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【き・ごと・はな・ごと(第22回)】卯年に寄せて―蒲の穂におもう

うさぎ年である。新年の幕開けテーマはもちろん蒲。♪大きな袋を肩にかけ―大黒様が来かかると―♪と小学唱歌に歌われたように、因幡の白うさぎが大国主命に教えられ、鮫に赤裸にされた肌を包んだのが蒲である。子供のころ、♪ガアマの穂綿にくるまればあ~、たちまちもとの白うさぎい~♪と歌いながら、なんでガマなのか分からず不思議でならなかった。生まれてこの方、日常の生活圏のなかに蒲は全く見当たらず、蒲がどんなものであるかを知り、この目でシゲシゲ観察したのはごくごく最近のことである。

『古事記』によると、大国主命がうさぎに勧めたのは穂黄である。これは蒲の花粉のこと。止血や傷の治療に効能のある民間薬というから、昔ばなしというのはなかなかに蘊蓄を含んでいるものだ。加えてうさぎにも感謝したい。小賢しく鮫を怒らせ痛い思いまでして薬草利用の伝承に大いに役立ってくれた。

紅白の蒲鉾はその色合いや、日の出に似た切り口がおめでたいとのことでお節料理に喜ばれるが、ルーツを辿ると蒲に行き着く。蒲鉾は神功皇后が三韓渡航の途中、神戸生田神社で鉾の先に魚のすり身を塗り付け、火に炙って食べたのがそももその発端とも伝えられている。そのカタチが蒲の穂そっくりということで蒲鉾と呼ぶようになった。室町時代の文献に「蒲鉾とは・・・蒲の穂を似せたるもの也」とある。蒲鉾が板付きの蒸し物となったのは江戸になってからのこと。が、実は蒲鉾の原型は竹輪という別名になって今も残っている。もともと蒲鉾は上流武家しか口にしなかった高級食材。庶民がそれを食べる段になって大いに気が引けたのか、いわば隠語として付けたのがチクワ。いつの間にかその名称が一人歩きしてしまった。ちなみに鰻の蒲焼きも、串刺しにして焼くものを蒲鉾と呼んでいたことから、そう呼ばれるようになったとの説もある。

屠蘇を飲み蒲鉾を食べ、干支のうさぎに敬意を払おうとイソイソと蒲見にでかけた。かって蒲など生育していなかった近所の池に、数年前、他所より移植した蒲がしっかり根付いて、今では蒲池と呼んでもいいくらいの群棲がみられるのだ。冬の午後に差し込める逆光に、ふわふわとホツれた花蒲が眩しくきらめく様は何か神々しさを感じてしまう。

首都圏で蒲を見ることはめったにない。首都圏近郊の某所では、自然環境保護用にかろうじて守られている調整池で蒲が繁殖し、苦情が殺到していると聞いた。洗濯物に花粉が飛び散って迷惑だ!というのだ。飛散しないうちに刈り取ることも検討されているという。

今では花材くらいしか、その利用価値がみなされない蒲であるが、昔、その茎や葉はゴザやムシロ、簾を編む材料とされた。アイヌではシ・キナ(真の・草)と呼び、多様な編み草の中でもとりわけ尊ばれた。文様を織り込んで宝物の敷物とした。福岡イト子著のアイヌ植物誌によると、蒲を刈る前はお酒をまき、タバコを供えて沼の神、ガマの神にお祈りを欠かさないものだったとある。

蒲の穂綿を使った『蒲生布』という織りがある。木綿棉の栽培から手掛ける染織家、寺田徳五郎さんが製作している。綿とのミックスの布地である。一度お話しを伺いながら見せていただいた。素朴で懐かしみのある手触りであった。草の薬用成分を考えれば肌に悪いワケはない。心が癒されるようなフシギな風合いの織物であった。

蒲の穂棉は見たところ綿そのものだが、タンポポの綿毛のように軽く舞い飛んで掴むことさえ困難だ。だから糸紡ぎには全く不向きだ。たぶん古代の人も糸にしたいと試したに違いないが難しくて諦めたのではと思う。蒲団というコトバは蒲の穂綿を詰めたことに由来する。ふんわりした綿毛を見て、綿の代用に使えないか、そう思う人の心は今も変わらない。

沼地に蒲の穂が群れている情景は心が和む。が、それは、ほっくりとした安らぎなんていうものを遥かに超越したものだ。なぜか古代の聖地へ紛れ込んだような安らぎである。空気が違う。きっと大地の呼吸がスムーズなのだと思う。蒲は河川敷や沼、谷戸などの湿地に生える。土地開発をするとき最も犠牲となる場所である。沼は潰され谷戸は住宅用地になり、河原も池も災害や危険防止ということでコンクリートなどで護岸工事が施される。 山は森林保護のため、川は命の水を守るために保護されるようになった。だから環境対策は万全という理屈である。だがこれは人間の体に例えればメインの臓器だけ生かして循環部分をカットするようなもの。自然の大地に必要な血液、つまり水脈を繋ぐパイプを分断してしまったら破壊するのは時間の問題だ。そう考えると、わたしたちは文明と引き換えに大いなる罪を大地に犯していることになる。

天の恵みのシキナ(真の草)が元気でいることは地球が健康であるバロメーターともいえるだろう。正月の蒲池で、人とキナ(草)たちとの共生を思うひとときだった。

卯年元旦 蒲見に詣でた(横浜・菊名池)
神話の世界にタイムトリップ
因幡の白兎を癒した穂綿
卯年に因んだ・・・里神楽・因幡の白兎(横浜 東神奈川熊野神社祭礼で)
花材の蒲を物色中(伝統工芸・天鷺ぜんまい織り作家-山崎智子氏と)
湿地に群生する蒲(福島・いわき市)

文・写真:菅野節子
出典:日本女性新聞―平成11年(1999年)1月15日(金曜日)号
*写真-4は、2011年8月に追加取材し撮影したものです。

き・ごと・はな・ごと 全48回目録

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