見出し画像

創るは一生。演るは一瞬。

KidsJazzコンサートin サオリーナの一場面から ゲストのこどもたちもがんばってくれました♪

長い長い時間をかけて、創作と稽古を重ねた「KidsJazzコンサート」12月18日、12月26日 両日程無事に終えることができました。
演奏、音楽絵本劇場、舞台芸術、会場内外の準備運営、一緒に手を取り合えたたくさんの仲間たち、
そして私たちの創り上げたものを目で耳で分かち合ってくださったお客様に
花束の如く「ありがとうの束」を贈らせてください。

何度も話し合って生まれた物語「いのちの樹」

今回上演した音楽絵本劇場「いのちの樹」は、創り始めはクマちゃんと男の子が中心に出てくるおはなしでした。
創っていく段階で、新型コロナウィルスが発生。世界がガラリと変わりました。大切な命が脅かされたり、悲しい別れがあったり。
そんな中で自分の中に強烈に浮かんだ「いのち」というメッセージ。
子どもたちと、みんなと、音楽を通じて「いのちって、なんだろねぇ」と見つめあいたい。
脚本は子ども園の園長先生も務める作家まきちゃんが、日頃の子どもたちとのふれあいの中でお話の土台を。
そこに絶賛パパライフ中の画家、タカミツ氏が息子ちゃんのことや高齢になられたお父さんの日々のことを、
ワタシは母(脳出血サバイバーです)や 自閉症啓発LIUBでの日常や特別支援学校で関わる子どもたち、高校生たちの姿を思いながら。
押し付けがましくない、感動の押し売りでもない、さらりとしていてかわいらしさもあって、そんななかでふと「気づき」があるような。そんな物語を目指しました。

命という環の中で生きる私たち

物語のクライマックス。おじいさんがこれまでの日々を振り返り、得たもの失いつつあるもの、
だからこそ気づくもの、「ちがい」がもたらすもの・・・ポツポツと語る。

物語は、森の長老樹とどうぶつたちの何気ない日常を描いたもの。
森の高台で、遠い川のせせらぎを聴き、風の音に耳をすまし、木漏れ日や雨さえも「きれいじゃったのぉ、たのしかったなぁ」と失いつつ振り返るおじいさんの姿に、森で暮らすみんなが「なんとかしてあげたい」と一役買ってくれるのです。

森のどうぶつたちは、地域の子どもたちが森のかわいらしいどうぶつたちには地域の子どもたち(事前エントリー)が。ストーリーや立ち回りをお稽古しましたが、台詞はあえて「これ」と決めず、おじいさんの「昔は聞こえていたんだよ」「見えていたんだよ」という声に「どうしたらいいかなぁ・・・」と問いかけ、子どもたちが自分の言葉でしゃべる ということに拘りました。

根っこにJazz。 の、創り込みとありのまま

私たちの表現の根源にはJazzという魂のようなものがある。
奇遇を面白がるというか、想定外にこそ旨みがあるというか。
演奏にも、セリフにもアドリブ万歳。
でも、お金を払ってチケットを買って寒い中足を運んでくださるお客様にグダグダなものをお出しするわけにはいかない。
音楽も、物語も、ステージ展開も「来てよかった」と思っていただける作り込みは必要。
私たちの場合は、創り込み。
舞台上で思わぬことが起きても、なんだったら鼻くそほじっちゃう子がいたっていい。それを旨味に変えられる、積み重ねた技量と包み込むような柔軟性を併せ持つ職人の集まりだからこそ、成り立たせられるぞという自負があるのです。

舞台の上には、画面に長老樹、でもそのとなりに長老樹の心を表す竹あかりとバルーン。体育館であることを忘れさせる照明のアートと舞台上の植物たち。
舞台装飾チームは当日までお互いが何を創ってくるかを知らない状況。「竹がこうきたか」「バルーンはそうくるわけね」「ススキがああなるのか・・・」でまるでSessionのような。 竹あかりを担当してくれた川渕皓平氏がこの創作を振り返って「なんか、ジャズでした。ぼくら。」と語ってくれたのがすごく嬉しかった。

分かち合える相手があってこその表現。演るは一瞬でも創るは一生。


何もない空間に向かって表現することも、それはそれで良いと思う。そこに自分がいるのだから。
だけど、ワタシは仲間と一緒に作ってその場で生まれる感動をたくさんの人と分かち合いたい。
長い時間、本当に長い時間かけて準備してきたこのコンサート。
本番は一瞬。流れ星のようでした。
まだまだできる。もっとやれることがある。
だから、創り続けるし稽古も重ねる。
年末からお正月は・・・そりゃぁもう燃え尽きてたけどさ。
みんな、待っててね。また一緒に遊ぼうね!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?