見出し画像

書物の転形期18 パターソンの洋式製本伝習3:居留地の製本師3

横浜居留地の製本

 横浜の居留地で確実に製本された本は、欧字新聞社が発行していた逐次刊行物や各種案内であろう。居留地の需要に即して編纂された出版物である。

 "Japan Herald Directory"(Japan Herald Directory and Hong List) の1872年版(Japan Herald, 1872)は、外形が縦24.8㎝×横21.7㎝、厚さ0.6㎝、本体用紙は縦24.3㎝×横20.8㎝、厚さ0.4㎝の薄冊である。

画像1

Japan Herald Directory 1872, 内閣文庫蔵(E000787)

 本体用紙を重ね、さらに見返しに当たる1ページ分(ペラ)の紙を載せた背の部分を寒冷紗でくるみ、その上から四点の穴を空けて平綴じしている。クロスで二枚の板紙をつないだものでくるみ、寒冷紗と見返し部分を表紙の芯となる板紙に貼り合わせる。本体用紙の背貼りはなされていない。背芯が入っていないため、板紙と背の間に段差ができる。表紙にはマーブル紙と題簽が貼付されている。

画像2

画像3

同上、見返し。ノドから見返しにかけて寒冷紗の裏打ちが透けて見える。

画像4

同上、見返しの破れ目から綴じ糸、綴じ穴、寒冷紗が見える。

画像5

同上、表紙とペラの見返しの間に寒冷紗がある。

 "Report and Returnes ofnthe Foreign Trade in 1869"(Japan mail,1870)は外形が縦33.5㎝×横22.7㎝と大判だが、やはり厚さは0.5㎝と薄冊である。製本も"Japan Herald Directory and Hong List"と同様の簡易な製本で本体用紙は六点の平綴じ。表紙にペーストペーパーを用い角クロスが施されている。

画像6

Report and Returnes ofnthe Foreign Trade in 1869, 内閣文庫蔵(E003072)

画像7

同上、見返し。ノドから見返しにかけて寒冷紗の裏打ちが透けて見える。

画像8

同上、綴じ糸。左の綴じ穴附近の破れ目から寒冷紗が見える。

 "The Japan Gazette Hong List Directory 1876"(Japan Gazette, 1876)は、総クロス装だが、製本はやはり前の二つと同じ簡易な製本である。

画像10

The Japan Gazette Hong List Directory 1876, 内閣文庫蔵(E000638)

画像11

同上、見返しノド。綴じ糸が見える。

画像12

同上、綴じ糸。平綴じ。破れ目からキャラコの裏打ちが見える。

画像13

同上、見返しと1ページ目の間をキャラコの裏打ちで継いでいる。

 これらの製本は、パンフレット用の実用製本である。すでに紹介した印書局以前の大蔵省刊行物である『官版国立銀行条例 附成規』『明治五年 大蔵省布達全書』との類似点が多い。このことからも、官庁の初期洋装本が居留地の製本師に外注されたものであった可能性は高い。

明治五年大蔵省布達全書・国立銀行条例附成規

『官版国立銀行条例 附成規』『明治五年 大蔵省布達全書』、内閣文庫蔵

 もう一つ留意しておきたいのは、この製本といわゆる「南京」「南京綴じ」と呼ばれる製本との類似である。大貫伸樹『装丁探索』(平凡社、2003)が各事典の「南京」の定義を列記しているが、大貫が述べているように「背布の下にボール紙が入っていない製本様式」であること以外は、定義は一定せず曖昧なものである。だが、例えばその中の牧経雄『製本ダイジェスト』(印刷学会出版部、1964)による「南京」の特徴には「一般の見返しとちがって、南きんの見返しはペラである」「ノドぎれで見返しの足を継いでいる」とあって、横浜居留地のパンフレット製本の特徴と酷似している。洋式の実用製本が当初、中国人製本師らによって横浜のいわゆる南京街で行われていたとしたら、「南京」という名前の由来もこのあたりにあった可能性がある。ただし、「南京綴じ」の名称は1900年代後半にようやく文献で確認できる。より慎重な考証が必要であろう。

 さて、横浜居留地ではこのほかに以前紹介した辞書や一般書の製本も行われていたであろう。いずれも装飾がほとんど無い実用的なものばかりである。居留地という新開の商業地で求められた製本とはかくのごときものだった。そして、それは西洋化を進める日本が第一に洋装本に求めたもの、すなわち洋紙両面刷りの印刷物をパッケージできる情報テクノロジーとしてのありようとも合致していた。

 ならば、なぜ印書局は横浜居留地の製本師を利用せず、新たにパターソンを製本師として招いたのだろうか。ここには印書局の北米コネクションが大きく関わっていた。(この節終わり)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?