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大切なものを見失う前に〜スマホに操られている私たち〜

電車に乗って
周りを見渡すと、
ほとんどの人が
スマホを見ている。

決して悪いことではないが、
そんな世の中を見て、
私は思ってしまうのだ。

なんて寂しい社会に
なってしまったのだろうと。

1.善悪の判断を鈍らせるスマホ

今では生活の必需品となっている
「スマホ」。

(2024年3月29日「高校生新聞オンライン」)

この記事は、
授業中にスマホで動画を見る人、
スマホが原因で集合時間に遅れる人が
学校内にいるという現状から
ルールの意味を問う内容となっていた。

スマホによって、
私が中学生、高校生の頃には
考えられなかったことが
最近の学校では起こっているようだ。

いつの間にか
「スマホ」は私たちにとって
必要不可欠なものとなり、
善悪の判断を鈍らせるほどの
影響力を持ってしまったのである。

この問題は
「時代のせい」という
言葉だけで片付けてしまって
良いのだろうか。

2.スマホに操られている私たち

スマホが流行り始めたのは、
私が高校生の頃である。

高校生の頃の私は、
スマホと言っても
今まで使っていた
ガラケーと同じようなものでしょ
と思っていた。

そのため、
スマホを持ち始めても
スマホはあってもなくても
どちらでもいいやと
感じていた。

それが、今では自分にとって
なくてはならないものに
なってしまっている。

これはきっと、
どんどんと便利になっていくことに
慣れてしまったからなのだと
感じる。

また、スマホに
何でも頼りっぱなしになることで、
自分自身の感性や考えが
鈍くなっているようにも思う。

スマホに
操られてしまっているのは、
先ほど、ご紹介した記事の中の
高校生だけでなく
私自身もなのだ。

3.大切なことを見失う前に

なぜ、ここまで
「スマホ」は手放せないものと
なってしまったのだろうか。

・簡単に人と連絡を取ることができるから?
・簡単に分からないことを調べられるから?
・簡単に暇を潰せるから?

自分自身の生活を豊かにするために
スマホを使うことは
悪いことではない。

しかし、豊かさを求めすぎて
本末転倒となっていることにも
気が付かないといけない。

授業中にスマホで動画を見る
スマホに夢中で集合時間に遅れる

こうした言動は、
周りの人に迷惑を掛けている。

スマホによって
そのことにも
気が付けなくなっているのであれば、
どんなに豊かさを求めても
心は空の状態である。

最後に
私自身にも忠告しておきたい。

自分の心の豊かさは
近道をしようとしても
得ることはできず、
自分自身の言動と
他者との関わりから
得られるのだ。





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