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幸せになることに、臆病になってはいけない

「でもな」「どうしようかな」との戦い

とある暑い日。。。
成年後見という制度がありまして、ご高齢の方の財産管理のお仕事をしています。都内にお住いの女性の方(90代)で、かれこれお手伝いを開始してから11年。当初は定期訪問に行くと、よく昔話をして下さりました。幼少期の戦争の話や、銭湯に行ってやくざのおじさんに会った話など、それはそれは情景豊かにお話をして下さりました。標準語ではありますが、大阪育ちだったこともあり、あけすけなくハッキリ言ってしまう性格もとても気持ちが良かったです。今は寝たきり状態でして、以前のようにお喋りができないのが少し寂しいです。

最寄駅を降りて、おばあさんの家まで歩いて7分ほど。とにかく暑い日だったので、汗が流れないよう、それはそれはゆっくり丁寧に歩きました。身体にかける負荷を最低限にした歩行で、なんとか汗をかかずにご自宅に到着。「こんにちは!」と大きな声で中に入り、荷物などを置かせて頂き、ベットで寝ているおばあさんの顔を覗き込んで、、、うん、顔色も悪くない(よし、よし)。日頃からお世話になっているヘルパーさんなどサービス事業者さんにも心の中で感謝し、あっ、この部屋にはおばあさんと私しかいないし。

「いつもありがとうございます」

と小さく声を発してみて、感謝の気持ちをお部屋においてみました。郵送物などをチェックして、「また来月きますね」と声をかけて退室。彼女は生涯独身の方で身寄りがなく、家庭裁判所で選任された私が家族代わりの立場となります。合鍵でご自宅を施錠して、7分かけて歩いてきた道を逆戻りで最寄駅に向かうと、

前方の右手側にインドカレー屋さんを発見

時刻は11時20分。うーん、どうしようかな、、、お昼には少し早いなあ・・・。14時から初めてのお客さんとZOOM会議あるから、刺激が強いものを食べて不調をきたしても・・・。暑い日にカレーを食べるのは死ぬほど大好きだけど、このお店が美味しいかは分からない。いや、でも、インドカレー屋さんで「信じられないくらい不味いよね!」というお店に出会ったことは45年間で1度もない。焦るな、焦るな、ここは最寄駅まで我慢して、電車に乗って1駅の次の駅で降りて、いつも通っている美味しいインドカレー屋さんで食べるか・・・。いやいや、そのお店に着くころにはランチタイムのラッシュに巻き込まれる・・・。

うだるような暑さなのに、うだうだ「でもな、でもな」と歩いていたら、インドカレー屋を右手に見たまま歩いて通過・・・。でも、初めてのお店に入ってみたいと思い、くるっと後ろへ振り返り、お店へ向かって、2歩、3歩。いや、でも・・・。

くるっと回って最寄駅に向かって2歩、3歩。もう一度くるっとして、お店に向かって1歩。立ち止まって、汗をかき始めていることに気づき、あれだけケアしていたのに無駄にかいてしまった、どうせかくならカレーを食べて汗をかいた方が良いと思い、

「カランコロン」(入店)

一度、「でもな・でもな」状態に入ってしまったので、気持ちの切り替えができない往年のサッカー日本代表の如く、

カレーを2つまで頼めるところを「1種類でいいです」、

本当は辛口が好きなところを守りに入って「豆カレーで」。

出てきたカレーは確かにマイルドで、全く辛くなく、汗もそれほどかけない・・・。解任される前の加茂監督が「秋田、投入」を決断した時も「でもな・でもな」状態に入っていたのかもしれないと思いつつ、お支払いへ。

本来は、辛い、辛いと言いながら大満足で「いやー、あれほどケアしていたのに汗かいちゃったよー。うっかり、八兵衛。」とご満悦で最寄駅まで歩くところを、なんともやるせない気持ちで左手で鼻の頭をかくと

「あっ、ジャケットがない・・・」

おばあさん宅にスーツの上着を忘れてきたことが判明。そうだ、暑いから左腕にかけて歩いていて、ご自宅に着いて、荷物「など」を置いた時に、ジャケットを椅子に掛けたんだ。泣く泣くご自宅に戻り(暑い)、ジャケットを取って、更にもう一度、7分かけて最寄駅へ(くそ暑い)。

負けた。臆病に負けた。食べたいもの食べればいいし、気持ちよく歩いて、気持ちよく汗をかけばよかった。じとーと後悔が残る。

ぐったりモードで最寄駅で地下鉄に乗り、1つ隣の駅で降りて地上に出ると、目の前にハンバーガー屋さん。

しまった、今月の定期訪問後はハンバーガーを食べることを、先月から楽しみにしていたのを・・・忘れていた。

ちなみに「うなだれる」は、漢字で「項垂れる」と書くらしい。まさにその姿勢でトボトボと歩いて事務所へ。

もう遠慮はしない、と決めた時に世界は広がる

中学生の頃、おそらく当時70代だった祖母は少年隊のヒガシ(東山紀之さん)の追っかけをしていた。東京でコンサートを見て、まさに追っかけるように次の大阪城ホールの公演も見ていた。基本的に行動範囲が市内(東京都武蔵野市)だった私は、23区に繰り出すのも勇気がいることだったので、祖母が大阪のコンサートに行くのを、アメリカに行くくらいの感覚で見ていた。信じられない、理解できない。そもそもヒガシを追っかけて、西に向かう事にも違和感があるし。

時は経ち、父親となった私は娘の保育園の送迎をしていると、担任の先生が韓国人アイドルの熱烈ファンであることを知る。そのアイドルは日本を拠点に活動しており、日本人女性をキャーキャー言わせていることは、目覚ましテレビで学習していたが、たまに行われるソウル公演に日本人ファンが海を渡って行くことは知らなかった。20代の先生も、こつこつとお金を貯めてはお友達2人で弾丸ツアーを挙行していた。私はちょうどロックフェスに行きたいと思っていた時で、彼女たちの行動力に感心しつつ、「あー、遠慮をしない方が、人生楽しいかもしれない」と感化されていた。その後、10年くらい経ってから、満を持してフジロックに行った時の高揚感と言ったらなかった。そもそも、昔からロックは好きだったが、20代の時はお金がなく、30代の時は子供が小さいので時間とチャンスが無かった。40歳前後でお金も時間も少し用意ができた。

その後、幸せのために「遠慮はしない」と言うことをしばし実行するようになった。例えば、私が尊敬するラダクリシュナン博士という方がいる。インド・ガンジー研究評議会議長。

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彼が来日すると聞いて、是非講演会に行きたい!  と思って調べてみると。

仙台

なるほど、杜の都ですね。ふむふむ。良い所ですね。なるほど、東日本大震災から力強く復興した東北の方をリスペクトして、ラダクリシュナン博士が「マハトマの不屈の闘志を語るにはここだ!」と選んだとのこと。なるほど、なるほど・・・。

遠い―

しかし、マハトマの闘志とは違うにせよ、私の中でも沸々と講演会に参加したい気持ちが増してきて・・・。

彼の講演は普段であればインドで聞ける。東京からインドに行くよりも仙台に行く方が近い・・・。インドに飛行機で行くよりも仙台へ新幹線で行く方が安い・・・。

「なんだ、仙台、近くて、安いじゃん!」(←おーい!)

16時頃に東京を出て18時頃に仙台着。20時頃まで講演を聞いて、大満足で大宮経由で自宅の熊谷に着いたのが22時過ぎ。なんと、いつも事務所でダラダラ残業した時と帰宅時間は変わらない。それに比べて、なんと価値的なアフターファイブ(正確にはフォー)だこと。やりたいことについて、少しだけ勇気を出すことで、その先の世界はスパァーと広がるんだーと実感。

右手に希望を、左手に勇気を

何かしたいことがある時、一番の敵は臆病。そんな時は勇気の利剣でそやつをぶった切ってみる。慣れてくると、実はそんなに力まなくても切れることがわかる。

自分を卑下をする人がいる。もちろん私も生命状態が低下している時は自信を無くして弱気になる。だけど、それとはレベルが違い、頑なに卑下を貫く人が稀にいる。

口癖は「自分なんて」「どうせ」。相手に対しては「●●さんは、いいですよね」と羨む。

それと「本当は●●がしたかった。でもできなかった。」と言ってみたり。私が、今からでも遅くないと言うと「今更できない」という。昔も「本当はしたかった」とできず、その後は「今更できない」という。おそらく、この人には常に「今」がない。「後悔する過去」と「期待しない未来」、その間に「現在」がない。

卑下をする人が同じチーム(職場とか、地域活動の団体とか)にいるとき、私は一生懸命激励する。あなたはあなたのままで素晴らしいし、そもそもそのままで面白い。大丈夫、大丈夫、と。本人が少し勇気を出してくれれば、チャレンジしてくれれば、こちらは実はできることが分かっているから、その小さな成功体験で自信を持ち、どんどん殻を破って成長をしていく、輝かしい「一歩」になることがわかっているから。

だけど、「どうせ」「私には無理」と臆病に負けてしまう。最悪の場合はは、「本当は心の中で私のことを馬鹿にしているですよね」と逆恨みさえする。ここまでくると、

固い決意で、自ら不幸になりたい人

そう言う人を見ると勿体ないと思う。そんなに固い決意ができるなら、幸せになることに決意をすればよいのに、自分を信じることに決意をすればよいの。

そう言う人を見るともう1つ思うことがある。自分も力不足だなと。もし自分が、右手に希望と左手に勇気をもって、「ほーら、人生はこんなに素晴らしい」「いやー、人生は大変こともあるけど、基本は楽しいですよね、ドラマチック!」と見せられたら、自分で自分の人生を楽しんでいる魅力をしっかり伝えられたら、「あー、私も」と思えて貰えたかもしれない。

私も、右手に希望と左手に勇気は持っているつもり。だけど、勇気を家に置き忘れてくることは、、、度々あります。

勇気を与え、勇気を貰うのが人生の醍醐味

数年引きこもり生活をしている方がいる。週末に「こんにちは」とご自宅にお伺いし、他愛もない話をしたり、酷暑の中、速攻で溶け落ちるアイスを一緒に食べたり、はたまた、サッカーのゴール集をスマホで見たり。彼の様子を見ながら、「数年ぶりに着替えてみませんか?」「外出してみます?」と軽くお尋ねしてみる時もある。彼は、無言で首を横に振る。なかなか勇気が出ないようだ。でも、彼が身動きが取れない地獄の様な生命状態の中で、必死に頑張っていることは分かっている。彼はダメな人ではなく、今、必死に頑張っている人。「頑張っている人は、励まさなければいけない」、子どもの頃から両親にそう習った私は、彼が勇気を自分の中から取り出すのじっくり待っている。

「木藤さんは勇気があっていいですね。私はないです。」

という人がいる。それは少し間違っている。勇気は「ある/なし」ではない。本来、自分の中にちゃんとある。それを取り出しているか、否か。

私は東京都武蔵野市の出身だが、祖父はむかーし、昔、三鷹駅の北側でネジを作る工場を営んでた。子どもの頃は、よく西武バスに乗って北上し、田無駅に行った。この田無で生まれた西田まことさんと言う人がいる。お父様は、小さなプラスチック加工工場(レコード針の部品)を営んでいたとのこと。親近感を覚える西田さんは、軽減税率導入の立役者。その愚直で粘り強い姿勢に感銘を受け、いつも勇気を貰っている。今日は熊谷に来られたので、「頑張っている人は、励まさなければいけない」

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話は変わって、
SALASUSU(サラスースー)という、カンボジア発のファッションブランドがある。コンセプトが素晴らしい。

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なんだか、勇気を貰ったなー、これは・・・。

はい、衝動買い!

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(ゴホン、ゴホン) 咳払いをして、整えて、

インドカレーが食べたいと思ったら、「よーし、食べよう!」と勇気を出せばよい。決断ができずに色々迷うこともある。臆病になることもある。だけど、失敗は笑いのネタに、また、新しい出会いのキッカケにすればいい。

ジャケットを忘れておばあさんのご自宅に戻るとヘルパーさんが出勤していた。「ジャケット、忘れちゃいました(笑)」と言ったら、にこやかに笑ってくれて、しばし楽しいお喋りができた。事務所に戻って、カレー屋の前でくるっと、くるっと、何度も悩んだ話を事務員さんに話したら、楽しそうに聞いてくれた。よし、誰かの笑顔に変換できれば、この件はきれいに回収したと捉えよう。

卑下はよくない。自分を蔑むと相手のことも恨めしく見えてしまう。自分を大事にできない人は相手も大事にできない。あなたはあなたが思っているほど、低能でつまらない人間ではない。もし自信が無かったら、私がいくらでもあなたのオモロイところを教えてあげます。

幸せは、最終的には自分の手にかかっている。主導権は自分が握っている。そのハンドルは他人が操縦できない。他人にお任せできない。また、棚から牡丹餅は落ちない。

一方で、他人だけの不幸がないように、自分だけの幸せもない。嬉しい、悲しい、という感情は自分と他人がいて、やっと成立する。

頑張っている人を見ると勇気を貰える。自分が頑張っていると相手に勇気を与えることがある。臆病を断ち切ることができる利剣である「勇気」。勇気を貰ったり、与えたり。その時に人は「現在を生きている」と人生の醍醐味を堪能するのかも。

先日、こんなことがあった。朝から晩まで悩める友がひっきりなしに訪れるので、こちらも一生懸命に激励をした。流石にへとへとになって、東京駅から終電の新幹線へ乗車。熊谷駅に到着して、車両がプラットホームに半分入ったところで、

ガタン!(急停止)

どうやら、停電したようだ。そこからドアが開かず、エアコンも止まった蒸し暑い状態で、1時間閉じ込められた。こんなに1日頑張って、もう少しで帰宅できるのに、なんて仕打ちだ・・・。

でも、既に翌日の展開を夢想している

翌日は、会った人、会った人に「いやー、昨日の話を聞いてくださいよー」

(回収💛)











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