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猫の子

なぜ十二支に猫が入っていないのかということは、ここに今さら書くまでもないのかもしれませんが、とにかくざっと説明しておくことにいたしましょう。

それは昔、むかしのお話です。
あるとき世界の神様は、この世のありとあらゆる動物たちを呼び集めて、こんなことをおっしゃったのです。
「コホン!えー 紳士淑女諸君。君たちは明くる年の最初の朝に、つまり正月一日の朝にだな、私のもとに新年の挨拶をしにやって来なさい。一番早く来た者から十二番目までに来た者は、その順番に一年間動物の中の大将にしてやるぞ。」
それを聞いた動物たちは、皆やっぱり大将になりたいものですから、われこそはと張り切って出かけて行くことにしました。
中でも牛は、
「ぼくは歩みが遅くてね。なんせ『牛の歩み』なんていってからかわれるくらいだから。でもやっぱり大将にはなってみたいね。だから皆よりもうんと早く出発しようと思ってるんだ。」
さあ牛も馬鹿なもので、一人心の中で思っていればよかったものを、うっかり口に出して呟いてしまったのです。それをネズミのやつが聞いていたものですから、ネズミはこっそり牛の体にしがみついて、一緒にくっついて行こうとたくらみました。そしていよいよ牛が神様の前にたどり着いたとたん、えいやと飛び降りると、
「どうも神様、明けましておめでとうございます。私が一番乗りでございます。」
と挨拶をして、ちゃっかり一等になってしまったのです。でもまあ一番でも二番でも十二年ごとに大将になれることに変わりはありませんから、牛はちっとも気にしなかったのですが…。
それから虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬と順番にやって参りまして(ところでヘビは一体どうして六位という好成績をたたき出せたのでしよう…)、最後にイノシシが到着してレースは終わりとなりました。
さて翌日正月二日のこと。神様のもとに猫がやって参りまして、
「神様どうも明けましておめでとうございます。まだ他には誰も見当たりませんが、どうやら僕が一番乗りのようですね。どうも、動物の中の大将にしていただけるとは大変光栄なことで、この度の神様のお図らいには本当に…」
「おいこら、君いったい何を寝ぼけたことを言っとるんだ。今日はもう二日であるぞ。」
「ええ、二日でございます。二日の朝にご挨拶にうかがえとお聞きしておりましたが…」
「バカもん、誰がそんなことを言った。顔でも洗って出なおして来い!」
それで猫はやたらと顔を洗うようになったとか何とか…。
まあつまりこれはまたネズミのやつに一杯食わされたのですね。うっかり神様のおっしゃった日付を忘れてしまった猫がネズミにたずねたところ、「おいおい、君、しっかりしたまえ。神様は確かに正月二日の朝に来るようにとおっしゃっただろう。」と…。
さて悔しくなった猫は思いました。
「くそお、今に見てやがれ…。」

それからこの無念は猫の親から猫の子へと代々語り継がれていったわけですが、そのうち一匹の猫がこんなことを考えたのです。
「いくら干支の大将が偉いったって、しょせん十二年に一度のこと、それも年半ばにもなりゃたいてい忘れられてるじゃあねえか。どうせならもっと毎年毎年、それも年がら年中人に拝まれるような存在になりてえもんだな…。」

さてさて、それは日本の江戸時代のことですが、彦根藩は井伊家二代当主の井伊直孝公が江戸の郊外に鷹狩りへお出かけになられた時のことです。
それは鷹狩りにふさわしいよく晴れた日だったはずですが、にわかに雲行きが怪しくなったと思うと、たちまちのうちに車軸しゃじくを流すような土砂降りになってしまいました。直孝公御一行はほうほうの体で何とか大木の下へと逃げ込むと、「やれ困った」とそこで雨やどりをして雨の止むのを待つことになされたのです。
すると向こうにある古ぼけた寺院の軒下に何やら白いものがちらちらと動いているのが目に映りました。よく見ればそれは一匹の白猫で、直孝公に向かって右手をあげてこっちにこいこいと招いているようなのです。
直孝公はいぶかしく思いましたが、何かその不思議な猫に誘い込まれるようにして、寺の門へと急がれたのでした。ところに突然ドカンバラバラと大雷鳴が鳴り響いて、つい一寸前まで御一行がその下に居た大木はバラバラと砕け散ってしまったのでした。
「はあこれは…何と不思議な猫であるかな…。この猫は我が命の恩人である。有難ありがたや…。」

そう、つまりこれが「招き猫」の由来なのでありまして、見事猫は干支の大将に勝るとも劣らない縁起者となったのでした。
おしまい。

※ 二つの説話に筆者が勝手な連想を加えたお話です。あしからずご了承を。

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