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あの頃の私。

おはようございます。
こんな時間に目が覚めました。
38度まで一気に熱が上がり、こんなに熱が高くなったのは10年前のインフル以来だなぁと
わけのわからない懐かしさを覚えつつ
なんとか乗り切ったecoです。

再び睡魔がやってくるまで
昔のことを思い出したので書いておこうと思います。

私が小学生だった頃。
今思えばHSS型HSPがあの頃から全開だったなぁとふと思い出しました。
田舎で長女で女の子。
祖父祖母は弟の長男次男を男尊女卑全開で可愛がり、いつも、少し我慢をした覚えのある子供時代でした。
両親は共働き。
父は自営業、母は保育士。
忙しくほとんどいなかった父。
忙しい合間を縫っていつも話を聞いてくれた母。
家には高い車があったし、大きなバイクもあって、
田舎だからだけど広い家に広い庭。
大型犬(ゴールデンレトリバー)を2頭。
おそらくその頃の周りの子から見ても少し裕福な家でした。

学校での私。

小学生の私は、高学年に入った頃から、『長』がつく仕事をなんでも任されていました。
(今考えたら押し付けられていたのかも)

クラス委員長・家庭科クラブ委員長・地区長・部活キャプテン・応援団長・選挙管理委員長…etc

何かをする時いつも頼まれていたり、
挙手せいでずーーーっと誰も決まらずいると、
先生から「ecoちゃんどう?」と言われ、「…はい」と引き受けていたのを覚えついます。

そして引き受けては、家に帰ってやりたくないよと母に泣きついていたような気もします。
「お母さんが断ってあげようか」
という母に「引き受けちゃったもん、そんな無責任なことできないよ」と泣いていました。
子供ながらに自分が断ったら誰かをまた決めないといけない。
その時のみんなの反応が怖いとも考えていました。

修学旅行
確か修学旅行だったと思いますが、
グループ決めの時、クラスで1人浮いている女の子がいて、その子が今までいたグループからはじかれ、ひとりだった時がありました。

その時、先生が「ecoちゃんのグループに入れてあげてくれない?」と頼んできたのです。
私は、責任感、倫理観をたぶん頭で思い浮かべ、この先生の言いたい事、断った自分がどう見られるかとかを一瞬で考えて、結局引き受けました。
でも後から同じグループの子から「なんで勝手に決めるの?」と言われ、すごく謝った覚えがあります。修学旅行がすごく楽しくなかったです。

4〜6年生の担任。
この先生が私の人格形成にすごく影響あったのは間違いありません。
博愛主義者で、全員名前で呼び合うように決めたのもこの先生だったような。
優しいけど曲がったことは絶対に許さない。
そんな印象だったな。。。

イジメ。
高学年になった私はそういう『長』のつく仕事をしつつ習い事にも通い始めました。
ピアノ、習字、水泳、英会話

英会話なんてこの頃じゃすごく珍しかったと思います。ましてや田舎です。習い事を4つも行ってる子はあんまりいなかったように思います。

どれも自分で好きで行っていたと思います。
あんまり覚えてないけど笑

月謝も高かったろうに、両親には感謝です。

ただ、この周りの子どもと違う状況がいじめられる原因になったのも確かでした。

とくに私の地区は子供が少なく、同級生の女の子は私を含めて3人。
その2人からいじめられていました。

ある日の帰り道。
いつもの道に紫の実をつぶした汁で私の悪口を人の家の塀いっぱいに書いてあったという事がありました。
なんて書いてあったのかはもう覚えてません。
母と一緒にデッキブラシで消しに行った思い出があります。

その頃はよく泣いて走って帰っていた気がします。
(よく、“仲間外れ”にされていたから1人で帰ってた)
すごく学校から家まで遠くて(片道40分)
色んなことを考えながら呟きながら泣きながら
とぼとぼと帰っていたなぁ。
すごく汚い言葉でおっきい声出しても誰も周りにいないのでよく言っていたかも。(周り全部畑)
それが『いい子』の私のストレス発散法でした。

泣きながら帰った日は、
母がココアを入れてくれて、玄関(田舎の玄関で6畳くらいあった)で2人で並んで話を聞いてもらったなぁ。

母への依存度。
低学年の頃は、父に「また来てね」と言ってしまうくらい(それくらい私達が起きている時間に家にいないから家族と認識してなかった)子供から見て母と父との存在感の認識の違いがありました。
たぶん、怒られた事って本当に数えるほどかもしれないです。
姉弟喧嘩したときも、膝あたりをペチっとされたくらいだったかもしれない。
私にとって受け入れてくれる唯一の存在が母で、
それは今も変わりません。
母がもし死んでしまったら。
そう考えると即涙が目から溢れます。
これは小学生の頃からで今もそうです。
(というか今この文章打ってるときも涙出てきた)

母も高齢になってきました。
いつかくる別れ。

私が結婚したくない1つの原因は、
出来るだけ母と一緒にいたいからなのかも。
老後の面倒も絶対に私がしたい。
弟の嫁にはさせたくない。

もし、その時が来たら。
私は生きていけるのかなとよく考えます。

母がいなかったら、もう私の事をわかってくれる、なんでも話を聞いてくれる人はもうこの世にはいなくなります。
HSS型HSPであることも母だけは知っています。

その時が来たら。

1番恐ろしい事です。
考えただけで辛くて涙が出てきます。


そろそろ

睡魔が少しきたのでそろそろ、今日はここまでにしようかな。
本当に記憶障害なの?
というくらい飛び飛びでしか記憶がなく、
不安でしたが、少しは覚えていました。
思い出した時に備忘がわりに書き留めておかなくては。

note初めて数日。思いっきり闇の内容しか書いてない気がしますが、私はHSS型HSPなので、
めっちゃ明るい人間でもあります。
今度は沖縄にひとり旅いった話でも書こうかな。
ではでは、今日はこの辺で。
おやすみなさい。

eco


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