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「きづく。転職相談」トップコーチインタビュー(武重 麻衣子): 出産、子育てを経験して辿り着いた本質的なキャリア支援

経歴

▶第1のキャリア〜学歴主義、大手思考だけで選んだ初めての就職〜

新卒で入社したのは損保業界最大手の会社様。当時、女性活躍推進のための抜本的改革を掲げ、それまで「一般職」という職種だった募集から「地域型総合職」という募集へ切り替わった第1期生でした。

今では信じられないと思いますが、女性と男性で暗黙的に採用形態が別れていて、いわゆるバックオフィス的役割が女性だったところから、男性と同じ業務を女性にも、という革新的な時期だったのです。

関東圏の地域型総合職の同期は350名ほどいたように記憶しています。その中から約20名の女性が営業担当として配属されるのですが、そのトライアルメンバーとして選ばれ入社したのが私でした。(最初からわかっていたわけではなく、入社後の研修で選抜メンバーがいるということを知りました)

配属は本店管轄の旅行保険専門の部署で、小さな旅行会社様担当の課。同期の女性陣は大手の旅行会社を担当しとても華々しいデビューのなか、私は小さな旅行会社様の担当。1社1社にかけられる時間数が少ないなかでも、髪を振り乱しながら代理店を周り、全国出張の日々です。さまざまな方との関わりを持つことができる環境にあってもメールや電話でのコミュニケーションは欠かさず、代理店教育をメインの営業担当として頑張りました。その結果、最終的には約70社を担当するまでに。

入社して約3ヶ月経った頃、私のトレーナーとしてついてくださっていた先輩がご病気で入院することになります。110社ほど担当していた課で営業は私含め3名。まだ立ち上がりきっていない新米でしたが強制的に一人で動くしかない状況になってしまいました。「一人で行ける?」と先輩から問われ、不安はたくさんありましたが無理とは言えず「もちろんです!大丈夫です!」と不安だらけで頑張る日々でした。メンタルも相当参っていて、こっそり泣いた時もありました。
一人で業務をやり遂げているうちに知識量も付いていき、あっという間に同期から相談されるポジションにまでなります。当時の愛読書は”保険約款”。まったくもって女性らしさのかけらもない日々を過ごしていました。今となっては懐かしい思い出です。

入社1年目からこれだけたくさんの業務に関わらせていただいた経験は、社会人としての自信を築くためには充分すぎる体験でした。大手企業ということもあり、組織としての安定感はありましたが、働く中でちょっとした違和感を感じていたのも事実。その違和感を決定的に感じたのが、2年目で結婚報告をしたとき。直感で「この会社で長く働くことは難しい」と感じ、すぐに退職を決め、3年目で退職をします。

▶第2のキャリア:大好きなブライダルの仕事〜子育てとの両立の難しさ〜

退職後数ヶ月経ったタイミングでブライダルの仕事をスタートしました。御縁のあった方からお声をいただいたことがきっかけです。業務内容は、当日の結婚式の運営サポート全般。披露宴でのサービスを行うことはもちろん、オペレーションキャプテンとして挙式運営に携わることが多く、新郎新婦様の近くで関係各所に連携し、人の調整、スケジュールの調整を瞬時に判断していく役割を担っていました。

数分で100名を超える人を動かすためには、どこのポジションのスタッフがどのように動けばいいか、どのようなお声がけをすると人は気持ちよく動くことができるのか、関係する業者さんにも協力を得るためにはどんなコミュニケーションをとると良好な関係が築けるのかなど、”対話・言葉選び・所作・印象付け”など深く探求し学ぶことができた日々でした。大勢の人前で話すことも好きで、人を動かすという役割も非常に自分の強みとマッチしていた仕事だったと自負しています。

本当は今でもこの仕事は続けていたかったと思っていますが、この期間に第1子、第2子の出産を経験します。第1子の出産後は2年間の待機児童をしながら、託児所、一時保育、実家の力を借りつつ、働くことに必死でした。”子供がいるからできない”と思われるのだけは自身のプライドが許さず、決して泣き言は言わない、と。とにかく必死にくらいついてお仕事は続けていましたが、体はボロボロ。休日は1日中ベットから起き上がれないのは当たり前で、子育てもろくにできていない日々でした。

実家との関係性も悪くなる一方で、何のために働くのか、子育てはキャリアをあきらめることなのかと悶々としていました。業界柄女性が多かったものの、子育てしている女性は私一人。理解を得ようなんてことは全く考えず、どうすれば皆と同じように働けるのかと自分を追い込むことばかりを続けていましたね。

しかし第2子出産後、ついに決定打が下ります。「やりたい仕事ができるなんて思うな」「いいかげんにしなさい。平日保育園がやっているときにできる仕事にしなさい」と家族中の大反対を受けます。悔しさと、納得できない気持ちがありましたが、私が自分で”ママ”という役割をつくったんだ、いつまでも子供じみたことを言っていてはいけないと、最終的には退職を決意します。

▶第3のキャリア〜子育てができる条件の場所で働く選択〜

第2子の出産後はあっさりと保育園が決まり、お仕事がすぐにできる環境が整いました。当時長男は年長で幼稚園に転園、長女は1歳児クラスで保育園に内定という状況。2箇所の保育先の送り迎えをしてから、就業し、また2箇所のお迎えができるところで仕事を探しました。時間・今後のキャリアを考えて、「事務職」ということだけで探しました。するとまた御縁があり、知人の社会保険労務士事務所で働けることが決まりました。全くの未経験ではありましたが、お仕事をさせていただけるというのは非常にありがたいと思い、パートとして入社します。

入社後はPCスキルを戻すことと、専門的知識を在職期間中につけると決めて入社しましたので、かなり前のめりに仕事をしていました。まさか自分が「社会保険」「労働保険」などを扱う仕事に就くなんて想像もしていませんでしたが、これも何かの縁だと思い、子育て期間中はお世話にならせていただこうと一生懸命働きました。小さな事務所だったこともあり、すぐに中心メンバーとして活躍させていただくことができ、あれよあれよと知識、実務ともにスキルアップした期間でした。

そんな中、子どもも成長し手がだいぶ離れ、自分も36歳の誕生日を迎えます。急にアラフォーへの焦りを感じ、その先のキャリアを考える機会がありました。そんな中で仕事をしながら、2019年8月に国家資格キャリアコンサルタントを取得します。続けて2019年10月にコーチング資格を取得しました。

この営みの中で、大きな気づきが自分におきたのです。「自分ができないと言っていることを子どものせいにいつまでするの?」と。それから2020年は激動の期間。がむしゃらにやれそうなことを体験し学ぶ日々。パーソナルコーチとしての活動もスタートさせました。コロナがきっかけで全国の方とたくさんつながる事ができ、自分の視野を広げる期間となりました。

▶第4のキャリア〜キャリアの再構築、自分軸で生きる〜

2020年11月から現在は、ITベンチャーの人事として会社員をする傍ら、パーソナルコーチとして活動をしています。おかげさまで前職の経験で、未経験の企業人事として新しいキャリアをスタートさせることができています。自身の強みが何で、得意が何で、何を会社に還元できるかを言語化できたときから、これまでの自身のキャリアを悲観することがなくなりました。そして、自分がやりたいことを社内、社外両方向に活動ができており、夫に頼らない、自立した女性としてのキャリアを再スタートさせる事ができています。

転職相談を受けるに至るきっかけ

今も私の周りには過去の自分と同じ悩みを抱えて、日々頑張っている女性がたくさんいます。少しでも何かこの経験が役に立つなら、と活動場所を広げている中で「気づく、転職相談。」と御縁をいただくことができました。

私がコーチとして大切にしているキャリア心理学の中でお伝えしていることにプランド・ハップンスタンス理論があります。最近ご相談を受ける中で、あたかも自分のやるべきことがもう決まっているはずだと動けないで苦しんでいる方を多く見ますが、最初から決まっていることなんてないと考えるのはいかがでしょうか。

私は「好き」を仕事にしていたときから、年数を経て「得意」を仕事にするという軸に変換し今があります。過去への執着は、今を変化させないという能動的意思決定とも言えます。とはいえ一人で悩むのはしんどいです。ぜひ一度、無料相談でお話ししましょう。お会いできる日を楽しみにしております。


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