見出し画像

自虐フレーズは使わない~「卑屈傲慢」に気を付けて!

自虐フレーズ

こんにちは、ぱんだごろごろです。
自虐フレーズって、おわかりになりますか?
「気位の高いひと」なら、決して使わない、自分をおとしめる語句(言い回し)のことです。
なぜ、わざわざ自分で自分を貶すのか、と言うと、他人からけなされる前に、自分で言ってしまえば、もう馬鹿にされる心配がないからです。

「私の仕事って、どうせアシスタントだしぃ、お給料も大したことないからぁ」
「俺、マジで、人付き合いが苦手で、挨拶するのって、チョー苦手なんすよ」

わかりやすく、極端に書いてみましたから、もう馬鹿丸出しって言うか、何なの、こいつら、っていうレベルの会話文に仕上がってしまいましたが、実際にこの手のレベルの会話は、珍しくはなく、むしろその辺にゴロゴロ転がっています。

「自虐」と「謙虚」

自分を大切にし、健やかな自尊心を育てている皆様には、このような自虐フレーズを使ってしまう心配は、ないかとは思いますが、たまに、「自虐」と「謙虚」を 取り違えてしまう方がいらっしゃるので、念のため、ご注意申し上げます。

自虐フレーズ:他人から馬鹿にされないように、先手を打つのが目的。
       そのため、防御的なのかと思えるが、実は頑なである。
       隠してはいるが、攻撃的な面がある。

謙虚:対面している相手を素晴らしい人だと思い、尊敬の念を持っている
   そのため、おのずと一歩下がった、ものの言い方になる。

「自虐フレーズ」を言う人から、「卑屈傲慢」な人へ

この、自虐フレーズを言う人は、最初はおどけて言っていただけかもしれませんが、それが段々くせになってしまい、次第にどんな場でも言ってしまうようになったのでしょう。

一見、「自分は駄目な人間、まだまだ未熟者です」と言って、へりくだっているように見えますが、これは、謙っているのではなく、卑屈になっているだけ。
本当に謙っているのなら、「今はまだまだ未熟者ですが、早く一人前になれるよう、頑張ります」という、素直で明るいトーンになるはずです。
自分は駄目人間、と、自分のことをおとしめている内に、それが本当になってしまい、後戻り出来なくなって、こんな筈ではなかった、と、恨み妬んで、卑屈になってしまったのです。

そのくせ、本当の自分は、こんなものじゃない、本来はもっと出来る人間なんだ、という、思い上がった気持ちがあるので、その攻撃性とあいまって、「卑屈傲慢」になったという訳です。

「卑屈傲慢」な人

この「卑屈傲慢」には、手がつけられません。
思い上がっているくせに、へりくだっているように見せているのですから。
「自虐フレーズ」を言う人は、「卑屈傲慢」な人になります。
最初は、自虐フレーズを言うと、皆が否定してくれていたのでしょう。
それで、自分の出来なさや自分の弱さを否定して欲しくて、事あるごとに、自虐発言をするようになっていったのでしょうが、いつかは、誰も否定してくれなくなる時が来ます。本人としては、へりくだっている、謙虚な自分をほめて欲しいのでしょうが、聞いている人達からしたら、ああ、君は本当にそうだねえ、挨拶ひとつまともに出来なくて、君自身、これから困るだろう、何とかしたまえ、ってなものです。

自尊心を高く持つこと


一番大事なのは、「卑屈傲慢」な人にならないことです。
これは、「気位の高いひと」である皆様には、心配のないことです。
自尊心のある人は、決して卑屈にはなりませんから。

卑屈な人や傲慢な人になりたくない人は、ぜひ、自尊心を高く持って下さい。

そして、「卑屈傲慢」な人がそばに来たら、直ちに逃げて下さい。
相手をしても、いいことは一つもありません。
この人、いやにこちらを持ち上げてくるな、と思ったら、逃げる準備を始めて下さい。
まずは、相手をほめて、それから自虐フレーズを繰り出し、相手から否定してもらう、というのが、「卑屈傲慢」の好物なのですから。

ちなみに、私は、自分のことを、「おばさんはねえ」とか、「私はもうおばあさんよ」などと、自虐的なことを言ったことは一度もありません。
一度、場をなごませるために、「あーら、おばさんよ」と言ってみようとしたことがあったのですが、どうしても口に出すことはできませんでした。
人間は、自分で思ってもいないことは、口には出せないものなのですね(しみじみ・・・)。

まとめます。


よく、自虐的な発言をして、笑いを取ろうとする人がいますが、決してまねをしてはいけません。
「自虐フレーズ」を口にしたら最後、行き着く先は、「卑屈傲慢」です。
一見、謙虚な人に見せかけて、その実、中身は妬みそねみと自意識と思い上がりでいっぱいの、「卑屈傲慢」になってはいけません。
また、「卑屈傲慢」な人に出会ったら、全速力で、逃げ出しましょう。

最後に一つ、私は自分のことを、「おばさん」ではなく、「中高年女性」だと思っています。
そのうち、「老婦人」になるのでしょうが、自虐的な、「ババア」には、決してならないつもりでいます。
だって、そうでしょう。

・八千草薫のような老婦人になりたい。
とは言いますが、
・八千草薫のような老婆になりたい。
とは、言わないでしょう。
・八千草薫のような貴婦人になりたい。
と言うのは、いいですね。

ものごとには、それぞれ、それにふさわしい言葉というものがあるのです。


サポート頂ければ光栄です!記事を充実させるための活動費, 書籍代や取材のための交通費として使いたいと思います。