記号カラダとわたし-2

くはっちという記号カラダについて(その1)

たまたまな出会い

ダンスと出会ったのは25歳
大学を卒業し就職して数年が経過したころ
この時ちょうどわたしは絶望のドン底、どうにもこうにも
ならない状況だった
もともと自意識過剰オルタナティブ系超面倒臭い女子
ひとりっ子ということもあり、ひとり遊びが大好き
世界中を敵にまわしてもなお可憐に生きる悲劇のヒロインに
自分を仕立て、当時はなんとか生きのびていたようにおもう
そんなとき美術館でふと1枚のチラシと運命の出会いを果たす
「あなたも一緒に1ヶ月でダンスステージを作りませんか〜
コンテンポラリーダンス公演 市民参加者募集〜」

心身ともにドン底状態のいまとダンス未経験者が踊りはじめるぶざまさ

双方をはかりにかけた結果が「踊ること」
それがまさか数年後人生の生業になろうとは

わたしのあたりまえ

幼稚園の頃
「ゆっこちゃん、ほれ」とお菓子をくれる近所のおじちゃんは
ゆびが一本なかった
片足がないほうのズボンの裾を固結びして杖ついて歩いている
おじいちゃん
片腕がなくて、長袖の片方が風にひらひらしてるおじちゃん
北九州はその昔炭鉱の町だったし鉄鋼の街だからそういう大人を
目にする機会は多かったようにおもう
いつもニコニコ声をかけてくれる近所のおじいちゃん、いつもお菓子を
くれるおじちゃんなだけで身体の一部があろうとなかろうと全く気にしてなかった

小学生になると自分をとりまく社会がまた少しひろがる
授業中に大声だして走り回る同級生
片足をひきずりながらおにごっこに加わる友だち
そこになんだかよく分からない「同和問題」というのもでてきて
生まれた地区によって差別を受けるなんていうことも知った
韓国から働きに来ている人も多い街だったから、たまに駅で
チマチョゴリを着た可愛い高校生のお姉ちゃんたちをみると、
キレイでうらやましかった
いま思うといろんな人たちを見て、感じて、考えながら
育ってきたんだなぁとおもう

小学校に入ってから道徳の授業が楽しみで
ことさら「差別」に興味を持った
黒人差別、韓国人差別、被差別部落、障害者差別、、、
なんで同じなのに、大人は違うっていうんだろう
いま思えばそれが初めて体感した「不条理」のはじまり
そんなとき、図書館で「報道写真家集団マグナム」の写真集と出会う
そのなかにあったのは戦争や貧困の上にくっきりと浮かび上がる、
社会が見てみぬフリをする「もの」や「人々」の生と死のはざまが
くりぬかれた「なぜ」の羅列

襟元がムズムズして、地団駄ふんでも何もかわらない「なぜ」
きちんとした意見をだれも言おうとしないのは「なぜ」
いまの自分を作ってきたのは幼少期のなかで感じてきたたくさんの「なぜ」
のおかげ
「なぜ」があったことをいまはラッキーにおもう

 

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