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「食」の欲

人間にはいろんな欲があって、年齢とともにその欲の順位は入れ替わっていくようだ。若いときは、生存にあまり関係ない欲、どちらかというと煩悩に近い欲というか、浮ついた欲というか、そういうものが充満していたように思う。

段々年齢を重ねてくると、欲が生きることに近いもの、特に「食」の欲が旺盛になるような気がする。とりあえず、おいしいものを食べると幸せな気持ちになる。こう書いていて少し空しくなるけれど。

わたしは、いろんな国に行くのが好きでほかの国に住んでもいいとも思うんだけど、何が一番ネックになるかというと、やはり食事。日本は食のレベルが高いので、他国に行って長期間生活しようとすると、最初は現地の市場に入り浸りめずらしい食材に歓喜するものの、日本食のアレが食べたいコレが食べたい...とモクモクしてくる。特に体調を崩したときにはなおさらだ。手持ちの味噌をいつ使うか、あと何回みそ汁が飲めるか、と常に和食材がなくなることへの不安があった。南米のペルー→ボリビアの山手地域を進んでいたときは、どこまで行っても揚げた鶏肉と揚げたジャガイモしかメニューがなく、チリに抜けたときにシーフードを見た時は思わず飛びついてしまった。その結果、チリでは牡蠣に3度も当たり死にかけた。それ以来、日本の牡蠣でも当たってしまうという悲劇の結末。

アラスカで写真家として生きた星野道夫さんは、動物が季節移動する写真を撮るためにテントで何日も待機したりされていたらしいが、一緒に活動してたアメリカ人と比べると、日本人である自分がいかに食に欲があるかがよく分かると何かの本に書かれていた。日本人はいろんなものを食べるので、アメリカ人と比べると食域みたいなものが広すぎて、夜中に次々といろんな食べ物が頭の中にモクモク出てきて眠れなくなると言われていた。
わたしもインドに数ヶ月いたとき、帰ったらまず何を食べるか、明太子か、昆布の佃煮を炊きたてのジャポニカ米に乗っけて...とかその食べる順番とかまで考えていた。本場インドカレーも美味しいけれど、1週間も食べれば飽きる。あと、日本のお米は本当に世界一美味しいと思う。

生まれて育った国の食べ物は、ある種からだの一部のようであり、切っても切り話せない血縁のようなものかもしれない。こんなに豊かな食文化の国に生まれて幸せなことなんだろうけど、海外で長期間暮らすのに最終的にはネックになる。わたしは納豆とか味噌がないと多分無理だ。

でも、最近納豆を自作できるようになったし、どんな葉っぱでも納豆菌が存在して世界どんな国でもつくれることを知った。これなら麹菌系の食材はむずかしくても、納豆はいけるんだと根拠のない安堵を少し感じている。いつか、日本を出て違う国に住むこともできるという安堵。

「食」の欲って深い。


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