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鳥交る

いくら寒くとも立春が来ればもう春だ。
寒い中にも目ざとく春の息吹を感じ取るのが風流である。暖かくなってようやく「おお春が来た」などと呑気に言っているようではいけないのだ。
そういう意味ではシジュウカラは確かに風流を解する鳥である。彼らがさえずり始めるのは非常に早くて、まだ凍てつくような空気の中、ツツピツツピと高い声が冴え渡る。
とにかく鳥が鳴けば何でも「さえずり」だと思っている人もいるかもしれないが、囀りとは鳥のラブソングであり、縄張りを主張するための声であって、鳥たちは決して年がら年中さえずっているわけではない。
小鳥の声は大きく「囀り」と「地鳴じなき」に区別されて、普段の会話に使われるチチチとかジジッとかいう声は全て地鳴きに分類される。小鳥たちが美しい声を競って囀るのは繁殖期の春から夏にかけてだから、秋冬の寂しい季節には彼らの歌声は聞かれない。
それだけに春がきて鳥の囀りを聞く喜びはひとしおなのだ。ことに今年はまさしく立春の日に最初のシジュウカラの囀りを耳にして、私はとても嬉しくなった。

いよいよ暖かくなるころ囀るウグイスは別名「春告げ鳥」とも呼ばれる。
しかし山本健吉も「暖かい季節が春なのでなく、春になったから暖かくなるのである」と述べているから、その意味では春を告げる鳥はウグイスよりもむしろシジュウカラである。「春を告げる」のがウグイスの囀りであらば、シジュウカラの囀りは「春を歓迎する」歌声と呼べるかもしれない。

鳥交る。
これで「とりさかる」と読む。この春の季語は単に鳥の交尾をさすだけでなく、歌や踊りなどの求愛行動全体を表すらしい。
三月にもなれば、春の陽気に浮かれ出して多くの小鳥たちが交り始める。彼らは良き妻を見つけることに血眼になって、もはや移ろう春の美しさになど目もくれない。
一方寒いうちに無事パートナーを決めてしまったシジュウカラたちは、もっと長閑のどかな心で暖かい春を迎えられるのだ。だから二月の最中いの一番でさかるシジュウカラを、決してただのせっかちな鳥と思ってはいけないのである。

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