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「自分は恵まれているから」という考えがつらいときは

「自分は恵まれている」と思っている。

さすがに学生の頃はそこまで思えてなかったけど、大人になった今は恵まれすぎていてこわくなるくらいには。

両親との関係も良好で
夫や義理の両親との関係も良好で
ガツガツ働かなくても生きていけて
身体も心も今ではそんなにしんどくなくて
それなりに不自由なく暮らせていて…

自分よりもっと苦労している人、大変な人、世の中にいっぱいいることは知っている。

だから何かいいことがあっても、すぐに「まあ私は恵まれているからね」と自分で思ってしまう。誰に言われなくても自分が自分にそう言ってしまう。


ちょこっとだけ心療内科に通っているんだけど、こないだは先生にも言ってしまった。「よくここまで頑張ったね」と言われて「いや、わたしは恵まれているのでここまでこれたんです」と。

すると、先生は真っ先に否定してくれた。「そんなことないよ、あなたはよく頑張っている、それは本当にすごいことなんだよ」と。

心療内科の先生なんて、わたしよりもずっとずっと”大変な人”を見ていると思う。そんな先生にそう言われると、思わず泣いてしまった。そうなのか、わたしは恵まれているけれどそのうえで頑張ってきたのか、と。


先生とのやりとりから、じっくりひとりで考えてみた。

わたしはほかの人に向かって「あなたは恵まれているからそんなことができるんだよ」とか、絶対に言わない。なのに自分に対してはそう言ってしまう。ということは、心のどこかで「自分は恵まれているのだからもっともっとがんばらなければならない」と思ってしまってるんだろう。そしてそれが苦しいと思っている。

だったら。

同じ”恵まれている”のなら、~しなければならないとがんじがらめになるのではなくて、周りと自分にもっと感謝したい。
恵まれているなと思える日々を、大切に大切に過ごしたい。

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今はこうして前向きにnoteを書いているけれど、自分と向き合ってでてきた思考は、すぐには自分のものにならない。だから心の中のあったかいところにおいておこう。いつでも思い出せるように、記しておこう。


あと、「自分よりもっと大変な人がいることを知っている」のは悪いことではないのだけど、知りすぎているのかもしれないな、とも気づいた。自分からその大変さを野次馬のような気持ちで見に行く必要は、ない。

もちろんその大変さを誰かに相談されたり、自分の大切な人が大変な思いをしていたら、自分にできることを全力でやる。でもそうじゃないときは、毎日を穏やかに過ごせていることに感謝して、前を向いて進んでいきたいな。


恵まれていることは、こわいことじゃない。そう気づけてよかったなあ。
わたしのなかでの大きな気づき、最後まで読んでくださりありがとうございました。




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