『バラードじゃ物足りないわ』が最高だから聴いてくれ!という話

アドベント・カレンダー2nd(https://adventar.org/calendars/5642)参加記事。
ジャンル厨なんで、シティポップ解説とかやろうかなとも思ったのですが。

好きな曲に狂うヤツ、今まであんまりやって無かったので、やってみようかなと。

さて、表題の通り。
10月30日に投稿されたNoz. さんの『バラードじゃ物足りないわ』。

自分はこの曲を聴いた際に、こんなツイートを残してます。

この曲のヤバさ、凄さをね、もっと解って欲しいなと。
いや、みんな気付かな過ぎでは?
これから、秒単位で話してくので、うざい絡みをする面倒くさいやつを想定しといて下さい。

覚悟は良いです?じゃ、始めます。

まず、開始5秒まで。
ピアノのジャーンという音と共に、リンちゃんのハイトーンが刺さる。
このピアノでジャーン!で、聴衆の耳をグッと引き寄せるというのは、かのベートーベンが編み出した極意であるわけですよ。

で、11秒。
「組み上げるべきだるぉう」
ね?
鏡音の巻き舌、マジ最高。
もうここまでで100点満点なのだよ。

で、ここまで続く、ピアノ単音での音色。
コード理論とか解説できたら、知恵者な感じで格好良いんだけど。
そんな知識は残念ながら持ち合わせて無いので。
でも、語ったって良いじゃん。
こうJAZZYな空気をこの時点でかなり感じる訳ですよ。
ブルーノートだっけ?そういう展開してないです?違います?

18秒から、テケテケドコドコとディスコなビートが入ってくる。
盛り上げていく。
20年代と70年代の邂逅。
サタデー・ナイト・フィーバーとソウル・トレインが、ここでやってくる訳ですよ。

30秒からの「未体験の朝までぇぇー」シャーで、ブレイク入るの最高でしょ?もう、完全にこっちをコントロールしてる、音展開な訳ですよ。

で、続く「スウィングのリズムで」から、ウネウネ蠢く、スラップ奏法なベースラインが入ってくる。シャカシャカ鳴るマラカスも良いよね。

42秒「んンー」なリンちゃん。
ナイスなグルーヴに今日は酔わされちゃうぜ。

ボカロでこうスキャットみたいの入るのあるけど、それよりももっと原始的というか、思わず出てしまった的な声って、やっぱり、こう良いのだ。

そのまま「強めのアルコール」からの「ああああーあーああ」。
もう感嘆符がそのまま、声になって出てきたような。
鏡音リンにソウルが宿った瞬間なんですわ。
亡きゴッドマザー、アレサ・フランクリンに、献杯。

コーラスで入る「トゥルトゥトゥトルルル」に、マイケル・ジャクソンの影を感じて、また胸アツなわけで。

ごめん。MJ。こんなMADからの紹介で。

56秒。タイトルの「バラードじゃものたりなわ」のシャウトと共に入るブラス、ホーンセクション。これはぶち上がるよね。

思えば、ディキシーランドの王、”サッチモ”ことルイ・アームストロングも、ジャズの帝王マイルス・ディビスも、どちらもラッパ吹きだったわけで。

そもそもジャズの誕生は、第一次世界大戦時の器楽隊から払い下げられた、軍事品だった楽器から始まってる。

闘争たる兵器と、平和のための「ピース・メーカー」という役割との両面があるわけだ。

人もまた、愛ゆえに争い、愛ゆえに平穏を得る。

そう、だからこそ、愛なんてもったいないと、ボーカロイドは歌うわけ。

そもそも、ボーカロイドは肉体を持たない。
ボカロ性愛可能派な同人設定好きな方は宗旨違いだ、許せ。

ソウル・ミュージックが、スピリチュアルな愛につながってるとしたら、ファンクはより肉体的な、実在的な世俗的な接触を歌った。

「魂の救済を願うより、愛しの彼女と今晩イケるかどうかだろ?」

と、言ったか言わないかは知らないけど、それでも、ファンクの帝王ジェイムズ・ブラウンは「ゲロンパ!(Get on up)」と叫ぶわけだ。

ソウルの甘いバラードじゃ物足りなく、愛の囁きは勿体なく。

肉体性がファンクの代名詞であるなら、その「愛」はボーカロイドには「勿体ない」のだ。受け止めることが出来ないから。

結局のところ、ボーカロイドは人と人を介在するハブに過ぎないわけで、しかも、それは掛け違いの「通じ合ってるようで、通じ合ってない物」でしかない。

まさしくピノキオピーが今年のマジカルミライのテーマ曲で歌わせたように。デブリの海で都合の良い夢を見ているだけなのかも知れない。

楽曲を聴いて、まるで自分の事を分かってもらえたかのような、そんな救いの感情を否定するつもりはないけれど。

そんな逡巡や葛藤すらも、「確かめてる暇は無い」と斬って捨てられるw

そう、ただ、音に身を沈め、思うがままに天国の底まで。

小難しい思想は、ファンクには似合わない。
ただ、そこに音があれば良いのだ。

ナイスなグルーヴに今日は任せて。

圧倒的な音の前じゃ、ただ踊るしか出来ない。

そこに愛はあるのかと問われれば、確かにもったいないよ。
愛し愛され、よりも根源的なものでぶん殴られる、それがファンキーなミュージック。

分かってくれ。いや、感じてくれ。

うん、読み返してみたけど、支離滅裂だ。

最後に、MJにあまりに申し訳無さすぎるから、大好きな一曲を貼っておく。

というわけで、意味が分かろうが、分からなかろうが、『バラードじゃ物足りないわ』という曲が、ブラック・ミュージックとして完成された、完全なものである事は揺るぎないので、全リスナーは改めて聴いて、深く噛みしめるように。

これは、ファンクな黒いキリストからの命題である。

以上。乾杯。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?