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子どもに感謝を教える必要はあるのか?

今日の記事担当は
Lilly(コト中村博美)です。


8月のお盆に
お墓参りに行ってきた時の
ストーリーです。

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子どもたちが真剣に
手を合わせています。


私「ねぇねぇ
一体何を祈ってるの?」


命音(兄)
「全て感謝で始まり、感謝で終わる。
ドヤ顔で以上!」😆


光透波(弟)
「僕の頭の中は、感謝しかないよ。
感謝の塊で、
感謝で埋め尽くされている。
これまたドヤ顔で以上!」😆

私「よっ中村兄弟!

感謝しかない世界って
お主たちやるな🤩

素晴らしい〜」

なんてお墓で笑ってました。

(実は私たち親が子どもたちに
感謝について
教えたことはなくて

何か頂きものをしたら
相手の方にありがとうを言ったか!
とか、わざわざ
そんな媚びさせる(^_^;)
教育もしていないのですが、、、)


ちなみに
夫の実家は喫茶店で
幼少の時から


お客さんから色んなものを
頂くそうで

その度に母親から
「ありがとうを言ったか」と
言われていたそうです。

お部屋で寛いでいても
「頂き物をくれた
お客さんが来はったで
ありがとうを言いに
顔を出しなさい!」

そして頂き物をすると
必ずお返しをしなければ
いけない。

それが日常茶飯事
だったようです。


感謝を伝えることは
当然、人として
とても美しい在り方かも
しれないですね。


でも子どもたちの姿を
見ていると

自分の欲しいものが
手に入れば

わーい、わーいと喜んでいる。

欲しくないものは
喜ばない。

全く大人に媚びるなどないから
愛想笑いなんて当然しない😅


でも
自分の望んでいたものや
自分にとってワクワク
するものなら
当然無邪気に喜んでいる。


その喜んでいる無邪気な姿を見て
私も喜んでいる。


これって受け取った側は
与えてもらった感謝がある。


でも与えた側も
与えることで
喜びをもらっている感謝がある。

そんな風に感じるのです。


私が家族にご馳走をしたら

「わーいわーい美味し〜♪」

そんな
美味しそうに食べている
子供たちの姿
そのものが私にとっての喜びで


与える方は相手に
感謝して欲しいとか
ありがとうを言って欲しいとか

そういうことよりも

自分が与えたものを
喜んでもらえるのがただただ
嬉しくて

この嬉しさをもらっている
ことが何よりも感謝だなって
感じちゃうわけです♪


だから子供にわざわざ

ご馳走した私に感謝しなさい!
頂いたお礼を言いなさい!

とか思わないし
当然そんな躾は
自然としない感じですが


そういうことよりも

子どもたちが
産まれてきてくれたこと

存在そのものが愛しくて

共に家族として
我が家にやってきてくれたこと
が喜びしかなくて


中2と小6
随分と大きくなったけれど

いまだに
寝顔なんかめちゃ可愛くて
たまらなくなりますね。

きっといくつになっても
親バカあるあるですね

画像4

(この写真は小学3年生の時のドライブ中😆)

だからついつい
寝る前にはいまだに

産まれてきてくれて
ありがとう。

存在してくれて
ありがとう。

パパとママを選んで
やってきてくれて
ありがとう。

と感謝が溢れて
伝えずには
おれなくなるのです。


きっとこうした毎日が

彼らは自分自身が
元々感謝の存在なんだと
当たり前に
受け入れているんじゃないかな。

彼らも自然に
産んでくれてありがとう
と伝えてくれる。


与えてもらう側の
もっとも深ーい感謝は

お墓参りの時の彼らの
お祈りの通り


命のバトンへの感謝


その深い感謝が子供を通して
私たち人間という存在には
元々既に備わっていたんだと
感じました。


これまでは当たり前に
外側の誰かに
何かをしてもらったから
感謝すること

それが道徳、躾、美徳
でした。


だけど子供たちの存在を
通して感じるのは

自分自身が
存在していることの感謝。


元々が感謝の塊で
感謝で満ち満ちているようで
ありがとうしかないようです。


「特に僕は
何か欲しいとか
何かやるべきとか
何か秀でたものがあるとか
勉強が大好きとか
何か特別に
好きなことがあるとか
特別な趣味とか
あるわけじゃないけれど

そういうことよりも

僕の趣味は

生きることで

人とコミュニケーションを
とることで

家族と楽しく過ごしている
この毎日が幸せで

これだけでもう充分。」


と今朝の食事中に
次男の光透波が
語ってきてくれました。

ほんまやな〜って
一緒にお互いの存在に感謝し
満たされた朝食を共にしました。


親が子供に対して
生きていく上で大切な躾けは
あると思う。


ただそれはやもすると
他者からどう見られるか

世間体や体裁からの躾に
なっていないだろうか。

〇〇をしないと
この子はダメな
大人になるんじゃないか

という怖れからの躾に
なっていないだろうか。


私自身そんなところが
これまでにあったし

何十年かけて
この世の善かれの躾や
価値観に染まってきたし

自分の親の良かれ
価値観の押し付けが
嫌だったにも関わらず

自分が親になると
子供に同じことを
してしまっていたり

随分とこの世の正しさや理想に
私の思考も染まっていましたが

それは必ずしも子どもの
可能性を開花させるどころか

存在の魅力を
閉ざしてしまいかねないものでも
ありました。


そうとも知らずに

アナタのことを思って
ママは言ってるのよ
教えてるのよ。

なんてことを
涼しい顔で言ってきたけれど(^_^;)


そんな時、子供たちは容赦なく
もの凄い反抗や抵抗で
見せてきたこともあった。

次男は2歳の時に
「もうママには
分かってもらえない!」
なんて
家出したこともあれば😅


お風呂場の浴槽から
「もう僕はここから飛び降りる!」
なんてことを言ってきたり😅

ほんと産まれた時から意思が強い
子でした(^_^;)。

《自分を映す鏡として見ると
これが私の内なる男性性
なのです。》


今では、私の価値観を
押し付けすぎると

はい、ママ
それってごうまーん
ピーコンピーコン

なんて笑いながら
突っ込んできます😂


親である私自身
新次元思考テクノロジーに
出会えたことで

子供たちを鏡として
自分の隠していたエゴや

こうあるべきという思い込みや

抑圧してきた
見たくもないコンプレックスを


しっかり見破っていく
作業をしてこれました。


私自身が実践によって
あるがままの自分を
取り戻すことで

やがて耳のシャッターが
開くようになり

子供たちのあるがままを
受け取れるようになってきました。

画像3

子どもたちから発せられる
キラリと光る
時にはハートに突き刺さる
愛と感謝のメッセージを
受け取れるようになりました✨


そういう意味で
子供に何かを教えなきゃという
ことよりも

子どものピュアな存在から
教わることばかりで

ガチガチになってしまった
私たち夫婦の大人思考を
破壊しにきてくれました。


新次元思考テクノロジーに出会って
16年。

今ではすっかり
共に無邪気な愛と感謝の世界を
楽しんでいます。

画像2

本日の執筆者:リリー(中村博美)京都府在住。
モデル業を経て、カフェを立ち上げ経営に携わる。一人の女性としても恋にビジネスに邁進。しかし、どうしても拭いきれない空虚感を埋める為に世界各地を旅し、ヒーリング、女性の解放運動、地球環境活動などに携わる。 それでも繰り返す成功と失敗に疑問を抱くなか、究極の答えMIROSSシステムと出合い仕事も恋愛も、この世の全てのものにはシステムが存在する事を知る。MIROSSシステムによってその根本的なシステムを理解し、あるがままの自分を取り戻すと、たった1週間で約束された永遠のパートナーと出合う。結婚後も、夫と二人でMIROSSシステムを実践すると、夫の全身のアトピーが一瞬で消え、子供が本来の創造性で輝き始めるなど数々のミラクルを体験。複雑な家庭環境で育った自身から今では完全にリセットされ、笑いが絶えない「思い通り」の人生を歩んでいる。


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