テレメンタリー「母をさがして~養子縁組で渡米した洋子~」を見て
4月26日、一昨年から関わってきたプロジェクトがテレビ朝日系列の番組「テレメンタリー」で全国放送されました。こういう世界の数字には疎いのですが、計算上百万人近くの人が見たことになるそうです。びっくりの数字ですが、なかなかに実感できません。というのも、ツイッターでエゴサしても「見た」と言う人がほとんどいないからです。早朝の社会派の番組ですからツイッターを使いこなす年齢層とは違う年齢層の人たちが見てくださっているのでしょうか。見られた方はどんな感想を持たれているのでしょうか。気になります。
テレメンタリー2020
今回のプロジェクトは、確かに私に届いた一通のメッセージから始まりましたが、その後の展開は報道関係の方々が背中を押してくださらなかったら進んでいませんでした。クラウドファンドを募った時に、私の朝日新聞のコラムの当時の担当記者の方がこのプロジェクトを記事にしてくれました。その記事を読んだテレビ制作の方が興味を持ってくださり、企画をテレビ番組に通してくださりました。その頃はクラウドファンドの成否も見えず、洋子さんのお母さんのこともほとんど分からず、どうなるか全く見えない頃です。さらにこの物語は横須賀の物語です。それを関西の新聞とテレビ局で実現したこと。これ自体が奇跡的なことでした。記者とテレビ制作の方と夜遅くまで和歌山で語りあったことが懐かしいです。
「テレメンタリー」の関西での放送時間は朝の4時55分から。超早朝でした。子供達が寝ている時間だったので、私は一人で車のワンセグで見ました。夜明け前の誰もいない駐車場。そこでみたオープニング映像はなぜかとても感動的でした。
「母をさがして ~養子縁組で渡米した洋子~」は30分番組です。昨年の10月16日に関西の番組、キャストで放送された時は約15分だったので今回はその倍の長さ。また、番組の一特集コーナーではなくて、しっかりと見てくれることを想定した時間帯に放送されるドキュメンタリーでした。BGMも抑えられ、言外の内容を伝えるための間も確保されていました。
物語は私、木川剛志とバーバラさん、木川洋子さんの縁を追いながら展開していきます。映像ではその時代を視聴者に理解してもらえるように、裏付け映像がきちんと挿入されていきます。今回の番組の秀逸なところはカメラワークの素晴らしさです。カメラを担当した中西さんは自身がテキサス州の大学を出て、現地で働いていた経験もあり、今回の企画には並々ならぬ思い入れを持たれていました。テキサスという共通点もあり、今回の旅ではバーバラさん、そして彼女の子供達、シャーナとジェイソンともすっかり受け解けて、当事者の立ち位置とも言える距離感で同行してくれました。だからこそあの距離感で映像が撮れたのでしょう。先に放送されたキャストの映像で、昨年度の関西写真記者協会協会賞(グランプリ)を受賞されたのも納得できます。
この物語は、戦後混乱期の横須賀の話です。綺麗事では済まない事象を扱ったドキュメンタリーです。映像の行間からは言葉を慎重に選択されたディレクターの苦悩が読み取れました。母親の過去。洋子さんの家族との関係。扱いづらいセンシティブな事柄でも伝えようとする強い意志を感じました。伝えなければならない。この姿勢はジャーナリズムの姿勢なのでしょう。情報番組ではない、報道の姿勢でした。だからこそ、私は彼らと一緒に旅することができたのです。
このプロジェクトを進める中で、バーバラさんと同じ時期に生まれた混血児の方の母親探しをテーマとした過去のテレビ番組を見ました。生き別れた母の写真を見つめて「いつか会いたい」と言う男性。それがその方の夢でした。ただ、テレビに映されるのは、母を探す番組スタッフと再会の場所へと連れていかれる出演者の図。作られた演出の先には、番組スタッフが実母の子、彼にとっての弟からの面会謝絶の電話を受けるのをただただ傍観するしかなかった男性の姿がありました。感動的な再会の瞬間を撮りたい。そのテレビの論理によって、彼の長年の夢は叶わなかった、私にはそう見えました。
ドキュメンタリーの難しさは、撮る側と撮られる側の関係が映像に映ることでしょう。今回の撮る側、番組制作者はすでに旅の当事者でした。だからこそ伝わる何かが映像に乗っていました。知っているはずの物語なのに、感動している私がいました。泣いている私がいました。
さて、次は私がドキュメンタリー映画を完成させる番となってしまいました。正直なところ 足踏み状態が続いています。新型肺炎の影響もあります。ナレーションの日程が全く見えません。しかし、今の問題は技術の問題ではなく、私の立ち位置の問題であり、覚悟の問題です。過酷な人生を送られた信子さん、洋子さん。彼女たちの人生を描くためには、彼女たちを一点の疑いもない愛情で見つめることができるのか、寄り添うことができるのか、それが問われています。どこかで自分が有名になるためだとか、映像を面白くしたいとか、そんな邪念が入った瞬間に終わります。それはおそらくテレメンタリーの番組スタッフも同じ道を歩まれたのではないでしょうか。
より良い社会に。他人を思いやれる優しさを誰もが持つ社会に。綺麗事に聞こえる言葉ですが、これを本気で信じながら、私のドキュメンタリーを仕上ていきたいと思います。
猿渡さん、中西さん、ありがとうございました。そして、このきっかけを作ってくれた白木さん、ありがとうございました。
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