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書物の転形期12 洋式製本の移入9:辞書と民間製本

『附音挿図 英和字彙』

 『東京製本組合五十年史』には次のような記述がある。

明治六年に、日就社から刊行された「附音挿図/英和辞彙」は、柴田昌吉と子安峻の共編に成る背革装の洋式四六四倍本で、俗に日就社辞典として知られていたものであるが、その当時はまだボール紙が日本に輸入されていなかつたので、表紙の芯には、張子紙(浅草紙を重ねて締めつけたもの)に、押圧をかけて使つたほどで、その革表紙は上海まで人を遣つて箔押しをさせたといつた大げさなものであつた。
 それだけに、この製本を請負つた製本師は、これだけで相当に儲けて、贅沢な生活をしていたという話もある。

 日就社は柴田昌吉・子安峻・本野盛亨が横浜に開いた活版所である。『附音挿図 英和字彙』(日就社、1873)には、実際に調査できたものでは三種類の製本が確認できた。そのうち、ここで言及されている表紙の芯に「張子紙」を使い、「上海まで人を遣つて箔押しをさせた」という革表紙を持った製本は、玉川大学蔵本と国文学研究資料館蔵本(コ2:87)であろう。ここでは国文研本によって造本を記す。

 縦26.0㎝×横20.5㎝。本体用紙は縦25.0㎝×横18.2㎝。総革で丸背花布を持ち表紙に枠とタイトルの箔押しがされている。この箔押しが上海でなされたものだろう。本体用紙は四丁立て総綴じで細い綴じ糸で丁寧にかがっている。支持体は三本でくるみ製本だが溝がない。表紙と後ろ表紙は二本の幅5㎝の寒冷紗によってつながっている。

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『附音挿図 英和字彙』初版、国文学研究資料館蔵本(コ2:87)のスケッチ。

 表紙の芯が鼠損により露出しているが、芯は灰色の和紙を重ねてプレスしている。上記の引用にある「浅草紙」とは「江戸(東京)の浅草・山谷・千住などで製した漉き返しの紙」であり、「張子紙」とは張子細工に用いる粗紙で、「新聞紙を主体にコウゾ原料の反古や木綿をまぜた紙料を溜め漉きして、干板にローラーで密着させて乾燥」したもので「明治初期に東京の千住方面で始ま」ったという。「芯紙」とも言われ、本の表紙にも使用された(久米康生『和紙文化研究事典』、法政大学出版局、2021)。紙の色や紙質から見て、『附音挿図 英和字彙』初版の芯も漉き返しを重ねていると思われる。

 紙を重ねて押圧し芯の厚みを作る方法は、上海辞書のミルボード芯でも見られる技法である。1869年美華書館製作の『和訳英辞書』にその技法が見られる。和紙をミルボードの代用として使ったと考えれば、上海の辞書の芯と和紙重ね貼りの芯とは技術的に近似したものであったと言える。

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『和訳英辞書』初版、内閣文庫蔵(E008393)。表紙の芯のミルボードを重ねて厚みを出している。

 革表紙を上海で箔押ししたということだが、もし製本まで上海でやったのならば、表紙の芯がボールではなく和紙が使用されているのは不自然である。本書は日本で製本されたものであろう。『孛和袖珍字書』と同じく美華書館の辞書製本と製本様式は酷似している。箔押しの経緯や芯の技法から、『附音挿図 英和字彙』は上海との技術的なつながりがあった可能性があるが、直接それを示す文献的な証拠はない。

 また、本書がくるみ製本にもかかわらず溝がないという点については、大貫伸樹に次のような言及がある。

青山学院大学所蔵の『附音挿図英和辞(ママ)彙』を見た限りでは、くるみ製本の糸かがり上製本ではないかと思われる。綴じつけ本の場合は、蝶番の役割をするフィッセルが芯ボール紙の外側を通って綴じつけられるために表紙と耳の境に溝はない。しかし、くるみ製本の場合のフィッセルの端は、芯ボール紙の内側に糊付けされるため、開いたときに、耳がテコの原理の支点とならない。そのため、耳と芯ボール紙との間に、表紙の厚さ分だけ溝を作る必要がある。『附音挿図英和辞彙』にはこの溝がないので、一見、綴じつけ本のように見えるが、表紙を開けてみると、ノド寄りのところに長さ二センチほどのフィッセルの端が扇状に広げて貼りつけてあるのが、見返し用紙を透して見つけることが出来るため、くるみ製本と判断した。
(大貫伸樹『製本探索』、印刷学会出版部、2006、初版二刷)

 同書の写真を見る限りでは、青山学院大学図書館蔵本は『東京製本組合五十年史』に言及されているものとは異なる装幀である。大貫が指摘しているように、その後の印書局の洋装本などにも溝のないくるみ製本の書物があるが、上海で製作された辞書にもあった。『和英語林集成』二版(1872)や『大正増補和訳英辞林』(1871)がそれである。しかし、パターソンの伝習によって製作された印書局本にも溝なしのくるみ製本があるということを考えると、上海の製本の特徴とも言えない。この点を明らかにするには、欧米のみならず植民地・居留地などコロニアルな場の洋式製本について、より詳細な実態調査が必要であろう。

 なお、日就社は1874年10月に外務省の『締盟各国 条約類纂』(内閣文庫、ヨ329-196B)を印刷している。縦25.7㎝×横19.5㎝、本体用紙の厚さが3.8㎝の四折判厚冊。赤着色の背革と角革に装飾紙の表紙。表紙の芯はストローボード。四丁立の総綴じである。綴じ糸は極細で材質が『附音挿図 英和字彙』初版の国文研本と酷似している。背紙が露出しており、洋紙に活版で漢字二文字と白ゴマ点が印刷されている。国内で製本されたものだろう。『附音挿図 英和字彙』初版を手がけた製本師による製作の可能性がある。

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『締盟各国 条約類纂』、内閣文庫蔵(ヨ329-196B)

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同上、扉

 『附音挿図 英和字彙』については次のような記事がある。

文部省報告第五号
明治七年三月二十八日発行
今般子安峻柴田昌吉著英和字彙ノ板権並製本共買上左ノ代価ニテ払下候ニ付求需ノ者ハ当省準刻課ヘ申出ベシ
上製一部 金八円
中製同 金七円七十五銭
下製同 金七円五十銭
「公文録・明治七年・第百六十八巻・明治七年三月・文部省伺(布達)第五号報告」

 初版刊行の約一年後に、文部省は『附音挿図 英和字彙』の有用性を認め、政府で買い上げて希望者に払い下げることにした。この「上製」「中製」「下製」がどのような造本を指すのか不明であるが、『附音挿図 英和字彙』には先に見たものとは異なる製本の「初版」が二種類内閣文庫に所蔵されている。

 内閣文庫蔵本(E002697)は縦25.0㎝×横19.3㎝。本体用紙は縦24.2㎝×横17.7㎝。紺色のクロス表紙に緑着色の背革と角革。丸背で花布を持つ。本体用紙は四丁立てだが抜き綴じである。支持体三本の綴じ付け製本。表紙の芯はストローボードでマーブル紙の見返しである。

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『附音挿図 英和字彙』、内閣文庫蔵(E002697)

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同上、見返し

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同上、ストローボードの芯。

 内閣文庫蔵本(E002700)は縦25.6㎝×横19.7㎝。本体用紙は縦24.8㎝×横18.2㎝。総革丸背で溝なしのくるみ表紙である。本体用紙は四丁立ての抜き綴じ。表紙の芯はミルボードだが、重ね貼りされたかなり厚手のもの。見返しは二枚のマーブル紙をクロスで連結したものである。

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『附音挿図 英和字彙』、内閣文庫蔵(E002700)

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同上、見返し

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同上、ミルボードの芯

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同上、地。溝はなく花布がある。

 上記の二種類の初版は、いずれも抜き綴じを使っており、素材も大きく異なる。先述の一本も含めこれら三種類の初版の製作経緯や格、売価などの関係はわからない。先述の文部省から大蔵省への伺では、版権とともに「製本四千二百二部」を買い上げるとしている。

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「英和字彙買上ノ儀ニ付伺」国立公文書館蔵

これだけの製本を一手に引き受けるだけの規模を持つ工房はおそらく無かったのではないか。また、「初版」とあるが、製本も同時に完了したとは考えられない。印書局ですら紙幣寮に未製本の書物を大量に移管している。『附音挿図 英和字彙』初版の製本には複数の職人・工房が関わったのであろう。なお、日就社が『附音挿図 英和字彙』の活字を有効利用して、1874年11月に『読売新聞』を創刊したことは周知のことであろう。

 1873年には他の洋装本辞書も出ている。その一つ岸田吟香編『和訳英語聯珠』(耕文書館)は、縦27.0㎝×横20.0㎝。本体用紙は縦26.5㎝×横19.3㎝。黒着色の背革角革に緑のクロス表紙。丸背で花布を持つ。本体用紙は四丁立て総綴じで支持体は五本の溝なしくるみ表紙。見返しはマーブル紙を用いる。この辞書は『大正増補和訳英辞林』の訳語を引き継ぐもので、よく売れた。1873年には国内でも辞書製本ができる職人や工房が本格的に活動していたことがわかる。

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『和訳英語聯珠』、内閣文庫蔵(E017797)

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同上、扉

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同上、支持体

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同上、表紙

 辞書のように大量の情報を収め検索の便宜が必要な書物は、活版による洋紙両面印刷を洋装本で一冊にまとめることで格段に使いやすくなる。しかも辞書は過酷な使用に耐える造本でなくてはならない。他の書物に先駆けて辞書がかがり上製本になった理由である。その使い勝手の良さは情報容器として商品価値を持つ。民間が辞書の洋装本化にいち早く取り組んだ理由でもあろう。では辞書以外の一般書はどうであろうか。(この章つづく)


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