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【き・ごと・はな・ごと(第31回)】へチマ嬉々漫録

わが家に初めて糸瓜ができた。梅雨どきに花屋の店先で買った150円の苗鉢が、あれよあれよと蔓を延ばし、みるまに軒先の物干し竿を巻き込んだ。7、8月中の暑い盛りには毎朝咲く黄色い花と挨拶しながら、セッセセッセと水やりをした。すくすく伸びる糸瓜蔓は、狭いベランダでは収まり切れなくなり、ちょっと目を離すとすぐに上階や隣へ侵入しようとする。その度に主人の釣竿や突っ張り棒やらをあわてて継ぎ足して蔓の道しるべを作った。成長の勢いときたらものスゴクて、継ぎ足す作業中にも待ち切れぬとばかり、茎から出ている髭蔓がクルクルと竿に巻き付こうとする。夏の夜空を仰ぐと、朝顔にも桑にも似た涼やかな葉の茂りが、ちょうど天の川が走るように視界を飾った。ハート型に耳がついたような葉のカタチは水牛の頭にも似ている。それを見て、ふふうん・・・なんで朝顔のことを牽牛子と呼んだのか、その秘密が解明できたような気がした。だが、花も葉も茂るわりになかなか実が成らない。実ったかなと思うや親指大くらいでポロリと落ちる。諦めて実のことはすっかり忘れていた矢先、ふと窓の外に、な、なんと30センチほどもある糸瓜の実が隣家との境の軒下にブラリと垂れているではないか。もう、嬉しくて嬉しくて。1999年9月2日。この日は記念すべき日となった。

糸瓜記念日として思い浮かぶのは歳時記でいう9月19日の糸瓜忌。近代俳句の祖である正岡子規の命日・子規忌であろう。つまりは子規が息を引き取る13時間前の辞世の句がー糸瓜咲て喉のつまりし仏かな、など糸瓜を詠んだ三句だったことに由来する。死を前にしたおよそ一年を綴る阿鼻叫喚も生々しい病床録『仰臥漫録』(岩波文庫)は奇しくも(?)我が糸瓜記念日と同日の9月2日(明治34年)から記されー雨 蒸暑 前庭の影は棚に取り付いてぶら下がりたるもの夕顔2、3本瓢2、3本糸瓜4、5本―とある。寝返りもままならない病床六尺に居ながらにして眺める糸瓜棚は、ときに氏を慰めただろうか。糸瓜忌録と別称を付記したいほど糸瓜を題材としている。9月27日(陰暦8月15日)の記にー上野の浄名院に出いる人多く皆糸瓜をたずさえたりとの話、糸瓜は咳の薬に利くとかにてお咒でもしてもらふならんーとある。これはヘチマ加持というもの。今も盛況ということだ。三浦半島の久留和海岸に近い円乗院に続いているのは知っていたけれど此処は初耳。中秋の名月に糸瓜を捧げ加持祈祷すると喘息や喉の病に効くというこの摩訶不思議な行事、珍しいと思いきや京都、名古屋、鳥取、日光など、あちこちにあるというのだから驚いた。東京では他に両国の大徳院での様子が『東京年中行事』に記してあるのを読んだことがある。が、これは明治の頃のこと。風評も聞かないこの頃はどうなのだろう。糸瓜忌の前日、北区田端の大龍寺に子規の墓参に行き、その足で両国に足を延ばす。90年も前の描写が頼りのうえ地図にもなく、たどり着くのに手間取ったが、住職に話を伺うと、嬉しいことに今も絶えていなかった。但し、日取りがここでは八朔の日で、すでに終わっていた。明治から戦前にかけては糸瓜売りの屋台が並ぶほど多くの参詣者が集まったとか。糸瓜の入手が困難になった今でも、胡瓜に代用させて続けているそうな。そういえば昨今の都会で糸瓜棚を見かけることはついぞ稀である。では、他ではどうなのだろう。

翌週、24日の中秋の名月、糸瓜漫遊に繰り出した。谷中の墓地の近くにある浄名院の門前には金柑やら喉飴やら、月見団子を売る屋台が張られ、境内には祈祷を待つ人たちの長蛇の列。手向ける線香の煙で燻されると思うほどの賑わい。が、肝心の糸瓜の姿がみられない。寺で求めたお加持用のお札の中にあるというが、それにしては小さすぎやしないか。首を傾げていると、毎年来るという信者さんが、境内で栽培した糸瓜を等分に小さく分けて配っているのだと話してくれた。ここもやっぱり糸瓜不足。これが都会の現状なのだろう。さて、鴬谷から山手線で東京へ、横須賀線に乗り換え逗子に出て、さらにバスに乗り継いで海岸線を走り次なる目的地へ。相模湾越しに富士が一望できるのどかな円乗院では、人影少ない境内の静けさに反し、本堂には奉納された糸瓜の山ができていた。ひと昔前なら参詣者がぶら下げてきたが、今は寺が用意する。変容は何れも同じとはいえ、時の流れが緩やかな海辺のこの町では、未だ周囲の畑で夏ともなればブラブラとユーモラスな糸瓜たちの表情がみられるという。願を書き入れた「譲渡之証」を糸瓜に巻き奉納してわたしたちも祈祷をうけた。喘息封じ、咳や喉の快癒だけでなく家内安全、商売繁盛なんでもいいそうだ。糸瓜は名月の昇る頃に読経と共に海に流すのだそうだ。糸瓜水が喉に効くことはいわれることだが、お加持はその威力を借りてのことか。水を含んで吐き出す作用が厄を捨て去る意に通じると由来書きにあった。呪術的なこのお加持、信者さんたちに聞けば、皆その効き目を絶賛する。子規もまた加持の御利益を得ていたら、歳時記に糸瓜忌という文字が消えていたやもしれぬ。あるいは、さらに糸瓜をいとおしむ句を残してくれただろうか。

我が家に実ったヘチマ
お参りの人が絶えないへちま地蔵尊(浄名院)
へちま加持を待つ人の列(浄名院)
お月見用のすすきとだんごも売っていた(浄名院)
134号線沿い、海を見下ろす古刹(円乗院)
まず本堂でヘチマを求める(円乗院)
願いを託され御祈祷を待つへチマの山(円乗院)
只今御加持中です(円乗院)

文・写真:菅野節子
出典:日本女性新聞―平成11年(1999年)10月15日(金曜日)号
*写真-5,6,8は2011年に、7は2010年に追加取材し撮影したものです。

き・ごと・はな・ごと 全48回目録

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