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ご縁・五行・神話

みなさんこんにちは。気学Style 西島です。

今日は啓蟄、本日より3月が始まります。暦の上では春も盛りに差し掛かる頃ですが、まだまだ寒い日も多いですね。
緊急事態宣言も一部延長され、「春」がきたとはなかなか感じづらいところもあるのかもしれません。

このコラムも何か皆様のお役に立って元気が出るようにとの思いもあって描いているところもございますがこれまで描いてきた投稿で皆様が皆様なりの気づきを得られましたら幸いに存じます。

そうした部分において、何かnote上でマガジン的なものを作ってみるのも面白いかなども最近は考えております。
その折はまたどうぞよろしくお願いいたします。

さて、今回は少し思い出したところのお話から少し考察的なお話を広げてみたいと思います。

戸隠神社から高千穂へ

・戸隠神社

何年か前になりますが、ひょんなご縁から長野の方に家内と行くことがあり、その際に戸隠神社にご挨拶をする機会を得ました。

この時はあまり何も考えておらず、ただ由緒ある神社であることを聞き、その時逗留していたところからそう遠くもないからということで、戸隠神社の奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社など、一通りお参りさせていただきました。

奥社はへ向かう山道には、それは立派なクマスギの並木があり、ちょっとした山登り感覚ではございましたがぴんと澄んだ空気感のとても素晴らしいところであったように覚えております。
祭神についてですが、当時は「なぜ」その神様がそこにいらっしゃるかなどさほど気に留めることもございませんでした。

また、ちょうどここで初めて御朱印帳を求め、初の御朱印をいただきました。
忙しい中、神社詣りもそう多くはゆけませんが、少しずつ御朱印も増えてきております。

・伊勢神宮

そのしばらく後、伊勢神宮にご挨拶にゆく機会を得て、外宮・内宮はもとより、二見興玉神社・猿田彦神社などにもご挨拶させていただきました。

つくづく思いますが伊勢神宮は素晴らしいですね。
いつ伺ってもあの佇まいには感動を覚えます。
もちろん、ありがたく御朱印もいただいて帰ってまいりました。

・高千穂

そして、伊勢神宮へお参りしてその確かほぼ半月後であったかと思います。
家内と宮崎へ出張がはいりました。

宮崎での仕事を終えて付近を調べてみますと、天孫降臨の地である高千穂がございます。

せっかくだから神様にもご挨拶させていただいて帰ろうと、高千穂町を訪れたわけですが、興味深いことにここにも「天岩戸神社」がございます。

先にお参りした伊勢神宮関連の二見興玉神社にも、鳥居をはいって間も無くのところに同名の小さな神社があるのですが、同名のものがこちらにもあるというわけです。

天孫降臨の地、高千穂ということですからある意味こちらが本場なのかしらなどと思ってお参りに伺ったわけですが、二見興玉神社のものとはスケールの違うとても立派な作りのものでした。

また、天岩戸神社の付近に「天安河原」という場所がございます。

こちらは、天照大神様が岩戸にお隠れになった際、八百万の神々が一同に介して「いかにして天照大神に出てきていただくか」を神議した場所とのこと。

皆様ももし機会が得られましたら是非一度訪ねてみていただきたいところです。
この天安河原という場所は神々が集まっておられたからなのか、流れる川の水も、それを囲む景色もとても美しく、ありふれた風景ではあるはずなのにその風景自体がなぜか現実離れして感じられるような場所でした。
その後高千穂神社にもお参りしたのですが、私的にはこの天安河原の方がとても気に入ったことを覚えております。

なお、この天安河原にも祠がございますが、その御祭神は
「思兼神(おもいかねのかみ)」「八百萬神(やおよろずのかみ)」
…と、神様全員という豪華さです。

神社にお詳しい方でしたらここまでの流れで面白く感じておられるかもしれませんね。

奇縁

さて、ちょうど天岩戸神社にお参りしての帰り道、親切なおじいさんがいろいろと神社の所以などについてお話ししてくださいました。
いわゆる天岩戸のお話と、関連する神様のお話などをお聞きできて嬉しかったのですが、何より物語の情報が細かいところが素晴らしかったです。

そんな中で思わずはっとする内容が耳に留まりました。
それは天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)の岩戸開きのくだりでした。

…天岩戸が少し開いた時、力自慢の「天手力雄命」という神様がその岩戸をこじ開けたというエピソードがあり、それは私も知っていました。

ですが、その岩戸は左右二枚構成であったことは今回のお話を聞くまでは知りませんでした。

そして、天手力雄命は天岩戸をこじ開け、それぞれ放り投げて(蹴り飛ばして)しまうわけですが、そのうちの一つは日向国辺りに飛んでいったというお話であったかと思います。

そして、このおじいいさんの説明によると、もう一つは長野の方まで飛んで行ったいうことです。このお話には驚きました。

長野といえば、戸隠があります。
「岩戸が飛んで行った先で戸隠(戸隠山)となった」
ということは、のちに調べてわかったことですが、当時は

岩「戸」・「戸」隠と、話がリンクしすぎていることに驚き、このお話を聞いて

「長野といいますと、ひょっとして戸隠ですか?」

と、思わず聞き返したことを覚えております。
果たして実際その通りであったわけですが、その当時あまり物事をわかっていない身にはとても驚きでした。

この驚き、伝わりますでしょうか。

何より、私たちはその日(も)戸隠で得た御朱印帳を持参してきていたのです。

戸隠で得た御朱印帳をもって伊勢神宮をまわり、そして天岩戸神社にいたるというこの流れ。

伊勢神宮から高千穂は日がさほどあいておりませんでしたので、高千穂へゆく時は

「天照さんつながりだね」

程度の感覚しかなかったのですが、実は御朱印帳の起点、戸隠からつながっていたということに気づかされてなんともいえない不思議なご縁を感じました。

天岩戸の飛んで行った先の戸隠でいただいた御朱印帳が、伊勢神宮を経て天孫降臨の地と言われる高千穂は天岩戸神社に巡ってきた不思議。
あるいは、御朱印帳とともに遠く戸隠から高千穂まで、気がつけばあたかも巡礼してきていたような不思議。

これによって何かが示されるということはございませんが、たまたま機会を得て訪れた場所場所が気がつけばひとつながりの流れの中にあったというこのご縁・巡り合わせは、改めて思い返しても不思議に思えます。

また、そのような機会を得られたことをとてもありがたく感じます。

五行と神話

振り返り話、前置きのつもりでしたがだいぶ長くなってしまいました。

さてこの高千穂にて時折見かける「彫り物(えりもの)」と呼ばれるものがございます。
主に神楽を奉納する際の装飾に用いられるそうですが、例えば下のようなものです。

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紙を切り抜いて十二支や模様飾りなど作るもののようですが、ご覧いただいてはっきり判りますように、「土」「火」と描かれた模様もございます。

これ以外の文字では「木」「金」「水」もございます。

興味深いことに、神話に関する行事の中に五行の概念が出て参ります。

さきに出てきた、いろいろ親切に説明くださったおじいさんのお話によりますと、高千穂を中央に置き、これを護る形で東西南北に祠が置かれているそうです。

そして、中央の高千穂は「土」に相当するとか。四方の神社は残った五行を担当するそうです。

日本古来の神話などの中にもここまではっきりと五行の概念が息づいていることにはいささか驚きました。

どうも私の中で陰陽五行というものはとかく中国伝来な印象が強く、日本の神事でここまで明確に「木・火・土・金・水」と飾られますとどことなく違和感すら感じてしまいます。


が、その一方で、確かにこうした五行、あるいは易・気学的な概念は古くから日本の物語に影響していることはなんとなく知ってはいました。

例えば、古事記においてイザナミが黄泉の国を訪れるという一節がございます。

そもそもこの「黄泉の国」とは死者の国を示すものです。

ウィキペディアによりますと、「黄泉の国」の「黄泉」は大和言葉の「ヨミ」に、漢語の「黄泉」の字を充てたものであるとされています。なお、漢語で「黄泉(こうせん)」は「地下の泉」を意味し、それが転じて地下の死者の世界の意味となったということです。

「黄色・死者の世界」なのですから、この「黄泉の国」の「黄」は「土の五行」のテーマカラーであるとともに、「五黄土星」の「黄」でしょう。

当時、「五黄土星」などという言葉はなかったかもしれませんが、この星の概念の原型は日本に伝わっていたのではないかということが窺えます。

「陰陽五行」・「易」・「気学」…と、昔はこのような言葉で括られてはいなかったかもしれませんが、当時よりこれらに関する知識はやはり日本に流れ込んではいたのです。

ここで詳細は割愛いたしますが、別の例としましてはたとえば
「イザナミの神産みによって産まれた神々にも五行が意識されている」
という研究もあるようです。

神話の内容を五行思想などで分析するということは、ある意味においては神話を解体することにもなりかねません。
もちろんそのような野暮はいたしませんが、しかし私たちが共に暮らしてきた「日本の神様」においても陰陽五行の要素は色々と入り込んでいるということに改めて気づかされたというエピソードです。

そういう意識で振り返ってみて参りますと、日々何気なく私たちが目にする神社などのカラーリングや文様、建物の造りなどにも陰陽五行などがあちこちに意識されているのだと感じます。

そしてここにおいて改めて、

その形(もしくは色)になっていることにはその意味がある

ということを思い知らされます。

普段目にする昔からの風景、当たり前のものとしてただ流していた景色が、少し調べることによって新たな発見をもたらし、ささやかな気づきをもたらしてくれるかもしれません。

そしてこの気づきや発見により、私たちは神事などの文化においてより奥深さを感じられるようになり、またあるいはこれまでとは一段深みのある日常を過ごせるようになるのかもしれません。

最後になって話がいささか逸れてしまいましたが、こうした五行などの思想は私たちの暮らしの中・習慣の中、あちこちに隠れていそうです。

大人になるにつれ
「それはそういうもの」
…と見てしまいがちですがスマホも普及したこの時代、いろんなものに「なぜなに?」の気持ちで接してみたいですね。

そして、日本神話や古来の風習の中に見え隠れする五行思想など拾い集めてゆくこともまた面白そうです。

気づけば気付くほどに世界が広がる感じは面白いですね。
このコラムでも色々と「要分析」としておいているものがございますが、できるだけたくさん消化してゆきたいと思います。


次回の投稿は3月11日です。




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