、起業後、早い段階で現在程度の収入は、当たり前に得られていたでしょう。

振り返りと今と未来を見つめて

14年間の経験を振り返り、大きく変化の波が押し寄せ続けている2024年の今と未来を見つめて『起業のための準備と副業ロードマップ』を綴っていきます。
末永く、お付き合いいただけますと幸いです。

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