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"からだ"がおしえてくれること[前編]

ダイエット歴を綴っています。
今日は今まで自分がどんな風に
"からだ"と向き合ってきたかを
書き留めたいと思います。はぁー…


わたしは、7ヶ月前に、運動後のストレッチ中に左膝内側の靭帯を傷めてしまいました。
ものすごく痛かったのですが、すぐには病院には行きません。
『そのうち治るわ』


1週間、日課の運動をガマンしました。
でも治りません。


運動はやめているけど、住んでいるマンションのエレベーターは使わずに階段で。
通勤の駅のエレベーターも一切使わず階段で。
それもものすごく早く上り下りします。
歩くのも超早歩き。


仕事中も人には頼れず、そんなの申し訳なくて、何でも自分で。


家族にタクシーに乗りなさいと言われても、もったいないと乗りませんでした。


運動をしないと気持ち悪くて、何かスッキリしないし、体のラインは変わってくるしで、これぐらいならいけるかなと思えるような運動をすぐに再開します。
でも以前のように動けないので、とても不満を感じていました。


わたしの予定ではすぐに治るはずなのに、階段を使うと激痛で、あまりに治らないので、病院に行ってレントゲンを撮ってもらいました。
骨にも異常はないし、膝のお皿と骨の間もちゃんと隙間があるとのことで、『靭帯を傷めているので安静にしてください』と言われて、レーザー等を当ててもらうリハビリに通いました。



痛みがだんだんマシになってくると、これまたすぐに調子に乗って、体を駆使していました。
(今、振り返るとそうなのですが、渦中にいる時には、あまりわかっていませんでした)
そしてまた痛みが酷くなるという、負のループを繰り返して、その生活にも段々と慣れてくる始末。
リハビリにも通わなくなりました。


運動したい病が酷いので、ピラティスなど、膝に負担のないような運動も取り入れますが、時には痛みを感じながらも、少しくらいならと続けます。
相変わらず、階段は激痛で使えません。


そのような生活を続けているうちに、今度は膝に水が溜まってきました。膝の前側だけでなく、裏側まで。なので曲げるにも曲げにくいし、これは困ったので、病院に行きました。


整形外科の先生は、本当に良く診てくださる先生で、4ヶ月前に撮ったレントゲン写真をまた、くまなく見て、膝の横側の骨が石灰化しているところが気になるから、一度、MRIを撮りましょうとのことで、数日前に行ってきました。



そこでわたしは、すっかり治っていたと思い込んでいたパニック発作を起こしかけます(ガッツリ起こしてはいない笑)。

以前は起こしてもガマンにガマンを重ねて、惨事になっていたので、今回はすぐに機械を止めてもらい、休憩させてもらいます。


技師さんに迷惑をかけていること、順番を待っている次の人に申し訳ないこと、色んなことが頭を巡りますが、どうしても治したいわたしは、何とか落ち着き、また機械へ入ります。
でもまたチャンネルが合いかけてしまう。怖い。


で、わたしは何をしたかというと、無意識だったのですが、自分の機嫌をとり始めたんです。


『しんどかったんやな。まだ治ってなかってんな。それやのに、気づかなくてごめんな。"あたま"ばっかり先走ってたんやな。もう頑張らなくていい。もうゆっくりしたらいい。ごめんな。』
目から涙がポロポロポロポロ出てきて、動かないように、こっそーり拭いながら、どこかでホッとしていたんです。

そうしたら、泣いたのもあるかもしれないけど、途端に落ち着いてきました。



長年、自分の容姿がイヤで、ダイエットや過食嘔吐に苦しんで、心も身体も疲れ果てて、分子栄養学に辿り着きました。
これや!と雷に打たれて、身体のしくみを理解し、わたしはわたしを理解したと思っていたけど、それは"あたま"で理解していることであって、"こころ"と"からだ"を置いてけぼりにしていたのです。



それをMRI検査をしたことで、目の当たりにすることができました。
勉強はとても楽しいけれど、こころとからだをそこに当てはめて、無理に引っ張っていたのです。



わたしが師事している先生方は
『栄養と心理はセット』だと言います。
どちらかだけを切り離すことはできないのです。
そんなことは重々承知のつもりでいました。
そしてこうも言われます。
『順番を間違えないように。』
様々な不調を治すのにも、順番があるのです。
そんなこんなも頭では理解しているのに、自分のことになるといつもこう、ハマらない感覚がありました。


早く早く!と急かすばかりで、自分ときちんと向き合えていなかったからです。



その頃、心理学をわかりやすく解説したyoutubeの動画をふと見ていて、そこには、『これはわたしへのメッセージでは?』と思えるような言葉だらけでした。
短くまとめると、


あなたは誰からの愛も素直に受け取れず、人にも頼れず、いつも罪悪感で苦しんでいる。


あなたを助けたい人たちにも、迷惑をかけているんだと辛くなる。
でもそれは、あなたの周りの人が本当にそう思っているのではなく、あなたがあなたを愛していないから、周りの人もきっとそうなんだと思いこんでいるだけ。


神さまはどんな人にでも、もれなくギフトを贈っている。
それがあなたの個性であり、それを人に分け与えることがあなたの使命である。
なのにあなたは、せっかくのギフトは全て当たり前だと思っていて、あれが足りないこれが足りない、わたしはダメな人間だと言って、自分を責めている。


そしてわたしは罰せられるにふさわしい人間だと思い込んでいる。罪悪感に苛まれながら。


辛い経験も、それはあなたに何かを学ばせるために起きていることであって、決して罰をうけているのではない。


あなたがあなたを責めることをやめれば、世界がどれだけあなたに優しいかを感じることができるよ。



わたしは長年苦しかった原因はこれだと確信しました。
誰にも何にも責められていないのに、わたしはずーっとわたしを責めている。
たくさんのギフトには気づかずに。


そんなことを感じ始めた頃にMRI検査の結果が出ます。


わたしが想像していたものとは違うものを突きつけられ、今までどんな風に自分が自分を扱っていたかを、もっと色濃く見せられることになります。
(悪い病気などではありません)


長くなったので、後編で続けます。

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