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国語・算数・食育

子どもが寝静まって、明日も仕事がない土曜日の夜。
そんな今日は馬鹿みたいなビジョンについて話たいと思います。

「教育」というキーワードが自分の中のコアに現れる

もともと食育に対して自分の中でアンテナが貼られた理由も「教育的な何か」を感じていたんだろうなとは思っていたのですが、実際に食育の活動をはじめだして、より一層自分は「教育」に携わる人間になりたいんだなぁという想いにたどりつきはじめています。

尊敬する人は「父」「小学校の恩師」「幼稚園教諭だった祖母」

なんでこんな話をしているかというと、たまたま今日の昼間、尊敬する人を3人あげてという問いをもらって「父」「宮下先生」「おばあちゃん」と回答したことがきっかけ。この3人の共通点が「教育者」であったということに自分的にも、妙に腹落ちして・・・

「家庭科」じゃなくて「食育」

現在の教育の中にも「料理」という視点でみると、むかーーーーーーしから「家庭科」は存在していて、教育の中に食育的な要素がないわけではありません。

しかし、時代が変化する現在において「家庭科」の「家庭」という言葉に少し違和感を感じるように。食に関する課題は今や「社会」の問題であり、「地球規模」の問題。SDGsが提唱される現代において、「家庭」という範囲にとどめてしまっていることに違和感を感じているのかもしれません。

昨今の家庭科においては、2022年度から始まる高校授業の新学習指導要領では、資産形成の視点に触れるように規定されはじめたり、変化の努力を感じつつも、教育現場においてはもっとドライブが必要だと感じています。

国語・算数・食育、って並ぶくらい
食育が教育の中核になってほしい

食育を学ぶことは、食を大切にすることを通して、自分自身を大切にすることだと思います。

しかしながら、核家族が進んだ現在、祖母や母からの料理の継承が途切れつつあり、加えて女性の社会進出により料理にかけられる時間が減り、食が軽視される状況にあります。

そしていまだに、食育はママがやるものとうい認識がぬぐえず、ママがそのプレッシャーに苦しんでいる状況。でもママだって人生1回目、ママになって突然料理が得意になるわけではないんですよね。

なので「教育」の現場に入り、多くの子どもたちに平等に食育の機会が与えられ、ママの負担が軽減されている状況になればよいなぁ。且つ食育が「国語・算数・食育」という不動の地位に立てるほどの市民権を得ていたら良いなぁと思う土曜の夜でした。

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